真っ白く雪で覆いつくされた墓地に花を供え、アイリーンはそっと瞑目した。

 離宮に着て十日。ダニーとマディアスは用事があるたびにドーランの町へ出かけているが、アイリーンたちはダリウスからの連絡を待つ間、離宮を拠点にすることにした。


 理由は二つ。

 一つは、ヴィンセントやニコラスのこと、そして離宮の使用人がモーリスを残し一夜にして全員死んでしまったことなど、ここにはまだ謎が多く残されているからだ。

 そしてもう一つは、フィリップの正体に気づいたモーリスの監視だった。モーリスはアイリーンたちを丁重にもてなしてくれて、おかしな行動はとるそぶりはないけれど、フィリップは指名手配中で、アイリーンたちもニコラスに狙われている。些細な危険も冒せないので、モーリスから目を離すわけにはいかないのである。


「アイリーン、お昼ご飯だって」


 アイリーンが死者の冥福を祈っていると、キャロラインが呼びに来た。

 ダニーとマディアスがドーランの町に出かけるついでに、食料を買って帰るので、これまで週に一度しか食料を届けられなかった離宮の食卓事情は格段にアップしたらしい。モーリスも嬉しそうだ。


(……お菓子の割合が妙に高いけどね)


 甘党ダニーは、食料調達ついでにお菓子を大量に買ってくる。キャロラインは嬉しそうだが、ダニーとキャロラインは油断しているとお菓子を食事のかわりにしかねないので、バーランドが渋い顔をしているのも事実だ。


 雪の中で遊んでいた小虎を呼んでアイリーンが裏口から離宮の中に入ると、薪を運んでいたファーマンとかち合った。アイリーンたちが来たので準備していた薪がたりないかもしれないとモーリスが言ったため、ファーマンとバーランドは時間があるときに薪割をしている。最初は客人にそんなことはさせられないと恐縮していたモーリスも、さすがに一人ですべてのことをするのは無理があると思ったのか、今では申し訳なさそうにしつつも手伝わせてくれるようになった。


「また裏庭の墓地に行かれていたんですか?」

「うん。わたしには祈るしかできないけど、少しでも安らかに眠ってくれればいいなと思って」


 本音を言えば、一夜にして突然死を遂げた使用人一同の魂が、成仏できずに彷徨っているような気がして怖かったのだが、さすがにそれは言えなかった。突然死んでしまったら、心残りもあるだろう。蘇生の話や、死者の魂を生きている他者の体に乗り移らせる術があるらしいと聞いたからか、どうしても気になってしまって、安らかに眠ってくださいと祈らずにはいられなかったのである。


 アイリーンとファーマンが並んでダイニングへ向かうと、バーランドとマディアス、そして徹夜明けのような顔をしたフィリップが揃っていた。テーブルの上にはパンの籠とスープ皿が置かれている。スープ皿はまだからっぽだった。


 アイリーンたちが席に着いたところで、キャロラインとダニーがやってきた。キャロラインがダニーの腕を引っ張っている。ダニーとフィリップは、一夜にして死んだ使用人や兵士五十八人の身元を調べ、ドーランの町に親族がいる人には、病歴などを聞いてまとめる作業を行っている。モーリスの話では、五十八人には『リアースの祟り』の感染者の特徴は見られなかったと言うから、何か共通の理由があるのではないかとダニーたちは思ったらしい。


 ちなみに、離宮やドーランの町では『リアースの祟り』に罹患する人が極端に少ないのだが、その理由は聖女の棺が近くにあるせいではないかとダニーが推測を立てた。闇の力を封じる外の箱の役割を果たしていて聖女の棺。死してなお残る光の力の残滓が闇の力を消し去るから、闇の力によって引き起こされる『リアースの祟り』に感染しないのではないか、と。


「調べものもいいけど、食事の時間くらいは守ってほしいわ」


 キャロラインが小言を言っているから、呼んでも部屋から出てこようとしなかったダニーを強引に引っ張って来たのだろう。

 ダニーは渋い顔をしているが、キャロラインにさっさと席に座るように言われて諦めたような顔で席に着いた。


 ダニーが席に着くと、キャロラインがモーリスと一緒に食事を運んでくる。モーリス一人で食事の世話をするのは大変だから、食事の手伝いは担当制にした。朝と昼が一人ずつ、夜が二人だ。朝がファーマン、昼がキャロライン、夜がアイリーンとマディアスである。フィリップとダニーは用があって町に出かけたり夜遅くまで――下手をしたら徹夜で――調べものをしたり、考察をまとめたりしているから除外。バーランドも、ダニーとフィリップが街に出かけるときに護衛の役割で同行しているので除外である。もちろん小虎は言わずもがなだ。


 モーリスが各自のスープ皿にスープを注いで回っている間に、キャロラインがワゴンを押してサラダとメインを運んできた。今日のメインは鱒のムニエルである。

 ちなみにサラダの葉野菜はキャロラインがちぎったらしく、ちょっぴりドヤ顔をしていた。趣味でお菓子作りをしているアイリーンと違い、キャロラインはキッチンにも立ったことのない正真正銘の公爵家のお姫様である。葉野菜をちぎるだけでかなりの達成感があるのだろう。ちなみに、手伝いを葉をちぎるだけにとどめられたのは、キャロラインに包丁を持たせたら危険だと判断されたからだ。隣で見ていたモーリスが指を切らないかと心配になって、それとなく取り上げたと言う。


「そう言えばリリーの出自はわかったのか?」


 キャロラインが食事を運び終えて、モーリス以外の全員が食事を取りはじめたところでバーランドがダニーに訊ねた。モーリスも一緒に食事を取らないかと誘ったのだが、彼は使用人のプライドがあるそうで、主人や客人と一緒に食事はとれないと断られてしまったのだ。

 ダニーはパンに蜂蜜を塗りながら首を横に振った。


「わかりませんでした。どこの誰なのか、どこから来たのか、それすらも」


 モーリスにもリリーのことを訊ねたのだが、彼もニコラスが突然連れてきた女性だと言うことしか知らないと言っていた。


「ドーランの町でもわからないとなると、やはりギブロア国あたりから来たと考えた方がいいかもしれないな」


 フィリップがスープを口に運びながら難しい顔をする。王子の妻が身元不明者というのはあり得ないので、探せば何かしらの情報は見つかるだろうと踏んでいたようだが、リリーの情報はまったくと言っていいほど存在しなかった。しいて言えば、たまに買い物のためにドーランの町に降りてきていたということだけである。


 アイリーンの目的は聖女のルビーを見つけることだから、リリーの正体については気にしなくてもいいのかもしれないが、突然元気になったニコラスや、身元不明のニコラスの亡き婚約者によく似ているというリリーについては違和感が大きすぎて無視できる問題ではなかった。もしヴィンセントがルビーを所持しているのならば、アイリーンたちは何としても彼の手からルビーを奪い取らなければならない。小虎の推測が本当ならば、ヴィンセントがルビーを持ち去ったと仮定した場合、フォーグ教信仰者の彼の目的はルビーの封印を解き放つことだ。すなわちアイリーンに封印を解かせることである。アイリーンが狙われるのは間違いないのだから、彼の周りにいるニコラスとリリーのこともできるだけ調べておきたい。


(ヴィンセントがルビーを持っていた場合、どうやってそれを奪うのかについてはまだまだ課題が残るんだけど……)


 一番強引な手段を用いるのならば、ヴィンセント、ニコラス、リリーの三人に何かしらの罪状をつけて捕縛することだとフィリップは言った。ヴィンセントがルビーを保持しているならば、それを理由に国に疫病を蔓延させた罪で捕縛できるかもしれないとフィリップは言った。彼をそばにおいているニコラス、ニコラスの妻であるリリーは同罪扱いできるだろう。しかしこれにはいくつかの問題が残る。


 一つ目は、疫病の理由がルビー――ひいては闇の力であると公表して、どれほどの人が信じるかと言うこと。

 二つ目は国王、宰相不在、フィリップも指名手配されている中でその強引な手段を取れるのはダリウスしかいないということ。城で生活しているダリウスが妙な動きをはじめれば、逆にダリウスの方が捕縛されてしまう可能性が高い。

 そして三つ目は、仮にダリウスが動くとして、どれほどの兵や臣下がそれに賛同するかと言うことだ。正直、王が病に倒れている間に政をとっていたニコラスの味方の方が、圧倒的に多い。


(かなり不利な状況なのよね……)


 現在ほかに思いついている手段は、ダリウスがこっそりルビーを奪い取る、もしくは、アイリーンたちがグーデルベルグ城に忍び込むかの二択だ。だが、この二つも現実問題、かなり厳しい。

 アイリーンはムニエルをナイフとフォークで切り分けながらこっそり嘆息する。急がなくてはいけないのに。急がないとメイナードが危ないのに。ルビーにつながる手がかりを見つけたのに。すぐに動けないのがもどかしくて仕方がない。

 離宮に来て二週間。時間ばかりがすぎていく。


(メイナード……)


 アイリーンが、スピネルのネックレスと、それから同じくチェーンに通して首から下げている前聖女サーニャの指輪をぎゅっと握りしめたときだった。

 ファーマン、バーランド、それからマディアスの三人がほぼ同時に席を立った。

 突然どうしたのかしらと顔をあげたアイリーンは、三人がそれぞれ険しい表情を浮かべているのに気付いた。


「馬だ」

「ええ。馬車ではありませんね」

「この雪道の中をかなりのスピードで駆けてくるわね」


 そう言いながら、三人がダイニングから飛び出して行く。

 アイリーンはキャロラインと顔を見合わせた。


「馬って言ったよね?」

「そうね。でも、馬の足音なんてするかしら?」


 キャロラインも不思議そうだ。外は雪が積もっているから、ただでさえ足音が響きにくい。三人が同じ反応をしたのだから、馬の足音がしたのは間違いないのかもしれないが、アイリーンには何も聞こえない。


「あいつらの聴力は動物並みだな」

「気配ってやつじゃないんですか? 俺にはわかりませんけど」


 フィリップとダニーがのんびりとそんなことを言いながら食事を続けていた。まるで緊張感がない。


「ちょっと、ここに誰か来ているってことでしょ? いいの?」


 キャロラインがダニーを軽く睨めば、ダニーは肩をすくめた。


「騎士団の副隊長、聖騎士、そしてその辺の小隊くらいなら単身で蹴散らせるマディアスの三人が向かったんですよ? 大丈夫でしょう」

「いざとなったらこれもあるしな」


 フィリップがそう言いながらポケットから小型爆弾を取り出したので、アイリーンは危うく悲鳴をあげそうになった。食卓の上にそんな物騒なものを出さないでほしい。

 それでもアイリーンが不安そうにしていると、ダニーはアイリーンの隣でパンをかじっていた小虎に視線を向けた。


「それに、小虎がその姿のままですから。警戒しなくてもいいのでは?」


 アイリーンはハッとして小虎を見た。そう言えばそうだ。小虎はアイリーンに危険があると過敏に反応する。その小虎がのんびりと食事を続けているのだから、問題にならない出来事なのかもしれない。

 けれども、アイリーンがホッとして食事を再開しようとしたとき、大きな音を立てて玄関の扉が開かれると同時に、マディアスの悲鳴のような声が聞こえた。


「誰か! 早く毛布とそれからお風呂を用意して!! 急いで!!」


 そのマディアスの声は未だかつてないほどに動揺していて、アイリーンたちは慌てて席を立った。


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