04 魔鉱石

 襲撃者は、ユウリスの義姉あね――イライザ。


 ウルカに鍛えられた甲斐もなく、背後から腕を捻られて拘束されてしまう。レイン家の長姉は、カーミラとユウリスのやり取りを窓から眺めていた。まさか体操着でデートへ赴くつもりなのかと冷やかす。


「私がいい感じに仕立ててあげるわよ。感謝なさい、いまとても退屈していたの」


 義姉の傍若無人な態度にはうんざりするが、ユウリスはあっさりと抵抗を諦めた。


 以前にも着せ替え人形になることを強要されたことがあり、拒否した結果が惨憺たるものだったからだ。奮闘むなしく義姉の腕力に屈し、反抗した罰として義弟の派手な服をあてがわれるという苦い記憶がある。そのまま花を買い行けと命じたイライザは愉悦に満ちた表情は、いまも忘れることができない。


「あの悪夢は二度とごめんだ……」


「なに?」


「なんでもない」


 ユウリスは好奇の視線に晒された挙句、帰宅後には儀礼服を勝手に着用したとアルフレドに責められた。あの恥辱も、脳裏にこびりついて離れてくれない。


「とりあえず自分で選ぶから、おかしかったら助言をくれる?」


 ユウリスの提案にイライザは頷き、共に二階の自室へ移動した。


「さ、着替えよ、ユウリス」


「ずっと見てる気?」


「弟の恥ずかしい姿を見るのは姉の特権よ」


「レイン家の常識、世間の非常識」


 ため息を吐きながら、ユウリスはまず腰のベルトに短剣を吊るした。下水道には怪物が潜んでいる可能性があり、念のための装備だ。また街の外へ出るのだから、服は動きやすいことが望ましい。


 衣装棚から麻のシャツと、薄手の長袖を選び取ったところで、イライザから制止がかかった。外では見せない歪んだ表情を浮かべた彼女が、呆れ混じりに苦言を呈す。


「嘘でしょ、ユウリス。あんたこれから、ワオネルと野山を駆け回りにいくわけ?」


 懐かしい名前に、ユウリスは思わず口元を綻ばせた。幼い頃には縞模様の毛並みを追いかけて、よく原野で泥だらけになったものだ。


 ブリギット近郊を歩けば、ワオネルの尻尾を踏まないほうが難しいというくらい、その小動物はどこにでも棲息せいそくしている。耳と尻尾の長い、ネコ科の動物だ。警戒心も薄く、特に人間の子供にはよく懐くことで知られている。


「全然ダメよ。あんた、よくもその感性で私と同じ屋根の下で暮らしているわね。信じられないわ、唾棄だきすべき事案よ。ああ、それにしてもこの部屋、やっぱり暑いわ。いらっしゃい、私の部屋で着付けをしましょう」


 じめっとした梅雨の時期だ。


 窓も開けても、部屋の居心地は苦行と変わらない。


 衣装棚の中身を片っ端から持たされ、ユウリスは自室から連れ出された。どの部屋でも蒸し暑いのは変わりないだろうと思うが、余計な一言は怪我の元だと口をつぐむ。


「あんたが私の部屋に来るの、久しぶりじゃない?」


「そういえば、久しく冥府の門が開いた記憶がないね」


「言いえて妙だわ。聖書によると、冥府は血も凍りつくそうね」


 義姉が部屋の扉を開けた途端、ユウリスは清涼な冷気に晒された。地下の氷室と錯覚するような風が、廊下へと流れ出る。


「冷たい風が逃げるわ。ユウリス、早く入りなさい。戸を閉めて」


 抱えていた衣類をソファに置き、ユウリスは慌てて扉を閉めた。


 ひんやりとした空気が室内に停滞しており、滲んでいた汗が冷えて乾いていく。冷風の発生源を、すぐに見つかった。箪笥たんすの上に置かれた、鉄の筒だ。大きさは二の腕くらいだろうか。曲線を描く縦の亀裂が等間隔にはしり、その隙間から冬の吐息が荒んでいる。


「なに、これ?」


 その溝に触れようとしたユウリスの手を、イライザが乱暴に弾いて制止した。


「馬鹿、よくわからないものにすぐ触ろうとしないの。気をつけなさい。迂闊うかつに触れれば、凍傷で指を失うわよ」


「え、そんな怖いもの使っているの?」


「火傷が怖いから、料理に火を使わないというの? それは猿と同じよ。人間の叡智えいちは、手に余るものを御してこそでしょう、これも、そういうものと思いなさい」


 冷気を放つ鉄筒――冷風機という名称を、イライザは美的感覚の欠片もないとき下ろした。彼女の説明によると、動力源は魔鉱石まこうせきだ。


 絶対零度の魔力を秘める、北部原産の時凍石じとうせき


「魔鉱石ってたまに聞くけど、実際なんなの?」


「古い地層で見つかる、魔力を秘めた鉱物よ。街灯の夜光石、上下水道の流動石、下水処理場の分離石、こういうのは全部、魔鉱石に分類されるわ。けっこう身近でしょう。特殊な加工を施して、人間が上手く利用しているの。この時凍石も、触れた対象を一瞬で凍りつかせる恐ろしい鉱物よ。でも特殊加工を施して、魔力制御の金属で制御すれば人の日常へ転用できる。こうして涼しいと感じるくらいの温度で、風を放出できるってわけ」


 ユウリスは冷風機にも素直な関心を示した。


「へえ、不思議。これがあればずっと涼しいんだ。なんか、夏の妖精が怒りそうだね」


 こんな道具があるならば猛暑も快適だと思う一方で、値が張ることも予想できる。義母の悩みはアルフレドの教育とユウリスの存在、そして長姉の浪費癖だ。レイン家の頂上決戦を危惧する義弟に、イライザが鼻を鳴らす。


「冗談。冷気を調節する技術論文は、私が提供したのよ。これだってまだ市販化前。開発者用の試作品。試験運用の報告書を提出するために使っているってわけ。誰に文句を言われる筋合いもないわよ」


「これイライザが考えたの!?」


「あくまで、温度制御に関する技術論文の協力よ。絶対零度の魔鉱石を採掘、運搬、保管する技術は、もう二十年くらい前に確立されたものらしいわ。それもドワーフの遺跡から得た知識を、ただ解読したのでしょうけど」


「二十年前からこんな便利なものがあって、まだ試作段階なの?」


 希少価値や取り扱いの危険性は理解した。市販化を前提に開発されているのなら、少なくとも安全性と量産の目途は立っているはずだ。これが流通すれば、人々の生活を大きく変えることになるだろう。ただ開発期間が二十年以上というのは長い。


 イライザは服を見繕いながら、億劫おっくうそうに答えた。


「北部の永久凍土に眠る時凍石。今でこそ冷風機の核になっているけれど、実用化が検討されたのは二十年前――つまり六王戦役の真っ只中よ。意味、わかる?」


 六王戦役は聖王国ダグザの暴君に、他の五王が反旗を翻した大戦だ。


 暴君オラティル王が討たれた後も、聖王国の分裂で争いは泥沼化した。現在の七王国制度へ到って終戦を迎えたのは、ユウリスが生まれる少し前のことだ。しかし戦後の生まれの子供からすれば、教科書に記され昔の出来事でしかない。ただ大飢饉だいききん疫病えきびょうも重なり、ひどい時代であったというのは聞いている。


 いまでこそ、と口にした彼女の台詞で、時凍石の研究目的は察しがついた。


「時凍石は、兵器に使用された?」


「ご名答。実際に運用していたのは聖王国ダグザ。でも軍事機密を理由に、戦時下の使用記録を出し渋っているのよ。おかげでこっちは、一から解析しているのに等しいわ。まあ遣り甲斐はあって面白いけれど。何年か前の夏にお爺様がいらしたとき、石焼料理の後始末を任されたアルフレドが爆発を起こして骨折したの、あんた覚えてる?」


「ああ、覚えてる。でもあれ、なんだったんだろう。アルフレドが焼石に水をかけて冷やそうとしたら、急に爆発が起こって――吹き飛ばされたあいつは、落下して指を折った。ちょっと可哀相だったな」


「暑さでぼーっとしていて、お爺様の注意を聞いていなかったのよ。アルフレドが悪いわ。あの焼石も魔鉱石――灼熱業火の黒焔石こくえんせきというの。ブリギットの深い地層からも採掘できるのよ。時凍石に劣らず面白い性質があるわ。黒焔石は熱量の塊。可燃性の鉱物で、火を近づければ引火する。燃えた鉱物自体も溶岩くらいの熱を持つの」


「溶岩! よく、鹿肉が溶けなかったね」


「ユウリス、あんた正気?」


 熟考もしない義弟へ向けられるイライザの視線は、心の底から愚かしいといわんばかりだ。いまの表情を浮かべた彼女は、相手を同じ人として認知しない。それこそ本当に猿の扱いだ。


 ユウリスは単純に、尊厳が傷ついた。


「べ、勉強する」


「本当に学校を卒業できるかしら。落第なんて、レイン家の恥よ。私、絶対に許さないから。いいこと、本ばかり読んでいないで世界を歩きなさい。南のブルゼン活火山で、溶岩と蝋燭ろうそくの外炎温度を比較してみるといいわ。蝋燭の方が温度は遥かに高いのよ」


 世界を歩けるのなら、そうしたい。

 肩身の狭い家を出奔しゅっぽんして、自由に生きるのがユウリスの願いだ。


「世界、か」


「漠然と言われても実感はわきにくいでしょうけどね。外に出て風の行く先に進めば、どこかに着くわよ」


 これまで気ままに国外旅行を楽しむイライザをずっと羨んでいたが、その感情は少しだけ変化した。彼女は奔放ほんぽうに世界を飛びまわるだけではなく、五感で知識を得る為、学びの姿勢で各地へ足を伸ばしていたのだ――と、勝手に感心するユウリスの胸中など知る由もなく、イライザは恍惚とした表情で思い出に浸る。


「古都モルフェッサの石焼料理は、本当に絶品よ。世界中の料理を味わうために旅する私の、三本指に入れてあるわ。柔らかくて赤身の残った子牛のステーキ、香ばしい塩の香り漂う沼海老の丸焼き、そしてカラメル焼きアイスクリームとオーモンの実の包み焼き!」


「俺の感動を返して」


「え、なによ、いきなり」


「いいよ、それより黒焔石と時凍石にどんな関係があるの?」


「ああ、そうだったわね。黒焔石は、熱しやすく冷めやすいわ。高温になるのは一瞬で、急速に熱を放出する性質があるの。そこに水をかけると、鉱物に含まれた魔力が反応する。放出熱に接触した水分の温度に応じて、爆発を起こすわ。水が低温であるほど、爆発の規模は大きくなる」


「じゃあ絶対零度の時凍石を、熱した黒焔石にぶつけたら――どれくらいの規模になるの?」


 尋ねると、意気揚々としていたイライザが急に勢いを失った。


「さあ、そんなの私が知りたいわよ」


 首を横に振りながら、彼女は苛立たし気に指先で壁を叩いた。ここから先の情報は、開発元の聖王国ダグザに開示拒否を貫かれているらしい。


「情報筋によると、けっきょく実用化はされなかったみたい。本格的な実戦投入の前に、開発が頓挫したって噂よ。費用対効果が合わなかったんですって。でもそうね、井戸水の冷たさでアルフレドが吹っ飛んだわ。氷が張るくらいの低温なら、大人が宙を舞うかしら。時凍石なんて使ったら、それこそ人間の四肢がおぞましいことになるかも」


 講義の間も、イライザの服選びは続いていた。


 ユウリスへ様々な服を掲げては、組み合わせを試行錯誤する。派手さが足りなのよね、と不穏なことを呟き始めた義姉に、ユウリスの胸中穏やかではいられない。アルフレドの奇抜な衣装をあてがわれるのは御免だ。


 注意を逸らすように、魔鉱石の話題を無理やり続ける


「そんなものが実用化しなくて安心だけど、費用対効果って、つまり作る費用に対して得られる効果が少ないって意味でしょ? なんか間抜け」


「時凍石って、魔鉱石の中でも特段に扱いが難しいのよ。馬車一つ分を発掘、保存、運搬する費用で、小さな町の年間予算くらいはまかなえるわ。逆に黒焔石はどの国の地層にもあって、引火にさえ注意すれば安全な鉱物よ。熱した黒焔石を投石器で撃つ、なんておかしな攻撃はあったみたいね」


「火事を誘うの?」


「火災で略奪品が燃えたら、得られるものを失った兵の士気が下がるでしょう。黒焔石を街の外縁に投げて囲むのよ。蒸し暑さで敵兵が鎧を脱いだところを攻めたんですって。軍人って馬鹿よね。そういえばあんた、ちょっと汗臭いわよ」


 イライザは引き出したのは、薄緑の液体が揺れる硝子瓶だ。香水だと察し、ユウリスが困惑顔で唇を尖らせる。


「男が香水なんておかしいよ。カーミラだってつけていないのに」


「ダグザやミディール、エーディンでは紳士のたしなみよ。ほら、私が香水のつけ方を教えてあげる。服を脱ぎなさい」


 顔をしかめて嫌そうにするユウリスの服に、イライザが強引に手をかけた。抵抗する気概もなく、ユウリスはあっさりと下着一枚に剥かれてしまう。


「この年になって、またイライザに服を取られるなんて思わなかったよ」


「何年前のこと根にもってるのよ。ほら、動かないで」



 イライザはピッチャーの水で湿らせた布で、ユウリスの身体や髪を丁寧に拭いた。それから膝裏と手首に手際よく霧状の溶液を噴きつけると、満足そうに頷いて頬を緩める。


「これでいいわ。すっきりとした薄荷はっかの成分だから、消臭にも効果的。手首同士を擦らせて、耳の裏側にも塗りなさい。はい、それから着替え。いつまで私に裸を見せているつもり。お金を取るわよ」


 イライザが悪戯っぽく八重歯を覗かせ、見繕った服を投げて寄越す。自分が脱がせた癖に、とユウリスは情けない顔でぼやいた。本当に傲慢で、性格が悪く、唯我独尊を絵に描いたような義姉だと思う。


 その一方で才気に溢れた彼女には、尊敬の念も抱いていた。


「イライザには一生、勝てる気がしない」


「あんたの諦めのよさ、私は大嫌いよ。そういうところはアルフレドを見習うべきね。あの子が勉強だけじゃなく、苦手な武術も頑張っているのは――ああ、これは私が言うことじゃなかったわ。忘れて。ほら、いいからさっさと服を着なさい」


 イライザはソファに腰を下ろし、脚を組んだ。太股に肘を立て、手にあごを乗せながら、義弟の着替えを見守る。


 冷風に身体を震わせるユウリスは、手早く服に袖を通していった。ボタン付きの胴着は薄茶色で、刺繍ししゅう入りの下穿したばきは黒色だ。濃紺系のフードケープを上から羽織り、イライザに貸与されたブローチで胸元を留める。青い竜を象った藍銅鉱らんどうこうのブローチは、なかなか格好いい。


「このブローチって、男ものだよね?」


「ロイン家のグロバーへ贈るつもりだったのよ。買った当時は付き合っていたのだけれど、渡す前に別れちゃった。あんたはカーミラの前で、別の女に鼻を伸ばしたら駄目よ」


 茶色のブーツを履いて、紐をきつく締める。


 これで着替えも終わりだと安堵したところで、イライザが唐突に口走った。


「あんた、もう少し目つきが柔らかければ、舞台俳優とかでもいけそうなのにね」


 そして更に、義姉の悪ふざけは続く。


まつげいじれば雰囲気が変わるかもしれないわ」


 妖しげにぎらつく彼女の瞳に、ユウリスは戦慄した。


「俺、そろそろ行かないと。カーミラをだいぶ待たせているから、このままじゃ怒って帰っちゃうよ!」


「ちょうどいいわ、あの娘も呼びましょう。きっと好きよ、こういうの!」


「デートどころじゃなくなるだろ。せっかく着替えたのに!」


 それは確かに本末転倒だと、イライザも諦めた。


 義姉の魔手から逃れ、ユウリスは慌てて屋敷を飛び出した。影の位置が変わるくらい待たされたカーミラは、少しムッとしている。しかし様変わりしたユウリスの姿を目にして、途端に顔を輝かせた。


「ああ、ユウリス。わたしと街を歩くから、服を選んでくれていたのね。香水までつけているなんて! あなたにそういうところがあったの、少し意外だわ。でも嬉しい。さあ行きましょう、ユウリス。エスコートしてね?」


 一変してご機嫌な様子のカーミラに、ユウリスは首をひねった。


 どうして男の自分が服を変えて喜ぶのか、ちっとも理解できない。寝そべっていた白狼が、のっそりと起き上る。そして女心を欠片も理解していない少年に半眼を向けながら欠伸あくびを噛み殺した。

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