14

 ――アイリーンがデートに行った。


 メイナードは王家の別邸の私室で、一人チェスをしながら、はーっと大きなため息を吐いた。


 バーランドは王都へ向かったきり戻ってこない。


 この一週間、アイリーンと仲良く草むしりができてとても幸せだったのに、その幸せは昨日の夜「ファーマンとバザーに行くから不在にします」という連絡が届いたことで、一気に急降下。


 愚痴を聞いてくれるバーランドもいないし、一人チェスは面白くないし、もういっそふて寝して一日すごそうかなと本気で考えている。

 聖女選定の儀式さえなければ、アイリーンは今もメイナードのそばにいてくれたはずなのに。


「……くそ親父め」


 メイナードがアイリーンとの婚約を破棄することになったのは、父である国王の命令のせいだった。


 前聖女のサーニャの体調が悪化するのがあまりにも早く、新しく選ばれる聖女について考える時間がなかったと言えばなかったのかもしれないが――、それにしたってあんまりだ。


 聖女が王家に嫁がなければいけないと言う決まりはない。


 だが、聖女がよそに嫁いだとなると――、必然的にその家の家格はあがり、政治的な発言力も上がる。ましてや教会に手渡すと、教会が今以上に政治に口を出してくるようになるだろう。


 聖女を得ると言うことは、そういうことだ。


 そのため、ここ何代かの聖女はすべて王家に嫁いでいたし、王家の中でも特に地位の高い人間がその伴侶に選ばれてきた。


 理由は――、聖女を得た伴侶を王に据えたがる貴族が多いからだ。


 先の聖女が聖女として選ばれたとき、国王であった祖父にはすでに最愛の妻がいた。王妃と離縁してまで聖女を――という運びにはならなかったから、当時の王弟が選ばれたが、今回は運悪く、メイナードは結婚していなかった。


 次期国王に一番近いメイナードが聖女を得るのは、王家の総意だ。


 サーニャが他界したとき、次期聖女に一番近いと言われていたのがリーナだった。教会――教皇も、リーナが聖女で間違いないだろうと判断を下していた。


 アイリーンとの婚約を解消するのに手間取っているうちに、次期聖女だと思われているリーナがほかの男のものになる危険性を回避するため、選定前にリーナとの婚約を結ぶのがいいだろうと国王が判断して――、結果、メイナードは逆らうことができなかった。


 せめて、王家の総意だと言うのは黙っていたかった。


 十八年前にメイナードの婚約者にされて、王家によって貴重な十八年を縛り付けてしまったアイリーンに、王家の決定だなんて口が裂けても言えなかった。


 言ったら言ったで、彼女は「仕方がない」と言っただろう。


 すべてを受け入れて、「仕方ない」と。


 メイナードは、仕方がないと言われるのも嫌だった。


 確かに仕方のないことだが――仕方がないで、あっさりと引き下がられたら――、仕方がないで切り捨てられるような関係だったのだと、落ち込んでしまいそうだった。


 それならば、いっそ恨まれた方がいい。


 メイナードが自分勝手なんだって、恨まれた方が。


 ――本当は、婚約を解消しようと伝えたときに、怒ってほしかったけど。


 政略的な意味合いの婚約ではなくて、そこに愛はあるのだと反論してほしかったけれど――、アイリーンは黙って引き下がった。


 怒られもしなかったメイナードはそれはそれで落ち込んだけれど、落ち込む資格もないのだと思うとさらに絶望した。


「でも……、聖女はアイリーンだったんだ。じゃあ、私のしたことは何だったんだろう」


 チェスの駒を片付けながら、メイナードは独り言つ。


 今更「実は……」なんて言い訳なんてできない。


 聖女がどういうものかも含めて、今回のことを説明すればたぶんアイリーンはため息をついて「仕方ないですね」と言うだろう。


 でもここでもやっぱり「仕方ない」と言われたくなくて――、好きだと気が付いたんだとか、あれやこれやと言葉を尽くしてみたけれどもあきれられるばかりだった。


 バーランドはそんなメイナードに「馬鹿だ」とか「不器用だ」とか言うけれど、仕方がないじゃないか。


 メイナードの初恋は婚約者だったアイリーンで、アイリーン以外に恋なんてしたことがないのだから。


 もともと自分のものだったアイリーンを口説く必要なんてどこにもなかったのだから、女性の口説き方なんて知らない。


 本当のことも言えない。口説き方も知らない。言えば言うほどあきれられて、もうどうしていいのかわからない。


 それでも一緒に草むしりをして少し許された気がしていたのに――、アイリーンはファーマン・アードラーとデートだと言う。


「あんまりだ……」


 アイリーンのもとに山のような求婚が届いているのは知っていた。


 だが、婚約を解消してすぐに彼女に恋人ができる可能性なんて考えていなかったのだ。


 きっと心のどこかでアイリーンはメイナードのことを思ってくれている――そんな驕りが、メイナードの中にはあったから。


 アイリーンはリーナ、リーナと言うけれど、リーナのことはどうでもいい。


 父である国王にはさんざん文句を言って――断れなかったメイナードも悪いが、文句を言わなくてはやっていられなかった――、王家の外聞とか完全に無視してアイリーンを取り戻すと宣言し、今回のことで負い目のある父もそれを了承したから、放っておけばリーナとの婚約はなかったことになる。


 そもそも、リーナとの婚約について、メイナード自身が申し込んだわけではないのだ。


 国王が勝手にリーナの父である伯爵とすすめたから、メイナード自身がここで誠意を見せる必要は――ないわけではないが、とりあえず無視でいい。


 リーナに申し訳ないことをしたと思わないわけでもなかったが、そもそも彼女がメイナードとの婚約と自分が聖女だと言う虚言を周りに吹聴して回らなければ、もっと穏便に事がすすんだはずなのだ。


 メイナードは片付け途中だったチェス盤に突っ伏した。


 ばらばらと駒がチェス盤の上から零れ落ちていく。


「アイリーン……」


 恨むべくは聖女を得たい王家と、自分の愚かさ。


「お前、まだうじうじしているのか」


 あきれたような声が背後から響いてきて、メイナードはチェス盤に突っ伏したまま、部屋の入口に視線を向けた。


 どうやら王都から戻って来たらしいバーランドが、扉に寄りかかるようにして立っている。

 バーランドは今回の事情を知る数少ない人間の一人だ。


 本当はアイリーンの兄で友人のオルフェウスにも説明したかったが、彼に詳細を話せば必然的にアイリーンの耳に入るから、どうしても言えない。結果怒らせて、現在口もきいてもらえない。


「……アイリーンがデートに行ったんだ」


「ファーマン・アードラーと?」


「アードラー以外にも男がいたら、私は本気で泣くぞ」


「ウザいからやめてくれ」


 バーランドは大きく嘆息して、それからふと真顔になった。


「そのファーマン・アードラーだけどな。素性がわかったぞ。あいつは――」


 メイナードは顔をあげて、それから思いっきり眉をひそめた。

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