8

 クッキーを焼き終えると、わたしはさっそく教会へ向かうことにした。


 教会までは馬車で四十分ほど。田舎の教会まで行くだけなんだけど、やっぱり護衛がついて行く必要があるんですって。


 わたしの我儘で申し訳ないです。騎士の皆様もぜひクッキー、食べてくださいね。


 わたしはセルマと、それから数人の騎士とともに教会へ向かったけれども、教会に到着したあとは騎士の皆様は入口のところで待機とか。王家の騎士が、ずかずかと教会の敷地を歩き回っていると支障があるらしい。


 教会の庭は色とりどりの薔薇が植えられていてとてもきれい。


 薔薇のアーチをくぐって、城壁の荘厳な教会の中に入れば、事前に先ぶれを出していたからか、すぐに奥へと案内された。


 教会には神官の皆様などが生活している住居スペースがあって、普段は関係者以外は立ち入ることができないのだけど、わたしはこの教会を管理しているロバート様と顔見知りだからかいつも通してもらえる。


 住居スペースの二階の角部屋に案内されると、ロバート様がにこやかに出迎えた。


「やあ、アイリーン。聖女に選ばれたそうだね。遅くなったけど、おめでとう」


 上のお兄様と同じ二十四歳のロバート様の髪は、少し癖のあるダークブラウンで、長く伸ばすとうねって大変とかで、肩よりも長く伸ばしたところは見たことがない。


 髪と同じ色の瞳を優しく細めて、わたしにソファをすすめると、自ら紅茶を煎れてくれた。


 セルマはさすがに部屋の中には入れないから、廊下で待っていてくれている。


「それで、今日はどうしたの?」


「あ、クッキーを焼いて来たんです!」


 わたしはクッキーの包みを取り出すと、ロバート様に手渡してから、きょろきょろと部屋の中を見渡した。うーん、ファーマンってばここにはいないみたい。どこにいるのかしら。


 すると、わたしの考えなどお見通しだと言わんばかりにロバート様が笑い出す。


「アードラー君ならここにはいないよ。ちょっと雑務を頼んでいてね。もうすぐ戻るんじゃないかな」


「ど、どうしてファーマンを探しているってわかったんですか?」


「それだけそわそわしていたらわかるよ。アードラー君と恋人関係になったって?」


 ファーマンったらロバート様に話したみたい。


 ロバート様ってば一見とても優しそうなんだけど、昔からわたしをからかうのが大好き。この方に、面白いネタを与えてはいけない。


「アードラー君には先を越されたよ。私も君の恋人に立候補したかった」


「またすぐそういう冗談を言うんですから」


「おや、本気なんだけどねぇ」


 ロバート様は笑いながらクッキーの包みを開いた。


「殿下ももったいないことをされたね。聖女を手に入れたくて君との婚約を解消したのに、まさか君が聖女だったなんて、目も当てられないだろうね」


 ロバート様は本当に情報通だ。王都から離れた田舎にいるのに、まるで見てきたようにいろいろなことを知っている。


「その聖女ですけど、本当にわたしでよかったんでしょうか」


「どういうこと?」


「だって、わたし、それほど特別な力なんて持っていませんよ。癒しの力だって、そんなに強くないし。どうして選ばれたのかいまだにわからないんですよね」


 そもそも聖女が何なのかもわからないと言えば、ロバート様は立ち上がって一冊の本を持って来た。


「聖女のことについてはここに書いてあるよ」


 わたしは本の表紙を見て、はーっと息を吐きだした。


 この本なら知っている。というか、ランバース国の国民であれば子供でも知っている建国史だ。確かにここに聖女のことが書いてあるが、逆を言えばここに書いてある以上の情報は誰も持っていない。


 聖女――、そう呼ばれる女性が現れたのは、今から八百年前のこと。


 当時は戦争の真っただ中で、それほど大きくもないランバース国は、近隣諸国から侵略されて絶体絶命という状況だった。


 そんなとき、一人の女性が神に祈り、強力な結界で国を守り、傷ついた人々を癒したという。それが聖女のはじまりだ。


 その聖女がその後どうなったのかについては描かれていないが、彼女が祈りのときに使ったという宝珠が次の聖女を選び、それが今日までつづいているとのこと。


 でも、初代の聖女以降、聖女が特別な力をもってして活躍した話は一つもない。本当に名前ばかりの生けるお人形――そんな感じがするのだ。


「聖女は国に存在しさえすればいいんだよ。それほど深く考えなくてもいい」


 ロバート様はそうおっしゃるけど、聖女に選ばれるには強い癒しの力が必要とか、選ばれたらすごい力が手に入る――とかなら納得がいくんだけど、わたし何も変わってないし。むしろわたしより強い癒しの力を持った女性なんていくらでもいるのにね。そんなんでただいてくれさえすればいいよ――、すなわち、ゴロゴロしていていいよー的な立場って……、いいのかなぁ。


「大丈夫だよ。戦争もない今の時代、君は何もしなくていいんだよ」


 納得していない様子のわたしに、ロバート様は困った顔で繰り返す。


 わたしはロバート様の煎れてくれたお茶を飲みながら、彼にばれないようにこっそりと息をついた。


 別にさ、聖女だー! 国のために祈るぞー! なぁんて、わたしの柄じゃないし、ぶっちゃけ国中の人の、それこそ顔も見たこともない人の平和を祈って回るほど人間はできていない。だからそれをしろと言われてもちょっと困ったと思うけど、何もしなくていいよと言われても困るのよ。


 ほとぼりが冷めるまで領地でごろごろして、そのあと王都に戻って、わたし、どうするのかしら?


 ファーマンが許してくれるなら、彼とさっさと結婚して子供を育てながらファーマンの帰りを待って、のんびり老いていくのも、それはそれでいいと思う。


 メイナードと婚約していた時は、この人ちょっと抜けているから、わたしが妃としてしっかりしなくちゃ! とか思っていたけど、ファーマンはしっかりしてそうだし包容力もありそうだから、わたしがしっかりする必要はどこにもない。それを少し残念に感じちゃうのは、十八年間血反吐を吐く思いでお妃教育をがんばったからなんでしょうけど、さ。


 まあ、これはないものねだりの変な葛藤なんだろう。そのうち慣れてきて、気にならなくなる、のかな。


 わたしはロバート様とお茶した後、ファーマンの帰りを待たせてもらって彼にクッキーを手渡して、ちょっと悶々としながら帰途についた。

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