壱「蹉跌の塔」

第1話 自称天使

 もう、目の前には何もなかった。

 茫漠とした空間がただあるだけで、それはただ広いだけの石と壁だった。

 石壁と簡素な装飾、そしてなにも置かれない祭壇が物寂しく残っている。

 がらんとした広間は、一連の作業により空になってしまった。

 いや、この五階建ての塔全てがそうか。


 窓の外から人の声が聞こえてくる。あれだけやかましくがなっていた調査団の連中も、充分な収穫ありという安堵からか、時折笑い声を混ぜ白い歯を見せていた。


 人間の心理というものは実に単純である。

 軽量なシーカーズベストに身を包む国樹多賀朗くにきたがろうは、盗賊のそれと変わりない連中を文字通り見下ろしていた。


 調査団が帰路につけば、この塔には自分しか残らない。なにもかもかっさらい、残るのは行政府に直接雇われた自分だけだ。円を描く塔の三階から、国樹は下の様子を眺めていた。あいつら、俺のバギーに手出さねえだろうな。それだけを気にしていたが、彼らは荷を積み込むと砂埃を撒き散らしトラックと共に走り出した。


「あれでも行政が正式に組織した調査隊か。盗賊と変わらない、これじゃ盗掘だ」


 緑のリストバンドで額の汗を拭き、褪せたベージュのベストから小さなメモ帳を取り出す。ペンを片手に、今回の仕事で実際にいくら儲かったのか、今後どれだけの金が必要か頭に浮かべる。


 かつて南亜細亜と呼ばれた大地に建つ旧時代の遺跡、それは蹉跌の塔と呼ばれていた。いつ建造されたのか、なんのために誰が造ったのかすら分からない、不思議な遺跡だ。


 国樹は金を目的に調査団の一員として参加したが、結果として不愉快な出来事が多く、あまり実りのある仕事とは言えなかった。


 元々は飯ごう係として雇われた。だが、回収品の多さとトラブルにより、運搬や積荷作業まで回ってきたのがケチのつき始めだった。当然、その分報酬に上乗せがあるものと考えていたが、連中はそんな契約はしていないの一点張りで首を縦に振らない。

 自分なりに食い下がり主張したが、全て徒労に終わった。結局規定通りの額のみ支払われ、色も何もあったものではない。


 人手が足りなくなったと言うからわざわざいらぬ仕事まで請け負ったのに、ただ働きさせられるとは……。だからこの国、いや国なんて大層なものは存在しない、この地域の奴らは嫌いなんだ。国樹は憤懣やるかたない気持ちを腹に収め、汗で滲むメモ帳にペンを走らせる。


「足りないな……これでは国境を越えられない」


 計算してみたが、何度やっても不足している。端から分かっていたとはいえ、自然溜め息が出て国樹はメモ帳を放り投げた。


 この朽ちた遺跡に二週間、この地域に来て二ヶ月になるがろくなことがない。この手の問題にはもう慣れたと思っていたが、国樹の故郷たる極東の島国との違いは、そうそう埋められるものではないらしい。

 挙句、メモ帳を放り投げたにも関わらずフロアからはなんの反応も見られない。

 恐ろしい話だ。奴ら、埃まで持って行きやがった。


 盗掘まがいの片棒を担いでおいて言うのもなんだが、いくらなんでもこれは酷いだろう。

 確かにこの「蹉跌の塔」は紛争地域に近くいつ被害に遭うか分からない。だからせめて貴重品だけでも救い出そう、なるほど確かに説得力のある話だ。だが謳い文句とは裏腹に、奴らからそんなご立派な姿勢は微塵も感じ取れなかった。


 持ち去られた物の中から、多少見られる物はどこぞに飾られたりするやもしれない。しかし、残りは売り払うかまともな保存もされず、倉庫で朽ちることだろう。

 これで、貴重な文化財も日の目を見ることなく永遠に消え去る。それがどれだけの損失であり重罪か、彼らには理解出来ていないらしい。


 世界が狭い、彼らにとっては自分に見える範囲が全てだ。「もっと世界的視座を、人類的観点から物事を見ろ」などと言っても、返ってくるのはせいぜい嘲笑だろう。歴史的事実を刻んだ遺産を目の当たりにしても、だ。


 現生人類は三度滅亡の危機を乗り越え今ここに存在している。


 一度目は資源争いから、二度目は大災害により、そして三度目は原因すら判明していない。

 一番近い歴史であるにも関わらずだ。


 だからこそ、この「蹉跌の塔」はいつなんのために誰が造ったのか、調査するのではなかったのか。ところが結局肝心の部分には触れず仕舞い。彼らは元々調査する気なんぞなかったのだ。


 いくら神的なものを排除して成り立つ地域とはいえ、国樹には受け入れ難い現実だった。金のこと遺跡のこと、そして見て見ぬ振りをせざる得ない、自分の不甲斐なさが圧し掛かる。国樹は大きな溜め息をつき、眉間を指で押さえていた。


 ――故郷を出てもう四年になる。元々は呑気な旅行者のつもりだったが、気がつくと探索者の真似事をするようになった。そもそもの動機は広い世界をこの目で見て感じたい、もし可能ならばその深淵に近づきたい、そんな漠然としたものだ。


 三度の文明崩壊、三度訪れた滅亡の危機。

 しかしまともな記録が残っていない。

 歴史が近ければ近いほど記録は曖昧になっていく。

 文化文明、そして人類そのものは生き残っているが、過去に至る道筋が定かではない。

 また、曲がりなりにも人類が「人間らしい」生活を取り戻した経緯も判然としていないのだ。


 確かなのは今自分が存在し、世界には数多の人々が生き残り、生活しているということだ。ではそれはどんな人々で、どんな生活をしているのか。それを確かめたい、会って話を聞いてみたい。動機と言えばそんなところだろう。


 よく耳にする自分探しの旅などではなく、ちょっとした好奇心が国樹を動かした、そう解釈している。だからこそ自分というものを弁える。自分は学者でもなければリッチマンでもない。贅沢に縁がなくとも、気楽な旅人を興ずるだけだ。なのになぜ、自分はこんな所でこんなことをしているのか。


 国樹は自問し、そうして自嘲した。

 世間ではなく、世界はそんなに甘くない。

 きっといつの世でも変わらない現実なのだろう。


 メモ帳を拾うため立ち上がると、広間の反対側から大きな声が聞こえてきた。それは正に、幼い子供の屈託ない歓喜の叫びとも呼べるものだった。


「見つけたーあったどー! お宝だあーっ!」


 声の主は広間反対側の入り口から、文字通り飛び跳ねるように駆けてくる。

 身長は140cmほどで、細かく柔らかなブロンドの髪が本人と一緒に飛び跳ねていた。

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