15 スパルナの狂乱
「ライラ!」
仰向けに倒れたライラに、ユウリスが覆いかぶさる。そんな彼の背中を、
二人の危険を察知して、メドラウトが助けに入ろうと踏みだす。しかし、その眼前を凶刃の旋風が阻んだ。暴走した≪スパルナ≫の魔術は勢いを増すばかりで、
法術で守られたトリスも身動きがとれず、泣き喚くように叫んだ。
「ライラ! ライラ! くそ、ニイチャンまで! ああああああ、カリブー、力を貸せよ!」
するとトリスの想いに応え、選定の剣から魔力があふれる。乱気流のように渦巻いたカリブルヌスの波動が、一瞬で刃の嵐を吹き飛ばした。
同時に、この狂乱が新たな
刀身から放たれる白い
「カリブー、もういいって!」
未熟な勇者を
大きく戦斧を振りかぶったメドラウトが、舌打ちまじりに駆け出した。
「トリス、なにをしているんですの!?」
「いいから、早くニイチャンを助けてよ!」
無秩序な雷光が、ユウリスを焼く。それでも彼は、ライラを抱えて離さなかった。喘ぎ声を押し殺し、じっと耐え続ける。
「ユウリス・レイン、よく我慢しましたわ! わたくし、ちょっと見直しましてよ!」
跳ね回るカリブルヌスの閃光を、メドラウトのハルバードが叩き伏せた。
天変地異を想起させるような魔力の暴走が潰え、戦域を静けさが支配する。
怪鳥の王は、尖った
『キシュ、キシュウウ、ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!』
しかし全身を紫の血に染めても、≪スパルナ≫の瞳に諦めの色はない。
憎しみをたぎらせた怪鳥の王は、再び首飾りに意識を集中していた。
その執念にも似た気迫に感化され、ガルーダの宝石が鳴動する。
「ニイチャン、ライラ!」
顔色を失ったトリスが駆けつけた先では、ライラが必死に治癒の法術を唱えていた。彼女自身も手ひどく傷を負っていたが、ユウリスの怪我はその比ではない。生死に関わるほど深い痛みの痕を、癒しの光が
「――慈悲の恵みを――
――Pray without ceasing――
―― ――」
「アタシのせいだ、アタシがカリブーを扱えないから」
じわっと目に涙を浮かべたトリスの肩を、メドラウトが力強く引いた。
「トリス!」
「え?」
反射的に振り向いたトリスの頬を、メドラウトは容赦なくひっぱたいた。その乾いた音が消えないうちに、ぐっと顔を寄せ――互いの脂ぎった鼻先を合わせながら、円卓の騎士が吠える。
「泣き言はあとになさい! わたくしだって、コールブランドでユウリス・レインを殺しかけましたわ。でも彼は、そのことを怒っていなくてよ! 同じようにあなたのことも、恨むような人ではないでしょう! だから、いまは前を見なさい! この際、選定の勇者かどうかなんてどうでもよいですわ! そんなことよりあなたは、この二人を守りたいのではなくて!?」
ずずっと鼻水をすすって、トリスは力強くうなずいた。選定の剣を握りしめた赤毛の少女が、目元の涙をぬぐう。
「残念ネーチャンのくせに、まともなこと言うじゃん」
「もしかしてあなたの口にする残念とは、
「なに言ってるかイミワカンネー」
そこでライラが「ユウリス様!」と声を上げた。
「まだ起きてはいけません!」
「いや、癒しが効いた。手間をかけたな」
焼けつくような痛みに歯を食いしばりながら、ユウリスは一息に立ち上がった。
「言っておくが、メドラウト。お前のことは、まだ怒っているぞ」
「まあ、
唇の端をつりあげたユウリスは「師に似てきたかな」と
首飾りの宝石に集中する魔力は禍々しいが、片膝をついたまま動く気配はない。
「さしずめ、魔力の充填中か。もう派手に動きまわるほどの余力はないと見える。次の一撃で勝負を賭けてくるつもりなら、わかりやすくていい。トリス、まだやれるか?」
「アタシはぜんぜん平気! 次こそしとめてやる!」
「よし、戦いの最中に泣きべそをかくなよ」
「かいてない!」
「俺は、あるかもな。言いつけをやぶって、ウルカに泣かされた。いや、あれは戦いが終わったあとだったか」
うわごとのようにこぼすユウリスの姿に、もはや剣を振るう気勢が残っていないのは明らかだった。そばに寄り添うライラが首を横に振るのを見て、メドラウトが意を決して踏みだす。
「ここはわたくし、麗しき円卓最強の姫騎士メドラウトが任されましたわ! 華麗に、鮮烈に、雄々しく、≪ガルーダ≫の王を退治してさしあげてよ! トリス、ユウリスとライラを守りなさい」
「は? アタシも行くし。ライラ、カリブーの制御、できる?」
「ええ、もちろん。でも、さっきの恐ろしい嵐がもう一度起こったら……」
表情を曇らせるライラの手を、ユウリスが握りしめた。己の限界を見極められないほど、未熟ではない。メドラウトとトリスの隣に立っても、いまは足手まといだろう。それを自覚して、彼は選択した。
「ガルーダの王だろうと、相手が怪物なら弱点は核だ。だが、その位置は一定じゃない。いまは喉、いや、肩に移動した。どうやら心臓部を、無軌道に動かしているようだ。とはいえ、闇祓いの目はごまかせない。その光が、俺にはハッキリと見えている」
怪物の真実を見抜く、
ユウリスの眼差しは、≪スパルナ≫の体内に赤紫の焔を捉えていた。それこそが核と呼ばれる、怪鳥の心臓部。絶えず動き回っていようと、≪ゲイザー≫の知覚から逃れることはできない。
「あれを討てば、≪スパルナ≫を倒せる。起死回生の一手だ。闇祓いの秘儀を応用して、二人に核の位置を共有する。いま、奴の心臓部は首に移動した。ライラはカリブルヌスの制御を頼む。行け、時間がない。頼むぞ、トリス!」
「ああ、任せとけ! いくぞ、残念ネーチャン!」
「ちょっとユウリス・レイン、わたくしにかける言葉はありませんの?」
「円卓らしいところを、一度くらいは見せてくれ」
「失礼ですわ! わたくし、常に円卓の鑑でしてよ!?」
トリスとメドラウトが、青く染まった世界を駆ける。
カリブルヌスに意識をつなげたライラは、心配そうにユウリスを見上げた。とっさの判断で傷口は塞いだが、すでに血を失いすぎている。彼の唇は青く、指先は小刻みに痙攣していた。
それでも群青色の瞳は前を見据えており、闇祓いの焔は揺るぎない。
「ユウリス様は、なぜそこまでして戦うのですか?」
「ここでやらなければ、どちらにしても全滅だろう」
「でも、怪我が……」
「加えて、俺のうしろにはトリスとライラがいる」
物理的な意味ではなく、精神的な心構えとして――彼は続けた。
「そう思えば、負けてはいられない」
「え?」
「こんな有様で言われても説得力はないだろうが、俺は二人を守っているつもりだ」
「私と、トリスを?」
「ああ、背中に守るべきものがあるうちは、絶対に倒れない。弱音も吐かない。剣も手放さない。ずっと大切にしている、師の教えだ。自分が犠牲になって、残された者を悲しませる気もない。だから全員で生き残る、そのために君の力が必要だ。頼りにしているぞ、ライラ」
とぎれとぎれのか細い声で、なんの迫力もない彼の言葉に、しかしライラの胸は震えた。誰かのために、なにかのために、ただ力を尽くせるユウリスのひたむきさを、心から尊敬する。そんな相手に必要とされ、求められている嬉しさを噛みしめながら、彼女は大きく息を吐きだした。
「ユウリス様、トリス、絶対に勝ちましょう!」
ライラから伝わる信頼に応えるように、トリスは選定の剣を掲げた。その眼前に、≪スパルナ≫の腕が勢いよく振り下ろされる――が、それは避けるまでもない。真横から身を躍らせたメドラウトが、怪鳥の手首を華麗に斬り飛ばす。
『キゥゥゥゥゥゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!?』
手首を
「わたくし、
円卓の姫騎士が、戦場に舞う。
さらに残った≪スパルナ≫の剛腕が、横薙ぎ払われた。その真上を、メドラウトが跳ぶ。まるで彼女は重力から解き放たれた白鳥のように――余裕の笑みを浮かべ、怪鳥の手に戦斧を叩きつけた。
その一振りたるや、落雷の如く。
ゴリアスの岩肌が砕け、怪物の指が大地にのめりこむ。
「聞きなさい、ゴリアスの空を統べる怪鳥の王よ! わたくしの名はメドラウト! 円卓最強の姫騎士! 人類至高の麗人!
着地した怪鳥の腕を、メドラウトが駆け上がる。狙うは、核のある≪スパルナ≫の首。
「あいつ、怪物相手に選挙でもするつもりか?」
「ユウリス様、≪スパルナ≫の首飾りが!」
いよいよ追い詰められた≪スパルナ≫が、首飾りの魔力を解き放った。赤い宝石が禍々しい輝きを宿す。
空間に満ちるのは、自分自身すらも切り刻む諸刃の剣。
空気中に生みだされた不可視の切っ先が、メドラウトの進路を阻む。懐に潜り込もうとしたトリスも、ぎょっとしてたたらを踏んだ。
『キシュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ‼』
悪夢のような拷問の嵐が、再び解き放たれる。
この狂乱を乗り越える作戦は、ユウリスも思いつかない。ただ前線で奮闘する二人を信じて、彼は破魔の瞳で≪スパルナ≫を見つめた。首を狙われていると悟った怪鳥の
「響け――!」
闇祓いの秘儀が、閉ざされた世界に広がる。普段は不可視の波紋だが、そこにユウリスは色をつけた。破邪の証である蒼白の輝きが、≪スパルナ≫の核に付着して燃え上がる。
この目印を認め、トリスとメドラウトが同時に狙いを定めた。
「あれだな、ニイチャン!」
「上出来ですわ、ユウリス・レイン!」
それぞれの獲物を構える二人だが、四方八方から風の刃が豪雨のように吹きつける。それは服を貫き、肉を裂く狂気の濁流にして嵐。しかしトリスは両手を交差して前に踏みだし、メドラウトは嬉々として跳躍した。共に全身を血に染め、肌に多くの傷を刻みながら、なおも止まらない。
地上から伸び上がる選定の勇者と、宙から舞い降りる円卓の騎士が、上下から怪鳥の核を目がけて武器を振りかざす。
刹那、≪スパルナ≫が奇声を発して膝を伸ばした。
『キシュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ‼』
痛みと魔力の
「ヤバいヤバいヤバーーーーい」
「ユウリス・レイン、そっちに行きますわ!」
そこで狂乱の矛からライラを守っていたユウリスが、最後の力を振り絞って剣を構えた。揺るがぬ刀身に宿るのは、清廉なる破邪の輝き。
彼は渾身の力で、白刃を薙ぎ払った。
その切っ先から放たれるのは、弱々しくも淀みのない闇祓いの波動――蒼白の斬撃が、怪鳥の王を目がけて飛んでいく。
「いい加減、
ハルバードが奔り、首飾りと宝石を粉々に砕いた。そのまま戦斧の刃が肉を断ち、赤紫の血飛沫が舞う。
さらに空中で身を翻したメドラウトは、槍の先で核を突き刺した。しかし、一撃で砕くには至らない。
「くっ、またしても浅いですわ!」
二撃目を繰り出そうとしたメドラウトに、≪スパルナ≫が頭突きを繰り出す。弾き飛ばされそうになった彼女は、
「トリス、任せましたわ!」
「わかってんよ! ライラ、いけるよな!」
「もちろんです! 女神ダヌよ、私に力を!」
カリブルヌスに精神をつなげたライラが、刀身からから溢れる神秘の威容を制御した。選定の勇者が引き絞る刃に、魔を討つための聖なる輝きが宿る。
すでに首飾りはなく、メドラウトが斬り裂いた傷口の奥には剝き出しの核。
トリスが声を枯らし、握りしめた剣を振り抜く。
「おおおおおおおおおおおりゃああああああああああああああああ!」
光が収束し、黄金色に輝く。
そして選定の剣から撃たれた流星は、今度こそ≪スパルナ≫の核を貫いた。白目を剥いた怪鳥の王が、最後の足掻きとばかりに体を揺らすが、もはや四肢の自由は利かない。
メドラウトは宙に投げだされ、トリスが土ぼこりと共に蹴り飛ばされる。
瞬間、言葉にできない予感に駆られたライラは、必死に前へ足を動かしはじめていた。それは彼女に生まれつき備わった、第六感の啓示。
ユウリスの制止も聞かず、金髪の少女がひた走る。
「トリス、トリス、トリス!」
命の終わりを覚悟した≪スパルナ≫は、冥府への道連れにトリスを選んだ。ただ前に倒れ込みながら、鋭いくちばしが彼女を狙う。カリブルヌスの力を存分に発揮した少女は力尽き、もはや指先ひとつ動かせない。
「あ、ヤッベぇ」
尖った怪鳥の顎が、勢いよく落ちてくる――その前に、ライラが立ちはだかった。
「――穢れなき導よ―――
――I will fear no evil―――
―― ――!」
終わりの風が吹く。
渾身の精神力を込めて放たれた法術が、気流の大渦を生みだした。≪スパルナ≫の首があらぬ方向に曲がり、その巨体が横薙ぎに吹き飛ぶ。岩肌を揺らした≪ガルーダ≫の王はわずかに
無我夢中で行使した力の代償に、ライラの意識も遠のいていく。
離れた場所から、ユウリスとメドラウトの声が聞こえた。
「ライラ、トリス、無事か!?」
「二人とも、大金星ですわ!」
暗闇に包まれた空に、王を失った≪ガルーダ≫の群れが飛び去った。≪ナーガ≫たちは歓喜に湧き、華やぐ
結界を解いたエウラリアが、足元に転がってきた宝石の欠片を拾い上げた。
「これがガルーダの宝石か。ライラは、どこじゃ?」
岩肌に寝転んだトリスとライラは、互いに手を伸ばしあっていた。懸命に、残された力の最後を振り絞って。
「ライラ」
「トリス」
呼び合った瞬間、二人は気絶した。
指先は触れ合うことなく、落ちた手はぴくりとも動かない。駆けつけたユウリスとメドラウトは、同時に顔を見合わせた。
その光景を遠目に眺めていたエウラリアが、緩く首を振る。
「うむ、たしかに見届けたぞ」
そして彼女は、手の中の宝石を彼方に投げ捨てた。
萌黄色の髪を夜風になびかせる姫巫女に、背後から近づく者がいる。負傷した片脚をひきずりながら、ウルカは肩をすくめた。
「いいのか、先に拾ったのはお前だろう」
「きゃふふふふ、あの二人を見よ。聖女の選定は、すでに決しておるわ」
ゴリアス大渓谷に散らばった、無数の赤い欠片。その
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