【祝・完結!】2番目に好きな人と結婚しました。
ゆず 柚子湯
第0章
000 ご飯にする?お風呂にする?それとも……
「試験が終わった者から退出してよろしい」
そう教授が言い終えるのを待ってから、俺は席を立った。
「お願いします」
「一瀬早いな、さすが首席ってとこか」
「やめてください。もう二年も前の話ですよ」
大して親しくもない教授との会話を謙遜で切り上げ、俺は講義室を後にする。
冬の乾いた風が、古びたキャンパスの中で渦巻く。入学前は輝いて見えた彼の東京大学の校舎も、二年の冬にもなれば慣れた景色だった。
俺、
────そう、あの日までは。
枯れ葉ももはや見当たらない睦月の禿げた街路樹を横目に、俺は帰路を黙々と進む。
少し前までは冬でなくともモノクロに見えた視界は、少しだけ色づいている。足取りもどこか軽かった。今日の夕飯は何だろう。教授が駄々スベリしていたギャグの話をしたら、なんて言うだろう。アイツは今日どう過ごしたのだろう。
「……なんてな」
今日は冬休み明け初日。そして、俺たちの記念すべき初日でもあるのだ。どうでもいいが、初日からいきなり確認テストと称して試験を出してきた教授は違憲で訴えよう。
大学から十五分ほど歩いたところに、俺の下宿はある。玄関の前で、一応鍵を取り出そうとすると、先にひとりでにドアが開かれた。否、彼女がドアを開けたのだった。
「おかえりなさい」
「おう、ただいま」
無機質で淡白な挨拶を、少し狭い玄関で交わす。
温められた部屋に入ると、冷え切った身体が沁みるようだった。俺はダッフルコートをハンガーに掛け、テーブルを挟んで向かい合って座った。
出迎えてくれた彼女は
────夫婦でもある。
「ご飯にする? お風呂にする? そ──」
「いや、もう用意されてるんだからメシ以外の選択肢はないだろ」
「用意されてなかったら別のを選ぶのね?」
「そんな反実仮想には付き合わないぞ」
「妻の〝たられば〟くらいは付き合うのが夫ってものでしょう?」
「そうか、そうだな。じゃあ最後のオプションを」
「え、え?」
「ん、どうした? ご飯か風呂かしか言ってなかっただろ。食事が用意されていないなら俺は風呂に入る」
「はぁ……。二択なら最後じゃなくて後者って言うべきだと思いますけど」
「おい、メシ冷めるぞ」
「もう」
そう、既にテーブルには彼女が用意した美味しそうな和食が並んでいるのだ。白米に味噌汁、生姜焼きにキャベツと玉ねぎのサラダ、それにきめ細やかなお豆腐。
しっかりとした一汁三菜だ。湯気と匂いが鼻孔をくすぐり、食欲を掻き立てる。
「じゃあ、食べるか」
「ええ……」
「というわけで」
「「いただきます」」
まだ
しかも別に俺たちは、お互いのことを愛している訳ではない。
そう、確かあれは先月の……
「あの……お、美味しいかしら?」
「え?」
俺が結婚の発端を回想しようとしたところで、橘の声に引き戻される。やばい、今なんて聞かれた?
「あ、ああ。それでいいと思う……多分」
「全然聞いてないじゃないの」
「悪い、考え事してて。なんて言ったんだ?」
「別に。大したことじゃないわ」
そう早口で言って、また彼女の箸は淡々と豆腐に伸びていく。
よく橘は顔に出ないと人は言うが、俺から見ればこんなものは一目瞭然だ。
これは、拗ねてるな……。
「そ、そういえば、よく俺が帰ってきたって分かったな? 先に扉開けただろ」
「え? まあ……階段の音で分かるわよ」
確かにここは三階なので聞こえなくはない。でも普段気になるほど大きい音じゃないはずだ。
「旦那の帰りが待ち遠しくて、耳でも澄ませてたのか?」
「そ、そんな訳がないでしょう? ちょうど瞑想にふけっていたから雑音がよく聞こえたのよ」
「瞑想なんてお前するのか」
「ええ昔から趣味ですけど? 知らなかった?」
その真偽はともかく、瞑想で雑音聴こえちゃったら駄目だろ……とはさすがに言えない。
まあ兎にも角にも、美味しい料理を作って待ってくれたことには感謝をしないとな。
「ありがとう」
「なにがよ」
「美味しかった。ごちそうさま」
俺はそう言って、自分の食器を洗うべくキッチンに向かう。
「そ、そう……」
俯いた彼女の頬が少し緩んでいたのは、気付かなかったことにしよう。
あんまり茶化すとこれからの生活に影響を与えかねないからな。
俺たちの結婚生活は、まだ始まったばかりなのだ。
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