2

 グーデルベルグの第三王子ダリウスは、窓の外がだんだんと白んでくるのを窓際の椅子に座って眺めながら、大きく息を吐きだした。


 ランバース国の城。滞在中にダリウスが使っている部屋は広く、洗練された豪華な調度で統一されている。


「まだ見つからないのか……」


 ランバース国への滞在も残り五日。ダリウスの声には焦燥の色が見えた。


 窓の外を見つめてのつぶやきに、薄暗い室内の奥で人影が揺れる。廊下側の扉のそばで片膝をついていた男は、小さく顔をあげ、そしてまた#頭__こうべ__#を垂れた。


「申し訳ございません」


「この国にいるのは確かなのだろう?」


「は。それは探っていたものから確かな報告が上がっております。ただ……、国を出た形跡はないのですが、どこに潜伏しているのか。仕向けた手のものが戻ってこないこともあり、捜索は難航しております」


「あれが連れている側近は優秀だからな」


「……忌々しいほどに」


 男の声に苦々しいものが混じると、ダリウスが苦笑した。


「リアース教に近づいた形跡は?」


「今のところは」


「……謎だな。この国に来たのはリアース教のやつらと合流するためだと思っていたが」


 ダリウスは顎の下に手を当ててしばしば考え込んだが、答えが出なかったために嘆息して立ち上がった。


「まあいい。俺は自分のすべきことをするまでだ。『リアースの祟り』なんて千年も昔のことだ。必ず対抗策はある」






 ジェネール公爵家の庭で騒動があった翌日。


 どうあっても口を割らない女に辟易していたバーランドのもとに、メイナードから女を城へ連れてこいと連絡が入った。


 女を襲っていた八人の男が忽然と消えたのはバーランドも報告を受けている。


 そんな不可思議な現象が起こった直後に、正体不明の関係者であろう女を城へ連れて行くことが躊躇われたが、こと聖女のことに関しては絶大な信頼のある聖獣小虎が女を警戒していなかったため、迷った末にバーランドはその命令に従うことにした。


 女が聖獣のことを知っていたこともある。


 もしかしたら、聖獣を前にすれば口を割るかもしれない。


 幸いなことに、質問に答えない女は、しかしながら抵抗はしなかった。逃げ出すこともせずにただおとなしくしている。もちろん隙を突こうとしていると考えることもできるので警戒するに越したことはないが。


 バーランドが女を連れて城へ向かうと、廊下でばったりと第一騎士団の騎士団長ガーウィンに出くわした。がっちりとした筋肉質の体の背の高い男だ。気さくな男だが、大酒のみで、巻き込まれると朝まで解放されないため、バーランドは少々この男が苦手だった。


「ガーウィン団長、お疲れ様です」


「おう。えらいべっぴんさんを連れてるじゃねぇか。女連れで登城とは色男は違うねぇ」


「……ご冗談を」


 バーランドが苦い表情を浮かべると、ガーウィンは「あっはっは」と豪快に笑い出した。


「冗談も通じねぇのか。相変わらず固いねぇ」


 そして、三白眼の鋭い瞳を女に向け、その目を見返した女にガーウィンはおやと目を見張る。


「こりゃ、肝っ玉の据わったお嬢ちゃんだ」


「お嬢ちゃんではありませんよ」


 少々不服そうに女が返すと、ガーウィンは「この年になりゃ、あんたぐらいの年の女も充分お嬢ちゃんだよ」とよくわからない理屈を返す。


「そんなことより、団長はいったい何をなさっているんです?」


 この時間は騎士団にいるはずだ。その彼が城の廊下を歩いているのは少々不可解だった。


 ガーウィンはぽりぽりと頬をかいて苦笑した。


「それがなぁ。急にグーデルベルグの王子殿下のスケジュールが変わってな。今日はメイナード殿下の都合がつかなくなったから、かわりにサヴァリエ殿下と視察に行くことになって、俺はその護衛に駆り出されちまったんだ」


 なるほど。八人の男の姿が消えたこともあり、メイナードはサヴァリエを使ってダリウス王子を城から遠ざけることにしたようだ。王子たちのいる前で調査しているといつダリウスの耳に入るかわからない。せっかく長年途絶えていた国交が回復しそうな兆しであるのだ、余計なことを耳に入れて亀裂を生みたくはないだろう。


 ガーウィンが「じゃーなー」と陽気に手を振って去っていくのを見送ったあとで、バーランドは女を連れてメイナードが待つ王太子の部屋へと向かう。


 その途中、回廊からふと庭を見下ろせば、庭にはダリウス王子と彼の側近たちの姿があった。


 長期間の滞在だというのに、遊びを入れず、ほぼ毎日のように視察や会議に時間を使っているダリウス王子にバーランドは感心する。まるで何かに駆り立たれるように仕事をする王子だと思った。


(殿下も少しは見習えばいいものを)


 とはいえ、無駄に仕事の早いメイナードである。もっぱらアイリーンのために使われるその余暇にまでスケジュールを詰め込むのは忍びなく、好きにさせているのは自分たち側近なのだから仕方がない。


 バーランドが足を止めたので必然的に女も足を止めたが、バーランドの視線を追って庭を見下ろした彼女は、ふと慌てたように窓から体を遠ざけた。


 女のその様子に窓の外に、ほかに何かがあったのかと思ったバーランドだが、外には手入れされた庭が、空には雲一つない青空が広がっているのみだ。


「どうかしたのか?」


 バーランドが訊ねると、女は小さく首を振る。だがその表情はいささか強張っていて、バーランドはますます不思議に思った。


(本当に、いったい何者なんだ……?)


 もちろん、訊ねたところで女が答えないのはわかっている。


 バーランドは小さく嘆息して、再び廊下を歩きはじめた。

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