第35話 VS聖十騎士ミネルヴァ②

「はああああッ!」


 開幕と同時にアリアの放った一閃がミネルヴァの頬を掠める。

 その後、オレと戦った時以上の剣速を持って、ミネルヴァが振るう刀を弾き、アリアの命の剣による一閃がミネルヴァを追い詰める。

 オレが見た限り、あのミネルヴァという聖十騎士は確かにかなりの実力を備えている。

 隙のない剣術。『命の剣』を握り、能力値を増幅させたアリアと互角に渡りあう実力は先ほどのルルやネネ、アリス達よりも遥かに上であろう。

 だが、そんな彼女相手にアリアは僅かだが押している。

 この勝負、オレが見る限りアリアの方に分がある。

 それを証明するように彼女の剣技を受け止めるミネルヴァは感嘆に息を呑む。


「ほお、これは驚いた。確かに儂の元にいた頃よりも遥かに強くなっておるな、アリシアよ。察するにその真名スキルの力か」


「いえ、違います。これはアタシが守りたいもののために力を振るっているから。親友のシュリを守るために限界以上の力が振るえるんです!」


 そう言ってアリアは剣速はさらに輝きを増す。

 ミネルヴァが振るう刀を弾き、ついにその切っ先が彼女の喉元を捉えた。


「――獲った!」


 勝利を確信し、剣を突き立てるアリア。

 だが、その瞬間、彼女の『命の剣』がガラスのように砕け散った。


「なっ!?」


「ッ!?」


 どういうことだ!? まさか、自分の師を手にかけることを躊躇った結果か?

 一瞬そう思ったが、しかしアリアの表情を見て、それは違うと断言出来た。

 彼女の顔にあったのは純然たる驚愕。

 そこには師を相手に油断や慢心、ましてや同情めいた手心を加えようとする感情は一切感じられなかった。

 これはつまりアリアの意思とは無関係の何らかの外的要因によるもの。


「言ったはずじゃぞ、アリシアよ。お主は儂の真名スキルを知らぬと」


「なにを……ッ!?」


 瞬間、アリアが口元を押さえると同時に吐血する。

 なんだ!? 一体どうしたのだ!?

 思わずそう問いかけようとした時、オレも自身の体に違和感を覚えた。


 なんだこれは……? 体が、重い……? 呼吸が苦しい……?

 いや、違う。これはまるで体が何かに蝕まれるような……。

 それに気づいた瞬間、オレはすぐに隣にいたシュリを抱え『防御魔法LV10』を迷うことなく取得し、自分の周囲に結界を張る。


「ほお、さすがじゃな。自分と巫女の周囲に結界を生み出したか。しかも儂の『真名スキル』による侵食を防いだところを見ると、どうやらレベル10のようじゃな。もっともレベル10以外ならば、即座にお主が構築した結界も汚染され、朽ち果てるところじゃったぞ」


 それはどういう意味かと問いかけようとした瞬間、オレは目の前の変化に息を飲んだ。

 先程まで目もくらむほどの美しい自然、豊かな花や木々に溢れた景色がみるみるうちに変わっていく。

 それもただの変化ではなく、真っ白なキャンバスにどす黒い色を塗るかのようなおぞましい変化。

 草木は枯れ落ち、木々は腐り始め、川の水もまるでドブ川のように黒く汚染されていく。

 その変化はさながら楽園が地獄に変化するかのように。

 そして、それは自然だけではなく人間にすら影響を及ぼしていた。


「うがああああああああああああああああああッ!!」


 絶叫をあげ、体中を掻き毟るアリア。

 見ると、その美しい白い肌に黒点のような奇妙なアザが広がっていた。

 腕や足、顔などあらゆる場所に黒いアザが広がり始めると、それに同調するようにアリアは苦しみだし、その場で悶え始める。


「アリシアちゃん!?」


「アリア! おい、しっかりしろ!!」


 あまりの酷い変化にオレだけでなく、シュリすらも悲痛な叫びをあげる。

 そんな中で周囲のどす黒い変化にまるで恍惚とした様子で、ただ一人立ち尽くす人物。アリアの師・ミネルヴァはその顔に見たこともないような残酷な笑みを浮かべ、地べたに這いつくばるアリアを見下す。


「どうじゃ、アリシアよ。これが儂の真名スキル『蠱毒猛毒』じゃ」


 蠱毒猛毒。

 その名を聞いた瞬間、オレは背筋に寒気が走った。

 この目の前の異様な変化。さらにアリアの身に起きたあの異常。

 ミネルヴァが告げたスキルの名前からも、その特性は恐らく――!


「ど、く……」


「その通りじゃ」


 かすれる声で呟くアリアの頬をミネルヴァが優しく撫でる。


「儂の『蠱毒猛毒』はあらゆる生命を侵す侵食の毒。お主が自身の生命エネルギーで武器を生み出すのとは逆に儂のこれは儂以外の生命を喰らい尽くす。見ての通り、一度使用すれば儂以外が全滅するため、普段の使用は禁じられておる。じゃが、儂はこのスキルで悶え苦しむ相手を見るのが好きでなぁ。特にアリシア、お主のように儂が手ずから育てた者が苦しむ顔はとても興奮するぞ」


 そう言ってミネルヴァはアリアの髪をまるで幼子のようにとかし始める。

 なんてことだ。こんな『真名スキル』の持ち主がいたなんて……。

 これはもはや強いとか弱いとか、それ以前の問題だ。

 自分以外を皆殺しにする今まで見てきた『真名スキル』の中でも特に無差別かつ凶悪なスキルだ。

 この人……本当にこの国を守るための聖十騎士団の一人なのか?

 そう思わずにいられないほど、目の前の儚げなダークエルフの少女が持つスキルはあまりに歪であり、あまりに邪悪であり、それを裏付けるように彼女の微笑みはあまりに残酷で――悪魔のようであった。


「あ、ぐぅ……が、あぁ……」


 だが、それでもアリアは必死に腕を動かし、その手に『命の剣』を宿そうとする。だが――


「無駄じゃ。お主の真名スキル『命の剣』といったか? それは生命エネルギーが剣となったものであろう。じゃが、儂の毒は“生命そのもの”を蝕む。この毒壺の中で命の剣を生み出しても、それは瞬時にこの毒に侵され消える。つまり、お主の剣は出せないのではない、“出した瞬間に蝕まれて消えておるのじゃ”。儂の真名スキルの空間内ではお主の『命の剣』は生まれることさえできぬ」


 それはまさに命の誕生を拒否する死神のスキル。

 ミネルヴァの真名スキルはまさにアリアの真名スキルを殺すために生まれたかのように相性が最悪すぎた。

 オレはすぐさま結界を解いて、アリアの救出に行こうとするが、しかしそれをすればシュナが一瞬でこの『蠱毒猛毒』に侵され、命を奪われることがわかってしまう。

 手を出したいが、結界を生み出したが故にこの場から動けずにいるオレ。

 それをミネルヴァも理解しているのか、あざ笑うかのような視線をこちらに向け、弾かれた刀を手に取るとそれを眼下のアリアへと向ける。


「さて、終いじゃ。アリシア。最後はこの儂の手で殺してやろう。せめて、その肌が美しいうちに……のぉ」


 そう言って刀を振り下ろすミネルヴァであったが、アリアはそれを寸前で回避し、立ち上がる。

 だが、すでに体中が毒による黒点に覆われ、残るは顔と腹、腕の一部のみとなっていた。

 もはや、彼女に『命の剣』を生み出す体力は残っていない。

 それをミネルヴァも理解しているのか、その顔に薄い笑みを浮かべる。


「無駄なあがきをするでない、アリシア。それ以上、苦しんでも辛いだけであろう。今、儂が止めを与えてやるから、お主はそれを座して受け取れ」


「あい、にくですが……そういうわけには、いきません……アタシは、あなたに勝って……この先を真人に繋げる……そして、シュリを、守る……!」


「アリア……」


 そう告げたアリアの目にはまだ希望の光が残っていた。

 オレは彼女と視線が合い、彼女はそんなオレに告げた「自分を信じろ」と。

 オレはそんなアリアの意思を汲み取り、この戦いの終結を彼女に委ねた。


「そうか。では、せめてお主のその大事な人が死ぬ瞬間を見ぬよう、先に涅槃にて待つがよい!」


 ミネルヴァは刀を振り上げ、アリア目掛け、最後の一刀を放つ。

 瞬間、決着は付いた。

 鮮血の放物線を腹より吹き出しアリアはその顔に――勝利の笑みを浮かべた。


「なん、じゃと……?」


 ミネルヴァが振り上げた刀はアリアに――届かなかった。

 その刀はアリアの首に届く寸前に止まり、それよりわずかに速く“アリアの腹を突き破って生まれた命の剣”がミネルヴァの胸を突き破った。


「これは……どういう……?」


 困惑するミネルヴァに口から血を滴らせながらアリアが答える。


「この猛毒の空間内で命を生み出そうとすれば、それは蝕まれ生み出せない……。なら、まだあなたの毒に侵されていない部分――“私の体内”で命の剣を生み出せばいい……」


「なっ!?」


 アリアの腹を突き破って出てきた『命の剣』。

 それは確かに毒の黒点に覆われていない彼女の肌の部分であった。

 だが、体内で『命の剣』を生み出すということは当然ながら、彼女の腹の中もその剣により切り裂かれ、臓器にすら致命的なダメージを与える。

 しかし、彼女はそれを迷うことなく実行した。

 肉を切らせて骨を断つ。

 いや、彼女がやったのはそれ以上のこと。

 己の腹を切ってまで、アリアは自らの師に一矢報いた。

 その事実を前に彼女の師であるミネルヴァも、己の敗北を悟り、その顔に感服の笑みを見せる。


「見事な……覚悟、じゃ……アリ、シア……」


 その一言と共にミネルヴァは地に倒れ、彼女を中心に生み出されていた毒の空間『蠱毒猛毒』もまた消失した。

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