「キャロライン、絶対にメイナードには内緒にしててよね?」


 アイリーンはもう何十回目になるかわからない念押しを、対面座席に座っているキャロラインへ向けて言った。

 がらがらと小さく振動する馬車の中、キャロラインが半眼になって嘆息する。


「あーはいはい。でもね、わたしが言わなくても、たぶんお兄様かファーマンあたりがばらしちゃうと思うわよ」


 馬車の窓外はのどかな農村地が広がっていて、春になったばかりの穏やかな青空が広がっていた。

 グーデルベルグ国を出発して一か月半。

 ランバース国を出立してからは、半年が経っていた。


 ――もうじき、イダルーク国とランバース国の国境が見えてくる。


 馬車の中にはキャロラインとアイリーン、そして小虎の三人だけだ。

 ダリウスからいろいろなお土産を持たされて、ランバース国から出発したときよりも大荷物での帰還である。


「でも、ダリウス殿下が無事で本当によかったわね」


 アイリーンが言うと、キャロラインが目をつり上げた。


「それを言うなら、あんたが一番大変だったのよ! わかってるの?」


 数か月前のことを蒸し返しての説教がはじまる予感がしたアイリーンは、うへっと肩をすくめる。

 闇の力を封印していたルビーが粉々になったあのとき、アイリーンは確かに死んだはずだった。

 命がけで、みんなを助けてほしいとリアースの神に祈ったあのとき、アイリーンの心臓の鼓動は確かに止まっていたらしかったから。


(やっぱりあれは、ただの夢じゃなかったのよね……?)


 マーガレットの草原で、サーニャに帰るように言われた。きっとあれは夢ではなく、死に向かおうとしていたアイリーンを、サーニャが助けてくれたに違いない。

 サーニャの夫である前王弟ハリソンから預かった指輪もいつの間にか消えていたし、死ぬはずだったアイリーンが生きているのもおかしいのだ。

 命を懸けてリアースに祈ったなんてことが知られたらメイナードが怒るだろうから内緒にしておきたいのだが、なくなった指輪のことはどう説明したらいいだろう。


(指輪どころか……スピネルのネックレスに闇の力を封印しましたなんて、どう誤魔化せばいいのかしら……)


 グーデルベルグ国を出発してずっと頭を悩ませているのだが、これぞという言い訳が思いつかない。

 いっそのこと正直に白状してしまおうかとも考えたが、ファーマンからもバーランドからもキャロラインからも散々怒られて、小虎には泣かれて、ダニーにはあきれられたアイリーンは、もうこれ以上誰からの説教も受けたくはなかった。

 あの時はああするしかなかったと何度言い訳しても、「本当に死んでいたらどうするところだったの‼」と泣きながら怒られれば、「ごめんなさい」しか言えなくなるからずるいと思う。


 サーニャのおかげか、アイリーンは一命をとりとめたが、リアースはアイリーンの願いを聞き届けてくれていたようで、ヴィンセントに切られて生死の境をさまよっていたファーマンも、会議室でニコラスに刺されたというダリウスも、アイリーンが目を覚ました時はみな無事な姿だった。

 ただニコラスとリリーだけは、もうどこにもおらず、代わりにニコラスとリリーが依り代にしていたアドルフとバベットがきょとんとした顔をしてそこにいた。


 そして、ヴィンセントは――


(世界の終焉と再生、か。……あの人は、そんなにこの世界が生きにくかったのかな。そうだよね……、家族全員、殺されちゃったんだものね)


 アイリーンの意識が戻ったとき、ヴィンセントは事切れていた。

 バーランドが、斬ったそうだ。

 キャロラインも、手に持っていた小型爆弾をヴィンセントめがけて投げつけたと言うからすごい。……ダニーによると、投げたはいいがヴィンセントにはかすりもせずに、奥の玉座を爆破しただけだったと言うが、だがそのおかげでバーランドが隙をつくことができたらしい。

 ニコラスとリリー――リリアーヌは、逝ったのだろうか。


(ニコラス殿下のしたことは許されることじゃないけど……)


 リリアーヌを抱きしめて叫んだ彼の慟哭は、今でも耳に残っている。同情すべきでないとわかっているが――ただただ悲しかった。


「アイリーン、聞いてるの⁉」


 キャロラインにハッとしてアイリーンは、慌ててうんうんと頷いた。

 キャロラインの説教は耳に胼胝ができるほど聞いてきたから、ついつい聞き流してしまったが、それがばれると烈火のごとく怒られる。


「聞いてるわよ。ねー? 小虎?」

「があぅ?」


 アイリーンの膝の上でうとうとしていた小虎が、呼ばれて眠そうな目を向けてきた。

 もうじきランバース国に入る。

 メイナードは、どうしているだろう。


(早く会いたいな……)


 王都ヴァリスにつくまで、あと二週間ほどだろうか。

 アイリーンがメイナードの顔を思い浮かべて、そっと目を閉じたときだった。


 急に馬車の速度がおちて、アイリーンは驚いて顔をあげた。

 キャロラインも怪訝そうな顔で、御者台側の窓を叩く。

 だが、キャロラインが御者に事情を訊ねる前に馬車が停まり、コンコンとその扉が叩かれた。

 扉を叩いたのは、バーランドだった。

 アイリーンが馬車の扉の鍵を開けると、バーランドが微苦笑を浮かべて馬車の扉を開いた。


「アイリーン。殿下だ」


 何を言われたのか、最初、アイリーンは理解できなかった。


(殿下?)


 首をひねりつつ馬車を降りたアイリーンは、離れたところに一台の馬車が停まっているのを見て大きく目を見開く。

 第一騎士団のガーウィン隊長を先頭に、騎士に取り囲まれるようにして存在する馬車には、ランバース王家の紋章。

 とくとくと、アイリーンの鼓動が早鐘を打ちはじめる。


「アイリーン」


 バーランドがそっと手を差し出して、アイリーンを馬車から下ろしてくれた。

 少し離れたところの馬車から、一人の青年が降りてくる。

 黒髪に、濃紺色の瞳。

 アイリーンの、大好きな人。


「メイナード……」


 アイリーンの唇が震えた。


「アイリーン!」


 大好きな声がアイリーンの名前を呼んで、こちらに向かって走ってくる。

 小虎をそっと地面に下ろすと、アイリーンは駆け出した。


「メイナード‼」


 ずっと馬車での移動だったから、うまく走れなくて、何度も転びそうになる。

 ほとんどの距離を埋めてくれたメイナードに、両手を広げて抱きつけば、ぎゅっと力いっぱい抱きしめ返してくれた。


 ぼろぼろと涙が溢れてくる。


 会えばたくさん言いたいことがあったのに、いざメイナードを前にすると全部頭の中から飛んで行って、アイリーンはただただしがみつくようにしてメイナードを抱きしめた。


「メイナード、メイナード……!」

「うん。……おかえり、アイリーン」


 ああ、メイナードだ、と心が安堵する。

 フォレスリードだった時の、アイリーンを拒絶するような響きはどこにもない。


 アイリーンはメイナードの胸に顔をうずめて泣きながら微笑んだ。


「……ただいま、メイナード」


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