95bit 夢のコラボだよね!


 糸がメイド服から視線を戻した時にはもう、目の前に井倉の姿はなかった。


 糸は驚いて辺りをキョロキョロとする。


 結局のところ、井倉はメイド服のそばにいた。


 さらに言えば、メイド服を着た人物にぎゅっと抱きついている。


 「どこに行っていたんだ、心配したんだぞ」


 「それはこっちのセリフです、イクラお嬢さま。 いきなり姿をくらませてから一体どれだけの捜索部隊を派遣したと思っているのですか」


 糸は二人のやり取りをただ眺めるほかない。


 おそらく、あの人は女性だろう。


 糸は声色で判断した。


 顔を見る限り、若いことには若いけど私たちよりは年上で、たぶんハジメさんやシズクさんと同じくらいの年齢ではないだろうか。


 ボブカットの黒髪と少しだけ上に吊り上がった大きな両目が井倉をとがめていた。


 「連絡をしなかったのは……、すまない」


 「そうですよ、イクラお嬢さまはすぐにそうやってふらついて。 少しはIkuraグループのご令嬢であることを自覚なさい」


 井倉は反省の色を滲ませて大人しくなっている。


 「いきなり押しかけて申し訳ございません。 この度はイクラお嬢さまがとんだご迷惑を……」


 メイド服の女性は糸たちに深々と頭を下げた。


 「あ、頭を上げてください、別に迷惑だったわけじゃないですから」


 糸は手を振りながら慌てて否定する。


 それにしても、女性の礼儀正しい姿勢や言葉遣いは、古匠温泉で働いているりっちゃんとよく似ていた。


 「イクラちゃん、このお方は……?」


 「申し遅れました。 私は井倉邸の使用人を勤めております、左門さもんと申します」


 「サモンさん……」


 名前を聞いたとき、ぱっと雛乃ちゃんと目が合ったのは、どうやら偶然ではなかったらしい。


 雛乃が急に糸の腕を引っ張り、部屋の片隅へと移動した。


 そして、二人してしゃがみ込む。


 まるで、互いの会話を隠すように、ひそひそと。


 「ねぇ糸っち、今の聞いた? イクラちゃんのメイドさんの名前が」


 「サモンさん……!」


 「これはもう……」


 「夢のコラボだよね……!」


 頭の中で、サーモンイクラが鮮明にイメージされる。


 糸と雛乃は屈みながらクスクスと笑い合った。


 のも束の間。


 「なにバカなこと言ってるの、戻りなさい」


 二人は真衣にえりを掴まれ後ろに引きづられ、ふげーっと強制送還された。

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