最終話 邪竜の後継者

00 ドラゴン

 いにしえの伝承を語る上で、もっとも欠かせない存在がドラゴンだ。

 それは神話の獣、異境の番人、怪物の霊長としても知られており、幻想と神秘の代名詞ともいえるだろう。


 様々な叙事詩じょじしに登場する竜種だが、姿かたちに大きな差異はない。外見は鋭い牙と爪を生やした爬虫類であり、その巨躯きょくは硬いうろこに覆われている。ほの暗い洞窟や遺跡の奥、湖の底、遥かな尾根にみ、真の勇者だけが彼らの元へ辿り着けると伝えられてきた。優れた叡智は迷える者を導き、膨大な魔力は天候すらも意のままに操るという。


 起源をさかのぼるほどに、その性質は変わる。大昔、竜種は神に等しい存在と考えられていた。ダーナ神教の影響が少ない南のモルフェッサ地方や北西の妖精郷オグマの文献には、大陸の創世記に現れたドラゴンが登場する。母神ダヌとは異なる系譜けいふの神として記されているが、出典には謎も多い。こんな話がある。



 大いなる巨人の亡骸に創生の大樹を植えた神々は、トゥアハ・デ・ダナーン大陸を創造した。そして外界のあらゆる災厄を封じるため、世界と同じ大きさになれるミズガルズオルムの蛇竜へびりゅうに大地を囲わせたという。



 現在では荒唐無稽こうとうむけいな異説とされているが、かつて天文学者たちは大陸球体説を支持していた。大地は皿のような平面ではなく、絶えず回転を繰り返す丸い天体であるという。その論説は我々の世界を地球という名の星と定義し、一つの生物として捉えていた。


 竜種は、古の書物において星の獣という名で登場する。ここに記される星が天上に散らばる夜のきらめきではなく、大陸球体説における地球を示しているのだとしたら、神々の起源を探る上での新たな手がかりとなるかもしれない。


 一方でドラゴンの本質から大きくかけ離れているのが、炎や氷を吐くような怪物としての側面だ。これは娯楽を重視した近代創作の拠る誤解が多く、実際に神話で語られる竜種は毒をはらむ描写こそあれ、その大半が魔術による神秘を行使する。だが一概に作家や吟遊詩人ばかりを責めるのも間違いだ。ワイヴァーンに代表される亜竜ありゅう種をはじめとして、学者によって種族の意見が分かれるチェルフェなど、線引きが曖昧あいまいな部分も否めない。


 時の移ろいと共に、ドラゴンは怪物の覇者として変化を遂げた。鱗の一枚、血の一滴、牙の欠片すら宝物とされる竜種を追い求めて、旅立つ者は後を絶たない。エルフ語を用いたドラゴン・スレイヤーという称号は、戦士たちが勝ち得る最高の栄誉に間違いないだろう。竜殺しの逸話は数あれど、もっとも有名なのはブリギット地方の建国神話だ。こんな話がある。



 魔神バロールの呪いによって、火の女神ブリギットは邪竜じゃりゅう変貌へんぼうしてしまう。太陽の光は塵の天井に覆い隠され、川は凍りつき、土地は荒れ果てた。故郷の惨状を憂いた少女アメリアは、妖精の女王が持つ二つの至宝を求めて旅に出る。ひとつはヌアザの大剣とも呼ばれる不敗の剣、ダーインスレイヴ。ひとつは運命石リア・ファルからこぼれた欠片、スクーン石。アメリアは妖精の女王から二つの至宝を得て、邪竜ブリギットを退治した。その後、元の姿を取り戻した火の女神は大いに歓喜し、アメリアの善行に報いて清められた竜の力を与えたという。



 伝承の時代が終わりを迎えた現在も、ドラゴンは依然として神秘の象徴だ。人間の価値観など意に介さず、その存在は畏怖いふ憧憬どうけいのなかで永遠に息衝いきづくのだろう。


 ――フラン・ビィ『神話と魔獣』(アーヴェン書房、一七九一年)




【登場人物】

 ユウリス・レイン:黒髪の少年。公爵家の庶子。本編の主人公。十五歳。

 キーリィ・ガブリフ:赤毛の男性。若手の元老院議員。三十七歳。


 セオドア・レイン:ブリギット国を治める公爵。ユウリスの父親。四十一歳。

 グレース・レイン:セオドアの伴侶。神聖国ヌアザの元王族。四十三歳。

 アルフレド・レイン:金髪の少年。レイン公爵家の嫡男。十四歳。

 イライザ・レイン:金髪の少女。レイン家の長姉。ウィッカの盟主。十六歳。

 ドロシー・レイン:金髪の少女。レイン家の次女。双子の姉。十二歳。

 エドガー・レイン:金髪の少年。レイン家の三男。双子の弟。十二歳。

 ヘイゼル・レイン:金髪の少女。レイン公爵家の三女。八歳。


 カーミラ・ブレイク:赤毛の少女。ユウリスの恋人。魔女。十六歳。

 マーサ:ふくよかな老婆。ウィッカの盟主。

 アナスタシア:銀髪の若い魔女。


 サヤ:下水道に住む赤毛の幼女。

 ナダ:下水道に住む妙齢の金髪の女性。

 ボイド:下水道に住むサヤの父親。三十代後半。


 エイジス・キャロット:ちょび髭の男性。ブリギットの市長。四十七歳。

 ゲラルト・ミュラー:初老の男性。ブリギット大聖堂の司教。

 ウィリアム・アーデン:赤毛の男性。ブリギット領邦軍の将軍。四十一歳。

 ジェイムズ・オスロット:口髭の男性。ブリギット市の警部補。三十九歳。

 グレン・ファルマン:痩せこけた男性。ブリギット市の警察官。三十九歳。

 ナルニア・ブルックウェル:赤毛の女医。二十七歳。

 テムジン:下水道の中年男。片脚の不自由な自称占い師。

 ランドロフ・カース:鍛冶屋の息子。愛称はランディ。十七歳。

 ロバート・カース:鍛冶屋の主人。ランドロフの父親。


 アーネスト・アノ:剃髪の若い男性。ブリギット武術道場の三高弟。師範代。

 ネイナ・ナーナ:赤毛の若い女性:ブリギット武術道場の三高弟。二番手。

 ガノ・ルガト:赤毛の若い男性:ブリギット武術道場の三高弟。三番手。


 フミル:クマのぬいぐるみ=パッフィに宿る怨念。別名ミアハの人形。

 エリザベス・オルキン:薬師の娘。愛称はリジィ。十四歳。

 ジェシカ・バーグ:銀髪の女性。レイン家に仕える侍女。二十八歳。

 ダニー・マクフィー:糸目の青年。キーリィ・ガブリフの秘書。


 リュネット:猫の妖精。ケット・シーの姫。

 オリバー:三十四年前の大洪水で奇蹟を起こした少年。故人。


 クラウ:白狼と呼ばれる雪原の魔獣。白い毛並み、金色の瞳。めす

 ウルカ:亜麻色の髪の女性。怪物狩りの専門家。外見は二十代前半。


 登場人物イラスト(リンク先:近況ノート)

 https://kakuyomu.jp/users/nagarekawa/news/16817330654131674912




【これまでのゲイザーは】

 舞台は豊穣国ブリギット。大いなる水と土の都をむしばむ事件は、一年前の春に幕を開けた。最初のくさびは、遥か遠方より訪れた邪念。子供たちの遊びによって召還された、闇の騎士ジェイド。おぞましき邪念によって影の国が到来し、オリバー大森林の霊場は崩れた。それによって創生の大樹イルミンズールの暴走がはじまり、封印されていた女神の至宝――ダーインスレイヴとスクーン石が解き放たれる。


 次の楔は一ヵ月後、魔導王リッチの暗躍。オリバー大森林から解き放たれた二つの至宝、別名ブリギットの剣と指環を巡り、ゴーレムが闊歩した市庁舎占拠事件。この企みは失敗に終わり、さらに街に混乱を起こす目的で手引きされた者たちは、火竜の子供を巡る予期せぬ騒動を引き起こした。


 最後のくさびは夏、ミアハの人形なる悪魔が目覚める。混乱と恐怖が人々の間に蔓延し、子供の集団昏睡の事件と、屍人しびとの復活が深い傷痕を残した。リッチの失敗は、ここで挽回されたといっても過言ではない。すでに準備の大半は、この段階で整っていた。


 そして秋、追い討ちの楔。棄民である地下住民の不満を煽り、地上との隔絶が浮き彫りになった収穫祭をもって呪詛は成就する。いまにして思えば、あのとき市が棄民の存在を認めていれば、この計画は中途で閉ざされていたかもしれない。


 道のりは、決して平坦ではなかった。闇祓いと呼ばれる者たちに行く手を阻まれ、計画は当初の予定から何度も軌道変更を余儀なくされている。その中心にいたのが、公爵家の長男でありながら忌み子と呼ばれる少年ユウリス・レインだ。彼は傷つき、迷いながらも、一年に渡る戦いを力強く駆け抜けた。その矜持と意思を、心から讃えよう。


 だが、もはや、なにもかもが手遅れだ。春の感謝祭が間近に迫り、紅と蒼の満月が瞬く今夜、ブリギットは終わりを迎える。怪物は地底より解き放たれ、都市を焼く黒き火が絶えることはない。これは悪意に満ちた世界に絶望した独りの男が、永劫の復讐を遂げる物語だ。


 僕の名はキーリィ・ガブリフ。魔導王リッチの子にして、悪意の権化ごんげ。さあ、これが最後の饗宴きょうえんだ。呪われるがいい、ブリギット!

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