再会※ここから三人称に統一します

1

 誰かが呼んでいる――

 泣きそうな声で、誰かが――

 その声を聞いていると、ひどく胸が締め付けられて、早くそばへ駆け寄って抱きしめてあげなければと思うのに、体がうまく動かない。

 何もない、何も見えない虚空に手を伸ばして、見えない誰かに願うことしかできない。


 ――泣かないで、『――』。



     ☆



 ラフォス地方から王都へ戻って来て、メイナードが倒れてから二日が経った。

 メイナードはまだ目を覚まさず、このまま目を覚まさなければ命にかかわると侍医が言って、城の中は右往左往の大騒動になっている。

 アイリーンもメイナードが寝かされている王太子の部屋でずっと彼に癒しの力を注いでいるけれど、メイナードの瞼はピクリとも動かない。


 もし――


 もしこのまま、メイナードが目を覚まさなかったら。

 不安で胸が押しつぶされそうで、この二日まともに眠れないでいたら、メイナードの様子を見に来たサヴァリエに、ぽんと肩を叩かれた。


「少し休んだ方がいい。顔色が悪いよ。眠っていないんでしょう? このままだったら、君も倒れる。目が覚めたときに君が寝込んでいたら、兄上が悲しむよ」

「でも――」


 アイリーンはメイナードの手を握りしめて、その温かさに少しだけほっとしつつ、答えた。


「目を閉じても、眠れないんです。変な夢ばかり見て……」

「夢?」

「……殿下が、メイナード殿下が、いなくなる夢」

「アイリーン」


 サヴァリエの声に非難が混ざる。

 アイリーンは小さな声ですみませんと謝罪して、うつむいた。

 アイリーンの足元では、小虎が体を伸ばして眠っている。その耳は時折ピクリと動いて、けれども小虎は目を開かない。本当に眠っているのか、眠ったふりをしているのか、ただ黙って寄り添うように、小虎はそうしてアイリーンのそばから離れない。


「とにかく、君は少し休みなさい」


 サヴァリエが嘆息して、軽い命令口調で告げて部屋から去って行く。サヴァリエはメイナードのかわりに政務の手伝いをしていて、あまりゆっくりしていられないのだ。

 コンラード家から様子を見に来ていた侍女のセルマが、アイリーンに立ち上がるように促した。


「サヴァリエ殿下のおっしゃる通りです。少しでいいですから休みましょう、お嬢様」

「うん……」


 アイリーン渋々、隣の王太子妃の部屋に移動して、ベッドに横になる。

 体が限界だったのか、横になって目を閉じると、意識はあっという間に夢の中に吸い込まれた。

 どこまでもマーガレットの白い花が咲き誇る広い草原に、アイリーンは一人ポツンと立っている。

 アイリーン、とメイナードの声がして、アイリーンがその声の主を探すように歩き出すと、しばらくしてメイナードの姿が現れた。

 サラサラの黒髪を風に遊ばせながら、メイナードが振り返る。


 アイリーン、と彼は微笑んだ。

 そっと手を差し伸べられて、アイリーンがメイナードの手をつかもうとした、そのとき。

 ぶわっと強い風が吹いて、マーガレットの花びらが舞い上がる。

 思わず目を閉じたアイリーンが再び目を開けると、メイナードの姿はどこにもなくて、かわりにこの言葉だけが耳に届くのだ。


 ――さようなら、アイリーン。


 アイリーンは飛び起きた。

 ようやく眠りに落ちたと思ったアイリーンがわずかな時間で飛び起きたことに、セルマが驚愕して駆け寄ってくる。


「お嬢様……」


 アイリーンは両手で顔を覆った。

 ふるふると首を振りながら、大丈夫と小声で返しながら、ぽろぽろとこぼれる涙を隠すようにうつむいて、嗚咽を殺す。

 何度この夢を見ただろう。

 眠るたびに、アイリーンはこの夢に苛まれる。

 いかないで、と声にならない声でアイリーンがささやいた時だった。


「アイリーン様! 殿下が!」


 隣の部屋でメイナードの様子を見ていた侍医の大きな声が聞こえてきて、アイリーンはハッと顔をあげると、袖口で涙をぬぐってから隣の部屋へと急いだ。

 部屋に入ると、メイナードがベッドに上体を起こして座っている。

 袖でぬぐって止めたはずの涙が、再びアイリーンの目に膜を張った。


「メイナー……」


 駆け寄ろうとしてアイリーンに、メイナードが怪訝そうな顔を向ける。


「そなたは、誰だ?」


 アイリーンは息を呑んで、メイナードに手を伸ばした姿勢のまま、立ち尽くした。

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