第86話 道中の爺さんと条件

「あなたは何か知っていますよね? どうか俺たちに教えてもらえませんか?」


「知らん知らん。深き眠りについた人間を起こすことのできる”ウェイクアプの丸薬”なんてワシは知らんよ」


 俺が腰を低くして手のひらを合わせて頼み込んでも、目の前の糸目の爺さんはとぼけ続けた。

 歳の頃は八十前後だろうか。身長はかなり低く、綺麗に結われた頭のてっぺんのチョンマゲが特徴的だ。


「旦那。何を言っても無駄です。ジェイプの年寄りは閉鎖的な性格の者が多いですから、基本的に他所ものの話など取り合ってくれませんよ」


 視線をキョロキョロと動かしながらとぼける爺さんのことを、サスケはギロリと睨んでいた。


「くそ。初日で良い情報を手に入れられると思ったんだけどな」


 噴水の西側に構える宿へ向かう道中。俺は古い木造一軒家の前で、一人で晩酌を楽しんでいる爺さんを見つけた。

 特に何も考えず、宿に向かうついでだと思って聞き込みをしてみると、何と驚くべきことに、爺さんはニヤニヤと笑って酒を飲みながら、謎の薬の名前を口にし始めたのだ。

 その言葉を聞き逃さなかった俺が、爺さんのことを問い詰め始めてかれこれ十分になるが、未だにそれ以上の情報を引き出すことができていなかった。


「そう簡単ではありませんね。そもそも、某は酒飲みの老人がそんな情報を知っているとは到底思えません」


 サスケはやれやれと言ったような口調で、低い木の箱に座る爺さんのことを睨みつけた。


「あわよくばマスター・トウケン・ランブマルにでも会ってみたいと思ってみたが、薬の情報についての少なさを見るに中々厳しそうだな」


 俺は夕暮れ模様の真っ赤な空を見ながら、独り言のように呟いた。

 五日間という期限を設けたのは、集中して目の前の問題に取り組むためだ。何日も先延ばしにしては見つかるものも見つからないので、期限を設けたのはやむを得ない判断だ。

 ただ、自分たちを追い込むために期限を設けたというのに、初日がこんな有様だと、明日以降が心配になってしまう。どうにかしなければならないな。


「……ふむぅ。お主、マスター・トウケン・ランブマルに会いたいのかのぅ?」


 キュポンッという音を出して酒瓶から口を離した爺さんは、僅かに口角を上げながら聞いてきた。


「ん? まあ、会えるなら会ってみたいですけど、彼はもう三十年も姿を現していないらしいので、おそらく無理でしょうね」


 聞き込みで知ったことだが、彼はもう三十年もの間、人々の前に姿を現していないらしい。

 当時は筋骨隆々としていて、腰の左右に携えた二つの刀を操る、いわゆる二刀流だったとか。

 実力に関して言えば申し分なく、海のボスと呼ばれている巨大なモンスターが、ジェイプを滅ぼそうと襲ってきた時も、その二刀流を生かして追い払ったそうだ。


「ふぉっふぉっふぉっ。いやはや、もうそんなに経ったか」


 爺さんは三つ編みにされた細くて白くて長い顎髭を撫でた。


「何かご存知で?」


 俺は肩を上下させながら陽気に笑う爺さんに聞いた。

 先ほどと同じく、何かを知っていそうな口ぶりだ。


「よく知っておるよ。あの日からもうそろそろ三十年が経つ。奴のことは討ち損なったし、傷を癒して復活なんかしてたら溜まったもんじゃぁないのぅ。どうじゃ? もしもの時はお主が戦ってみんか?」


 爺さんは懐かしむような口ぶりで言った。

 追い払った、討ち損なった。ということは、完全に討伐することはできていないのか?


「俺なんかが戦わずとも、マスター・トウケン・ランブマルが駆けつけて討伐してくれますよ。それに、俺の刀は少し斬れ味が落ちていますから、まともな戦闘には期待できませんね」


 俺はゆっくりと刀を引き抜き、夕焼けに照らされて赤く反射する刀身を爺さんに見せつけた。

 じっくりと凝視すればわかるが、僅かな綻びや刃こぼれが確認できる。斬る直前までは気が付かないが、斬っている最中や斬った後には、何とも言えない不快感が残る。


「ほうほう、ちょいとワシに見せてみ」


「……何か原因とかわかります?」


 俺は手招きする爺さんに刀を手渡した。

 こうなるに至った原因がわかれば、今後刀を振るう時に何か役に立つことがあるかもしれない。

 爺さんは雰囲気からして、ジェイプに長年住んでいそうなので、刀のことに詳しい可能性も重々にある。


「ふむ……ふむふむ、なるほど。この刀が量産されたB級品であることはもちろんだが、ほんの少しばかり力を込めすぎておるのも確かだのぅ。刀を新調し、力の込め方と斬る時の角度を工夫すれば、より強力な一撃が放てるじゃろう」


 爺さんは糸目を僅かに開くと、数十秒間にわたって、あらゆる角度から刀を見続けた。

 その結果、明確かつ簡潔な答えを導き出した。


「驚きました……あなたは刀鍛冶なんですか?」


 俺は爺さんから刀を返してもらい、改めて刀身をじっくりと眺めた。

 まさか、ここまで詳細な原因を導き出すとはな。もしかすると、爺さんは著名な刀鍛冶がなんかなのかもしれない。


「まあ、そんなところじゃ。お主は結構、いや、規格外に強いみたいだし、今のワシなんか足元に及ばんよ」


 俺は大きなあくびをしている爺さんに対して、気がついたら口を開いていた。


「……俺の刀を打ってくれませんか?」


「旦那。失礼ですが、今はそれどころではないのでは?」

 

 俺のことを強いと言っているが、おそらくこの爺さんも相当な腕を持っているはずだ。それは刀鍛冶としても、刀を使う者としても。

 サスケの意見など今は耳に入っていなかった。


「そうくると思ったわい。お主はワシより強いし別に構わんが、今は最高の刀を打つための素材が足りん。刀を打って欲しくば、街外れの大地の先にある鉱山で鉱石を採掘してきなされ。往復三日ってところかのぅ。ワシの条件を飲めば、刀の受け渡しと同時に例の薬の情報も教えてやろう。どうじゃ? 破格じゃろう?」


 爺さんは言葉の途中でちびちび酒を口に含みながら、淡々と語っていった。

 確かに破格。しかし、俺は迷っていた。

 私利私欲を優先して刀を打ってもらい、おまけとして薬の情報を手に入れるか。

 それとも、刀は後回しにしてより多くの情報を集めるために聞き込みを続けるか。どちらが良いかはまだわからない。爺さんが嘘をついていないことは薄々わかるが、どこか含んだような言い方をしておるのが少し気になるところだ。

 そこで、俺は横にいるサスケを見た。


「……旦那がしたいようにすべきかと。少なくとも、この老人の言葉に大きな嘘はなさそうです」


 俺の視線に対して、サスケは静かにそう答えた。

 この爺さんは常に酒瓶に直接口をつけて酒を煽りながら、鼻歌混じりの言葉を吐いていたが、確かに怪しさはそれほど感じなかった。

 ここは俺のしたいようにして問題なさそうだ。


「どうじゃー? 意見はまとまったかのぅ?」


「ええ。その条件、飲ませてもらいます。素材の受け渡しから刀の完成はどの程度ですか?」


 伸びのある声で聞いてきた爺さんに、俺は刀を打つにあたっての詳細について聞いた。


「ふーーーーーむ……一日あれば足りるはず。まあ、それはそれじゃ。その時に決めるとしようかのぅ。それよりお前さんたちは見たところ時間がないのじゃろう? ワシの条件をクリアするためには、もう出発しないと間に合わないのではないか?」


「そうですね。サスケ、これから止まらずに走り続けることになるが、準備はいいか?」


 どうして俺たちが急いでいることについて知っているのかは知らないが、兎にも角にも時間がないので、俺はサスケに目配せを送った。

 まるで、爺さんは俺たちのことを急かしているというよりも、自分が焦っているようだった。


 曖昧な口ぶりが多いのも気になるが、今はそんなところに触れていては時間がないので、とっとと出発するとしよう。


「某はいつでも大丈夫ですが、宿はどうしますか??」


「キャンセルついでに詫びの金を払っておこう。おそらく宿泊することはないからな」


 俺は懐から取り出した銀貨数枚をサスケに握らせた。

 その間、俺たちが焦っている姿を見て爺さんが朗らかに笑っていた。

 少々癪に触るが、今は放っておくに限る。構っている暇ないのだ。


「御意! では……」


「ああ、縮地!」


 俺はサスケが準備を整えたことを確認してから、周囲に危害が及ばない程度の軽い縮地を発動させた。

 この動作にも慣れたものだ。いちいち頭で考えなくても、勝手に縮地を発動させるために体が動くのだ。


「ほいじゃぁー、またのぅー。三日後にまた会うとしよう!」


 並走し始めた俺たちの背後から、腑抜けたような爺さんの声が聞こえてきたが、俺たちは振り返ることなく前を見て走り続けたのだった。

 目指すは先の見えない大地の向こう側にあるという鉱山だ。

 本当に往復三日で行けるのか怪しい距離だが、ここはどうにか頑張るしかなさそうだな。

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