409 彼の秘密と彼女のしたたかさ
「いい加減にするのはアンタの方だっての!!」
朝比奈の怒号がする方を向くと、彼女は稲藤たちと真っ向から対峙していた。
おいおい……まじかよ……。
「か、花蓮!? なんでお前……」
「誰よこの女! まさかこの女も?」
「いやいや違うって、コイツは……」
どうやら女は朝比奈を、稲藤が他に関係を持っている女の子だと思っているらしい。
まぁ、この状況ならそう見えるのも無理はないが……。
「散々……」
「朝比奈?」
女の言葉など目もくれず俯いていた朝比奈の真下に、ぽたりと雫が落ちるのが見えた。
次々とコンクリートが黒く濡れていく。
「散々ソウくんを都合よく利用しておいて……! 今までソウくんのこと、ちゃんと見てもいなかったアンタが!! よくもそんなことが言えますね……!」
「か、花蓮……?」
朝比奈の声は掠れていた。
女にだけじゃない。彼女は過去の自分にも怒っているんだろう。
稲藤のことをもっとちゃんと見ていれば、と。そういった罪悪感と責任感が、彼女をここまで連れてきたのだ。
「な、何よ急に出て来て! あなただってどうせ私と同じでしょ!?」
「違います……。アタシは、ずーっと前からソウくんの彼女です」
「彼女? ふふっ」
その言葉を反芻した女は、嘲笑を浮かべてこう続けた。
「そんなのいる訳ないでしょこの男に! コイツには何もないのよ! 趣味も好きなものも! 自分に対する執着も何もね! だから毎日毎日女を連れ込んで傷のなめ合いしてるっていうのに、ましてや彼女なんて──」
「だから本当にいい加減にしてくれません? 私は心が銀河系並みにひろーいから、それを黙認してきたんですよ、今まで。正妻の余裕ってやつですよ、分かります?」
「おいおい花蓮……別れようって言ったのはお前──」
「ソウくんは黙ってて! ソウくんだって何もわかってない!」
涙を拭いた朝比奈は毅然とした態度で、稲藤の言葉を封じた。
そうだ、もうここまで来たら誤解を解くのは今しかない。
ちなみに俺は未だに路傍で場を見届けている。いつ登場すればいいか分かる奴がいたら至急教えてほしい。
「アタシがあの時、別れようって言ったのは……ソウくんがアタシのこと好きじゃないって漏らしてたのを人づてに聞いたから。ソウくんが自分を見せたからじゃ、ないんだよ」
「え……」
「でもソウくんがアタシと別れてから一層そんな風になっちゃたのを知って、どうしても誤解が解きたかったの……その為に同じ大学にまで来たんだよ?」
「嘘だろ……お前は……じゃあ本当にあの時俺のこと……」
「あったりまえじゃないですか! じゃなきゃ反応薄い彼氏に三か月も付き合ってる馬鹿演じたりしませんよ! こんなところまで追いかけたりしませんよ!!」
稲藤は愕然とした表情で、手をわなわなと震わせていた。思い当たる節があるのか、朝比奈の言葉を否定しきれず、でもまだ信じられないといった様子だ。
「ちょっとちょっと! 何勝手に話し進めてるの!? 彼女って何かと思えばただの元カノじゃない! 一度自分から振ったくせに、今更でしゃばってこないでよ!」
「じゃああなた、ソウくんの何を知ってるんですか?」
「そ、それは……」
「私は言えますよ。中学の時、ソウくんが好きだったこと……」
もしかしてそれが前に言っていた、稲藤が朝比奈に初めて「自分」を見せたというやつか……?
その内容自体は俺も聞いていなかったので、少し気になるところだ。稲藤の趣味なんて、女の子以外本当に皆目見当もつかないからな。
「いいですか!? 耳の穴かっぽじってよく聞いといてくださいよ! 実は──」
「お、おいまさか! 花蓮ちょま……!」
「ソウくんは、実は重度のドルオタだったんです……!!」
「「は・・・・・?」」
奇遇にも女と路傍に潜む俺は同時に同じ反応をしていた。もちろん俺の声は向こうには聞こえてないが。
ていうかドルオタってアイドルオタクのことだよな? あの稲藤が……?
「ま、まさか……蒼士がそんな訳……ねえ?」
「うっ…………」
女も信じられないといった表情で、横にいる稲藤を確認する。
しかし、その張本人は病気かと疑うほど顔を真っ赤にして絶句していた。というより寧ろ、恥ずかしさで悶えているに近かった。
「ウソ……本当なの?」
「はい。デートの帰り、アイドルの写真やグッズが売ってるショップに連れてってくれたのをアタシは今でも覚えてます。ソウくんは懇切丁寧にグッズやアイドルの子の紹介をしてくれました」
「うう…………」
お願いもうやめて……。
稲藤のライフはもうとっくに0だから。オーバーキルだから。
「でも、アタシ嬉しかったんですよ……? ソウくんが自分のこと話してくれて。これからもっと教えてくれるかもってその日は舞い上がって眠れないくらいには」
「な、なんでだよ……普通引くでしょ……僕みたいな奴がアイドル好きなんて」
「ったくもう……ソウくんもしつこいですね! 好きだからって言ってるじゃないですか……。ソウくんにはもっと、普通に友達と笑ったり、趣味の話をしたり、それでドン引きされたり……そうやって生きてほしいんですよ」
「か、花蓮……」
俺は目を疑った。しかし、それも無理はない。
いつも飄々とした態度で、俺をいつもニヤニヤからかってくるあの稲藤が、一筋の涙を流したのだ。見たことのない気弱な表情で、自嘲的な笑みを浮かべて。
「なんなの……違うでしょ!! 蒼士はこんな人じゃない……!」
「あのねぇ……!」
そしてその姿は、女には到底受け入れがたいものだったのだろう。
ヒステリックにそう稲藤に叫んだのに対し、朝比奈が反論しようとしたのだが。
「ごめん、ユキちゃん。君の言う通り、もう女の子と会うのやめるよ」
「え……?」
「だからもう帰ってくれ」
「ちょ……は? どういうことよ!」
「もう君とも会わない。僕は、実はこういう人間だからさ……君の期待には応えられない。だから頼む」
「嫌……」
「帰ってくれ!!」
「ひっ……!」
稲藤の低い怒号に、何よりいつもなら絶対に見せないであろうその激怒の顔に、女は慄いてその場を逃げるように立ち去った。
稲藤はそんな彼女の背中を横目に、ぽつんと立ち尽くしていた。
「稲藤……大丈夫か?」
ようやっと路傍を抜け出し稲藤の前に現れた俺は、朝比奈の横に並ぶ。
そして俺の顔を見て納得したように、稲藤はまたいつものように笑った。
「あはは……やっぱり浩貴か。そりゃそうだよね、じゃなきゃ俺の家分かんないし」
「すまないな。待ち伏せみたいな真似して」
「別にそれはいいよーん。それよか情けないところ見られちゃったなぁ」
「そうだな。暫くはこれをネタにいじり倒すぞ」
「はは……それは友達っぽくていいね」
「ふっ、かもな」
稲藤の弱々しい笑顔に、俺は稲藤のような憎たらしい笑顔で返してみせる。
丸二年以上大学でつるんできた仲なのに、なんだか初めて稲藤という人間を知ったような、そんな感覚がした。
「それにしても朝比奈。お前勝手に飛び出すなよな。お陰で超修羅場だったじゃん」
「もう怒らずにはいられなかったんですもん! それに! 先輩も陰で見てないで出て来てくれればいいのに! このいくじなし!」
「確かに。俺も、浩貴今更出てくんのかよって思ってた」
「うるさい、お前まで加勢すんな! タイミングがなかったんだよ!」
結局俺がいじられる関係は変わらないんですよね。まぁ、それはそれで安心するものがあるからいいか……いいか?
「はぁ……もう女の子と会わないとは言ったけど、マジで俺夜中に背後から刺されたらどうするよ。大体の子に家バレしてるし……」
そうだ。そういえばその問題もあったな。さっきの女に限らず、他の子も稲藤のことを恨んで何かしてきてもおかしくないが……。
そこで朝比奈が、ジト目でこんなことを言い出した。
「まぁ正直、二回くらいソウくんは刺されればいいと思いますけど」
「おいおい……」
「ははっ、まあそれもそうだな」
「ちょ、浩貴まで~」
しかし、引っ越しするにもそんな一朝一夕ではできないしな。
まぁ一週間くらい恐怖に震えて生活をするのもありだとは思うが……。
「しょうがないですねー。じゃあ、とりあえず私の下宿に来てもいいですよ?」
「「え?!」」
「聞いたところによると、先輩のお二人も好きじゃないけれど同棲しているそうで。だったらアタシたちも別に何も問題はないですよね?」
「いや俺は──」
「あっ! 別にアタシは間違いが起きてもむしろ大歓迎ですけどね? むしろソウくんがアタシを好きになってくれるのをずっと待ってますから」
「わ、分かりました……」
「やったー! 嬉しいです!」
はは……。むしろ朝比奈はここまで想定して、あそこで飛び出していったんじゃないかと思えるほどのしたたかぶり。
あの稲藤がたじたじになるなんて、本当に大した奴だ。
一応これで、ひとまずはめでたしめでたし。
朝比奈の目標も達成され、稲藤が身の危険の問題は解決された。
しかし稲藤の貞操は──
「じゃあ今日からしばらくの間、よろしくお願いしますねっ。ソウくん♡」
「お、おう……」
変わらずデンジャーゾーンのままになりそうである。
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