18 シャイターンの慟哭 ──小封印──

「メドラウトを、俺が殺した?」


 そうつぶやいた瞬間、森の地面から大きな激突音が上がり、土埃が舞ったあと──メドラウトの罵声が響いた。


「ちょっとユウリス・レイン! どういうつもりですの⁉︎ あなた、いまわたくしを殺すつもりでしたわね⁉︎ さすがのわたくしも怒髪天を衝く勢いですわ! この憤怒、この慷慨、この激情、あとできっちり受け止めてもらいますから、覚悟なさい!」


 のっそりと立ち上がったメドラウトは、獲物を狩る獰猛な獣のようにわめき散らしている。半死半生とは程遠い女騎士の姿に、ユウリスは思わず胸を撫で下ろし、ダニエラは不思議そうに目をしばたたかせた。


「よかった、生きてた……」


「なんで生きてるんぞ?」


「わ・た・し・く・だから無事なんですわよ! そんじゃそこらのヘナチョコならとっくに女神さまの許に魂をお返しになっていてよ! ユウリス・レイン! 先に、なにか、言うことがあるんじゃなくて⁉︎」


「いや、本当に悪かった!」


「謝罪が軽いですわ!」


「あとでちゃんと謝るから! それより《シャイターン》だ!」


「きいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」


 ユウリスとメドラウトのいざこざが解決した頃、上空の決戦も正念場を迎えていた。再び放たれた《シャイターン》が雷撃を、ゼルマン司教の防御障壁が見事に防ぎ切る。しかし力の源である朽ちぬ宝樹の杖は持ち主の生命力を消費するため、人間が扱うには代償が大きい。教会術者たちの贔屓目にしても、初老の術師には荷が勝ち過ぎているのは目に見えていた。


「ゼルマン司教、それ以上はお体に障ります!」

「お下がりください!」

「ここには勇者と聖女もいるではありませんか!」


「黙れ!」


 声を荒らげたゼルマン司教が、眉尻から落ちる汗を振り払いながら杖の柄を握りしめる。その視線は最前線で戦い続ける聖女と勇者に向けられていた。


「女神の神具を手にしながら、なぜあの場にいるのが私ではないのだ!」


 己を鼓舞するようにゼルマン司教は杖に魔力を込めようとするが、もはや女神の司法に光が宿る気配はない。


 一方、トリスと身を寄せ合ったライラは、選定の剣に宿る膨大な魔力の輝きを必死に制御していた。刀身から湧きでる光は神秘的な光の粒子に包まれており、その威力は計り知れない。暴走すれば辺り一帯を焦土にしかねない権能を肌で感じながら、勇者と聖女が互いを鼓舞するに声をかけあう。


「トリス、いけます!」


「よし、やってやんぜ!」


 メドラウトのハルバードが突き刺さった傷口へ、トリスは選定の剣を突き出した。


「いっけええええええええええええええええええええええええええ、カリブー!」


 カリブルヌスから放たれた光線が、膨大な奔流となって悪鬼に襲いかかる。神々しい輝きに目が眩んだ妖精たちは《トレント》の影に隠れ、怯え切っていた子どもたちも感嘆の声を上げた。


 疲れ果てた教会の術者たちが聖印を切る中、朽ちぬ宝樹の杖に寄りかかるゼルマン司教が息も絶え絶えにつぶやく。


「あれほどの力を、なんの対価もなく──これが選ばれし勇者と、凡人の差か……まったくもって腹立たしい」


 勇者の一撃は箒星のような軌跡を描き、とうとう《シャイターン》の胸を貫いた。


 聖なる輝きは悪鬼の核を焼き尽くし、その怨念すらも浄化する。心臓部を焼かれた復讐の化身は、海老反りになりながら悲鳴をあげた。


『ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ⁉︎』


 悪夢の終焉を告げるように、東の空を覆う闇が薄れていく。


 力を使い果たしたトリスが、大きな息を吐きながら不可視の足場に尻餅をついた。その肩にライラが優しく手を置こうとした──刹那、ぶくっ、と不気味な音が木霊する。


 頭上の異変を見咎めたユウリスが、ごくりと喉を鳴らしながら目を見開いた。


「悪き鼓動が、高まっていく?」


 そのつぶやきを肯定するように、《シャイターン》の体は肥大化を始めた。


 地上に取り残されたメドラウトが、壊れかけたハルバードを構えながら声を張り上げる。


「わたくしを、もう一度空へ! すぐに! ゼルマン司教!」


 時を同じくしてライラも、目の前で起こる悪鬼の奇怪な変質に震え上がっていた。


「トリス、立って!」


「な、なんだ⁉︎」


「まだ終わっていません!」


 ぶくっ、ぶくっ、ぶくっ、と濁った泡のような音が立つたびに、ただでさえ巨大な《シャイターン》の体躯が、さらに膨れ上がっていく。


 その怪異を認めたゼルマン司教が、ぎょっと顔をこわばらせた。


「いかんな、悪鬼の体は瘴気で構成されておる。もしも、あれが爆散すれば──オリバー大森林の悲劇が繰り返さねかねん!」


 周囲の僧兵たちが、騒然とうろたえる。すでに誰もが魔力は尽きかけており、彼らにも余裕がない。ゼルマン司教は、必死に喉を枯らした。


「誰でもいい、早く《シャイターン》の自爆を止めるのだ!」


 大量の瘴気が降れば、辺り一帯は魔素の汚染領域となる。その余波が街道まで届けば、妖精公国オグマは孤立し、新たな怪物の巣窟が生まれる可能性も捨てきれない。


 そんなゼルマン司教の訴えが木霊する中、すでにライラは複雑な術式を完成させていた。


「エウラリア姫、どうか禁忌の使用をお赦しください」


 樫の杖を掲げたライラは、かつて神聖国ヌアザのエウラリア姫から伝授された禁断の法術を行使した。彼女の体から、真っ白な光の帯が無数に広がる。絹糸のように滑らかな線は、瞬く間に破裂寸前の《シャイターン》を包み込んだ。あらゆる色が生まれる前の透明な繭が、地上の森に産声を上げる。


 この神々しい光景に妖精たちは怯え、子どもたちの表情は明るく輝き、そしてゼルマン司教は、怪訝そうに眉をひそめた。


「なんだ、あの法術は……?」


 教会由来の法術は体系化されており、その大半を取得することも司教職に就く条件の一つとなっている。しかしゼルマン司教は、いまライラが行使した術式に、まったく見覚えがなかった。例外があるとすれば、神秘局と天文局が秘匿する一部の奥義と、王家に伝わる禁術以外に考えられない。


「まさか、王家の秘伝か?」


 その複雑な術式は、すでにゼルマン司教の理解を超えている。大きな繭は透明ながら太陽のように力強い気配を発しており、ダニエラは思わず怯んだ。空中の足場に座り込んだトリスは「すげぇ」と、ただ呆けている。


 一方、精神を落ち着けたライラは、禁断の法術を完璧に掌握していた。彼女の唇が薄く開き、歌うように神々の法則を唱える。


「――小封印――

 ――Danu――

 ――  ――」


 彼女が施した封印術の内側で、《シャイターン》が破裂した。大量の瘴気が渦巻くが、決して法術の繭から外には漏れ出さない。ほっと胸を撫で下ろしたライラは、眼下のゼルマン司教に呼びかけた。


「ゼルマン司教、私の封印術は長く持ちません。おそらく次の日暮れには解けてしまうでしょう。瘴気の処理、なんとかなりますか?」


「うむ、それはなんとかしよう」


 宙に浮遊したゼルマン司教は、《シャイターン》を封じた術式について追求するか否かを逡巡し、けっきょく諦めた。彼は翌年、教皇選を控えている。さわらぬ神に祟りなしという言葉を、聖職者は誰よりも理解していた。


 やがて完全に日が昇り、ハローヴィレッジに朝が訪れる。


 昨日とは、なにもかもが変わっていた。大人の姿は消えた村は見る影もなく荒れ果て、生き残った住民は数名の子どものみ。


 日を浴びることができないダニエラは、教会の馬車に保護された。


 メドラウトは腰を打ったらしく、しきりにユウリスに罵詈雑言をぶつけている。今回は彼もうしろめたさが勝り、甘んじて彼女の唾を顔に浴びていた。


「このわたくしを放り投げるなんて、どういう神経していますの⁉︎ あなた、そう、ユウリス・レイン! この聡明で、有名な、透明感あふれるわたくしになにかあったら、どうするつもりでしたの⁉︎」


 地面に敷かれた簡易な寝台に座り込んだメドラウトは、怪我の手当てを受けていた。馬車に隠れていた修道女や医師が診察にあたっているが、その場にユウリスも同席している。


「透明感の意味が、よくわからないんだが……」


「お黙りなさい、ユウリス・レイン! あなた、自分の立場がわかっていないようですわ。そうね、まずはわたくしの名前を言ってごらんなさい!」


「メドラウト」


「違うでしょう、ユウリス・レイン? わたくしは最初、あなたになんと名乗ったかしら?」


 笑いを堪える修道女と医師を一瞥したユウリスは、渋々と答えた。


「麗しき、円卓最強の……はあ……姫騎士……メドラウト!」


「もっと続けて!」


「麗しき円卓最強の姫騎士メドラウト」


「心と愛情を込めて!」


「麗しき円卓最強の姫騎士メドラウト!」


「いいですわ、いいですとも、いいしかありませんわ、ユウリス・レイン!」


「じゃあ、俺はそろそろ……」


「お待ちなさい! あなたに叩き落とされた腰が痛みますわ!」


「どうしろと?」


「そうですわね……次は、わたくしを讃える歌を作ってくださる? ええ、素人でしょうから完成度は大目に見ますわ。とにかく麗しき円卓最強の姫騎士という一言を使って、誰にでもわたくしの勇姿が伝わるような詩を考えてごらんなさい!」


「俺が?」


「ああ、ユウリス・レインに落とされたせいで、なんだか首に痛みを感じますわ!」


「わかった……考えよう……」


 その様子を馬車から眺めていたトリスは「ほほう」と悪戯な笑みを浮かべた。


「なるほど、ユウリスはああやれば言うことを聞いてくれるのか」


「トリス、そういう邪な考えを持ったらいけません!」


「はいはい……あっ、アタシらもユウリスんとこ行こうぜ?」


「ゼルマン司教のお話が終わってからのほうがいいと思います」


 ライラが示した通り、絶望的な顔で詩を思案するユウリスに近づく姿があった。


 司教冠と金の刺繍が施された法衣を纏い、手には朽ちぬ宝樹の杖──ゼルマン・セルヴィス。ダーナ神教の司教が、闇祓いに声をかける。


「ユウリス・レイン」

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