step9.ハートブレイク(6)

「窓際の席が良いですか?」

「あ、うん」

 うっかり頷いてしまい、由基は七色の光が降り注ぐ明るい窓辺のテーブルへと案内され内心でぎゃあっと悶えた。

「チケットでドリンクを一杯とタパスを三種類お選びいただけますが」

「あ、うん」


 由基がチケットを出すと琴美はテーブルの上にメニューを広げた。が、由基は選ぶのが面倒な性格だ。

「えーと、お任せで」

 いつもの、昼食を買ってきてもらうノリで頼んでしまう。

「少々お待ちください」

 琴美はまた嬉しそうににこりと笑った。


 彼女が離れて少し余裕のできた由基はまわりを観察する。ほどよいボリュームでフラメンコギターの旋律が流れる室内のテーブルには、学生らしいグループ客ももちろんいるのだが、御婦人方のグループや年配の男性客もぽつぽつ座っていてなんとなくほっとする。


 おひとりさまの男性はマガジンラックの雑誌を眺めている。それを見て自分も眺めるものが欲しいと感じたとき、琴美がトレーを手に戻ってきた。

「お待たせしました」

 カタクチイワシの酢漬け、海老のアヒージョ、スペイン風ポテトオムレツにアイスティー。定番ど真ん中なチョイスが琴美らしいと思った。

「いい匂いだなあ」


「あの……」

 さて頂こうとなっている由基の前で琴美は胸の下で手を握り合わせている。

「わたし今、手が空いてるんです。少しお話しても……?」

「え、うん。もちろん」

 むしろ一緒にいてくれるのは助かる。何しろ手持無沙汰だなあと思っていたところだから。


 そうか、と由基はふと気づく。普段は食事の際にはいつも仕事の資料を読みながら、あるいはテレビでニュースを見ながらだ。ゆっくり食事を楽しむということを久しくしていない気がする。思い出せるのは三咲と居酒屋に行ったくらい、いや、夏にアコとハンバーガーを食べた。思えばあれは貴重な、誰かと一緒の食事だったのだ。


 ――ヨッシーはアコの神様だよ。

 アコは瞳をキラキラさせて「おいしい」「カワイイ」「こんなの初めて」を連発していたっけ。季節をひとつ越えただけなのに遠い昔のことみたいだなあとぼんやり思う。


 かたんと、琴美がテーブルの向かいの椅子を引いた音で由基は意識を引き戻された。

「えと、いただきます」

「はい。どうぞ」

 はにかんで微笑む琴美の前で由基はフォークを取り上げる。

「うん。美味しいよ。本格的だね」

「ありがとうございます」

「ことちゃん、朝から大変だったんじゃない?」

「そうですね。調理室を借りてそこでみんなでぐわーっと調理して」


 普段は使わない言葉を口にする琴美が新鮮で由基は目を細める。

「大変だろうけど、楽しそうでいいね」

「そうですね。でも、そういう戦場みたいなの、バイトで経験してるから良かったなって思うんです」

「こき使っちゃってて申し訳ないなあ」

「いえ、もう、いつもはそんなことないですけど。クリスマスの忙しいときとか、忙しすぎて目が回りそうなんだけどアドレナリンが出て興奮して楽しくなっちゃうみたいな。今日もみんなそんな感じで楽しかったです」

「あー、うん。なるほど」

 由基にとってはクリスマスセールの期間は胃痛との戦いなのだが。


「あの、店長。この後」

 琴美が何か言いかけたとき、「ことちん!」と明るい声が出入り口の方から投げ込まれた。琴美が振り返る。口に入れたばかりの海老の食感とニンニクとオリーブオイルの香りを味わいながら由基も目を上げる。


 折しもBGMはスペイン組曲「アンダルシア」のマラゲーニャ。情熱的なリズムと共に女の子がひとり手を振りながら歩み寄ってくる。


「来たよぉ」

「アコちゃん」

 立ち上がりながら琴美が彼女を呼ぶ。由基はごくんとまだまだ味わうつもりでいた海老を呑み込んでしまう。

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