7
城に戻ったダリウスは、馬車を降りるか降りないかというところで走ってきた衛兵に聞かされた事実に息を呑んだ。
「……父上が?」
その事実を聞いた時に、何より驚いたのは、自分が思った以上のショックを受けているということだった。
すでに城中に知らされているのか、衛兵の声に周囲を憚ったような響きはない。
ダリウスは片手で目の上を押さえて、止めていた息を吐きだした。
「……それで、容体は?」
国王が、『リアースの祟り』に感染した。
そう告げた衛兵は、言いにくそうに沈黙して、それから言った。
「すでに意識が混濁していらっしゃいます。療養のために、離れに移られましたが……」
回復は絶望的と言うことだろう。
ダリウスは少し濁った空を見上げた。雲が流れているから、近く雨が降るだろうか。
「いつから?」
「……殿下が、ランバースに出立されて少ししてからでございます」
「そう。じゃあ、政務がたまっているよね。着替えたらすぐ――」
父の心配よりも政務の心配をするダリウスを、酷薄だというだろうか。言われても仕方がないかもしれないが、グーデルベルグの王家に肉親の情なんてほとんどない。父も母も、息子を道具か何かとしか思っていないし、ダリウスも、そんな二人を親だとは思っていないからだ。
王が倒れた今、国政を背負えるのはダリウスしかいない。王妃や母は着飾って茶会を開くことしか頭にない無能な連中だ。役に立つとは思えないし、フィリップは指名手配中。病弱な兄は昨年の冬から北にある別荘地から戻っておらず、何の連絡もないために、実は密かに息を引き取っているのではないかともっぱらの噂だ。そんな兄に政務を期待するだけ無駄だった。
そう思って急いで歩きだしたダリウスは、廊下を少し行ったところでぎくりと足を止めた。
「お帰り、ダリウス」
微笑みながら優雅にこちらに向かって歩いてきた人物を見たダリウスは、まるで幽霊を見たかのように顔色を失う。
「……兄上」
病弱で、心のどこかでもう死んでいるのかと思っていた長兄ニコラスが、そこにいた。
場所を移そうとニコラスに言われて、ダリウスは混乱したまま兄のあとをついて行った。
ダリウスを心配した側近のロレンソがついて来ようとしたが、国政の話だとニコラスに言われてあえなく断念する。
ダリウスは、自分の足でまっすぐ力強く歩けているニコラスに、夢を見ているのかと思った。
体調がいいときでさえ、少し歩けば息切れを起こすような兄だ。病弱だった兄はどこに行った。一年前の冬、父が兄の別荘息を許可したのは、兄がそこを死に場所に選んだからだと聞いていた。それなのに、どうして――
――呪われた王子。
いつだったか――、そう、兄の婚約者であるリリアーヌが死んだ時だった。その時に城の中でささやかれていた噂を、ダリウスも覚えている。
兄の母であった王妃は、精神を病んだ後に、現王妃であるフィリップの母に毒殺されたのだともっぱらの噂だった。そして、兄の婚約者リリアーヌは、突然死を遂げたと言われている。
長く生きられないと言われていた兄が生きながらえて、彼の身近な人物たちが彼よりも先に逝く事実に、城で働く使用人たちは、長兄の呪いだと噂した。
兄が生きるために、母と婚約者の命を吸い取ったのだ、と。
ダリウスは馬鹿馬鹿しいと一笑に付したが、今の元気なニコラスに、まさかという思いがぬぐえない。
どうして生きているのだと、問いただしたくなるほどに弱っていた兄だったのに。
国王が使っていた執務室に通されると、そこはダリウスの知る部屋ではなくなっていた。物の配置、書類、並べられている本、机に椅子、ソファ、カーテン。すべてが一新されて、父の使っていたものは何一つ残っていない。
この部屋の主が、新しくニコラスになったのだと、ダリウスは直感した。
ニコラスの好む明るい色合いで整えられた執務室。王の執務室が新たな主をむかえたという意味が、わからないダリウスではない。
ニコラスの王位継承権は病弱を理由で奪われていなかったため、彼が王位継承権第一位だ。つまり、父が倒れた今、兄が王につくのが自然な流れ。そう考えれば、この部屋が兄のものになってもおかしくはない。
だが、ニコラスは王位は継げないだろうと言われていたのだ。そのせいか、どうしても違和感はぬぐえず、ダリウスは茫然としたまますすめられてソファに腰を下ろした。
向かい側に座ったニコラスが、すっと顔をあげると、誰かが部屋の中に入ってくる。
当然のようにニコラスの隣に座った彼女を見て、ダリウスは今度こそ呼吸を止めた。
「紹介するよ。妻の『リリー』だ」
リリアーヌ、と目を見開いたダリウスは口の動きだけでつぶやいた。
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