外伝 英雄バルザック

「ーーーーーーーーー」

森林の深部にある洞窟の入り口からほんのり緑がかった明かりが漏れ出ていた。


洞窟の奥からは複数名から発せられた怪しげな祝詞が聞こえてくる。

重なり合う低く響いた声は洞窟内を反響し、本能的な恐怖を呼び起こすに十分な不気味さを包含していた。


目深にローブを被った魔導師達は、洞窟の最深部に鎮座する石のような物体を中心に円になりながら不気味な呪文を唱えていた。

その鉱石からは不規則な強弱の混じった黄緑色の光が洞窟の壁面を怪しく照らし、風に揺れる水面のような模様を浮かび上がられていた。


気味悪く発光する物体に照らされた”奏者”達は一様に青白い顔をしており、両手を鉱石に向けながら一心不乱に呪文を紡いでいく。


一人の奏者が膝から崩れ落ちるようにその場にうつ伏せの状態で倒れこんだ。


「持ち場を離れるな。黄泉渡しに集中しろ。」

呪文を唱えず、発光する石から距離を置いた場所で奏者達を見守っていた男が鋭い声で指示を出す。


男は高品質の黒い外套の中に深い青色の軍服に身を包み、右手には金属製の杖を携えていた。

金属の杖の先にも緑色に光る鉱石が嵌め込まれているのが見える。


男の声を聞くと、倒れこんだ奏者に一瞬気を取られた者達も再度目の前の石に意識を戻して呪文の詠唱を再開した。


発光する鉱石の周囲に黒い煙のようなものが生じ、鉱石の周りを取り囲んでいく。

細長い形を成していく煙によって鉱物から発せられる光は徐々に遮断され、洞窟内部がより一層靉靆としていく。


ごごごっと、鉱石の周囲に小さな稲光のような発光が見られ、その煙の奥から鋭い牙を有した長く伸びた口が抜け出た。


煙の奥にある魔獣の瞳が赤黒く不気味に光ると、洞窟内の奏者達の様子をぐるっと見渡す。


次の瞬間、渡来させられた”龍”は大きな口を開き咆哮を上げる。

龍の周りを囲んでいた奏者達はその力強い啼き声に肝をつぶし、無様にもその場で尻餅をついた。


龍は周囲を確認しながら煙の奥から地面へと前足を伸ばし、這い出るようにしてその巨大な体を引きづり出していく。


指示を与えていた男は持っていた細長い杖を掲げ、煙から姿を現した龍に向けて呪文を発する。

杖の先端が光を発すると、龍の喉の付近には呪印が浮かび上がり、その紋様を赤く点滅させた。


すると先程までの奏者達を恐怖させていた龍の荒々しさは鳴りを潜め、ゆったりとした足取りで一歩ずつ煙の中から体を出現させていく。


黒煙に取り巻かれる鉱石からは体長10メートルはある龍の全容が露わになった。前方に位置していた奏者は龍に踏まれないように後ずさりしてその巨体から遠ざかった。


青い軍服の男が持つ杖の先端の前方には龍に浮かんだ紋様と同じ印が発現している。

男は額に杖を引き寄せてさらに魔力を流し込んでいく。


紋様に魔力が注がれるのと連動するように印の光が強くなる。龍が小さな唸り声を発し、魔力の源泉である奏者を見た。


「ーーーお前はそのままフジェールの地に向かい、彼の地を焼き尽くせ。」

目があった男は手を前に突き出して龍に指示を出した。


その言葉に従う形で龍は巨大な翼を広げた。強靭な翼の羽ばたきでまだ尻餅をついたままの奏者達のフードがなびく。


龍は力強い跳躍で洞窟の最深部を一気に飛び出した。


「まだ1匹目だ。次の黄泉渡りを急ぐぞ。」

男はまだ気もそぞろな奏者達に喝を入れて次の作業に取り掛かり始める。

再び奏者達を規定の位置に立たせると、先程と同様に呪文の詠唱を開始させた。


洞窟を飛び出た龍は洞窟の目の前に生える木々を薙ぎ倒し、その後急激に空へと浮上する。

巨大な翼を羽ばたかせてさらに速度を上げると、龍は天に蓋をするような雲に紛れるように空の彼方へと消えていった。




暗闇が支配するはずの半宵を過ぎた大地の片隅に真っ赤な一点の光が煌々と浮かび上がっていた。

その真っ赤な点は徐々にうねりをあげて闇夜に一筋の炎の楼閣を作り上げていく。


炎に包まれた港町からは怒号と叫喚がごった返しに入り混じり、本来は街の品位を高めていた絢爛な住居や盛況を呈していたはずの商家は人の体を一瞬で蝕ぶ流行病の様に炎で侵食され、町全体を真っ赤に染め上げていた。


街の衛兵の指示のもと、民衆は蜘蛛の子を散らすように大陸側に設置された門へと向かう。


高価な宝石を抱えていた夫人が入り乱れた群衆に追いやられる様に外に弾き出された。

受け身も取れないまま体を強く地面に叩けた夫人は抱えていた宝石を腕から手放してしまう。


あっ、と恐怖と悲観に打ちひしがれた面持ちで夫人は地面に四散した宝石に手を伸ばした。


「宝石などこれからいくつでも買う事は出来るが命はそうではない。早く門まで急げ。」

鎧を身に纏った兵士が地面に転がる宝石を拾い、もう片方の手で夫人の腕を持ち上げて立たせながら言った。


目線を上げた夫人の目の前には精悍な顔つきの男が立っていた。

金色の長髪は後ろに撫で上げられており、肩までしかない鎧からは鋼のような腕が伸びている。


「ありがとうございます。」

夫人は男が拾い上げていた宝石を受け取ると、男の鋭い視線に萎縮したように視線を下に向けたまま小さな声で感謝の言葉を述べる。

男は言葉を交わさず、夫人に一瞥だけくれると群衆の先へと向かっていった。


男が歩みを進める先は街の中心部。

そこにこの街を壊滅的な状況に貶めた元凶である、飛龍:ヘルカイトが上空を舞っていた。


その巨体は街の炎で照らされて赤黒く浮かび上がっている。3体のヘルカイトは闇夜を滑空しながら咽喉で作り出した灼熱の炎を理不尽に街中に降り注いでいく。


火の手が各地から上がり、男は壊滅的な状況になっている周囲を見回すと上空の仇敵を睨みつける。


人々が恐怖に慄き逃げ惑っている中、男は正面から向かってくる群衆を強引に掻き分けて街の中心部にある噴水へと足を進めていた。


突然目の前の群衆の合間を縫って黒い煙が現れて男の体をすり抜けていく。


判別の付かない事象に男の体は一瞬硬直し、群衆を掻き分ける手を止めた。

それは恐怖でも武者震いでもなかったが、戦場でも経験したことのない形容し難い感情だった。


男は不可解な出来事に混乱し、すぐに後ろを振り返るがそこには男の体を通過していった黒い霧は存在していなかった。


なんだ今のは。男は当惑する思考のまま門へと逃げていく民衆の後ろ姿を見つめている。


しかし呆気にとられていた男の意識は後方からぶつかる群衆によってすぐに取り戻されることとなった。


今は噴水まで進まなければ。男は元々の使命をすぐに思い出し、慌てふためく群衆を割って街の中心部へと進んでいった。



群衆を抜けて中央の噴水まで出ると、飛翔するヘルカイトの姿をより鮮明に捉える事が出来た。


上空で炎を吐き出しながらけたたましい金切り声で周囲を威嚇している。

ヘルカイトの攻撃にやられた兵士が地面を這いつくばりながら後方へと避難している姿が見えた。


先に到着していた別の兵士たちは攻城戦に用いるバリスタを並べ、上空を飛び回るヘルカイトに槍に近い形状の極太の矢や石の弾を放っていた。


出遅れたか。男は他の兵士よりも到着が遅れた事を悔やみながら周囲を見渡し、矢が直撃して落下しているヘルカイトがいないかを確かめた。


しかし空中を自由に飛び回るヘルカイトには無情にも当たっておらず、街の奥に位置する海面へと回避された矢は沈んでいくだけだった。


すると男の上空後方から野太い怒号が響いた、グリフォン部隊だ。


身の丈を優に超えるランスを掲げた兵士たちがグリフォンに乗ってヘルカイトに向かって突進していた。


今回のヘルカイト討伐作戦としては空中でグリフォン部隊が陽動し、地上の弩砲によってヘルカイトに致命傷を与える戦略だ。

砲兵を除く地上兵は落下してきたヘルカイトにトドメを刺すための要員である。


男は空中を舞う仇敵を見つめながら、いつでもヘルカイトの喉元を切っ裂ける様に腰に帯刀していた片手剣を引き抜いた。

鞘と剣先が擦れる事で澄んだ金属音が男の耳に届いた。


一番槍はグリフォン隊に譲るが息の根を止めるのは俺だ。剣の柄を握る手の力が自然と強まる。


グリフォン部隊は5人1組の扇型の隊列を組んでまずは中央のヘルカイトへと進撃する。

そしてその様子を見ている後方の砲兵たちが事前の計画通りに矢を射出した。


グリフォン部隊は弩砲の音が届いたと共に上空、右翼、左翼に四散してヘルカイトの動きを牽制する。

隊列が解消された場所から回避不可能な速度でヘルカイトに巨大な矢が接近していた。


ざしゅ、と肉を引き裂く着弾音が響いた。右翼に直撃を食らったヘルカイトは体勢を崩し、落下を始める。


「やったぞ!」

グリフォン部隊も地上兵も一体目のヘルカイトに矢を当てた事で安堵の色を見せ、何人かの兵士が喜びの声を上げた。


しかし次の瞬間、落下を開始していたヘルカイトの目に生気が宿り、左翼側に逃げていた2人のグリフォン隊に顔を突き出した。


左翼のグリフォン騎兵が気を抜いていた時間はわずか一瞬ではあったものの、その一瞬の為にグリフォン騎兵達は回避行動をとる事が出来なかった。


ヘルカイトは大きな口を開き、1対のグリフォン騎兵を鋭い牙を有する顎門で捉えると、嚙み付きから辛くも逃れたもう一対のグリフォン騎兵に対しては屈強な前足で地表へと叩き落とした。


耳にこびりつく瑞々しい音と共に叩き落とされた騎兵が石畳に吸い込まれていった。


ヘルカイトは右翼に空いた風穴によって痛みに哮りを発しながら、体を回転させて噴水近くに落下する。


それでいても未だ噛み付かれて離されないもう一対のグリフォン騎兵には深々と牙が刺さりこみ、ヘルカイトの回転に連動しながら地表にいる兵士の頬に朱色の鮮血の雨を降らせた。


地上兵はヘルカイトに矢を当てた安堵から瞬く間にグリフォン騎士を2騎同時に失い、絶望から放心したように落下したヘルカイトへ力のない視線を送っているだけだった。


「何をしている!地上兵はまずは飛龍の喉元に剣を突き立てろ。」

男は呆気に取られていた兵士に喝を入れながら自身は地上に落下したヘルカイトのもとへと一目散に走り出していた。


右翼に風穴を開けられたヘルカイトであるが、まだ体自体はほぼ無傷である事もあり、すぐに上体を持ち上げて右翼を破壊した砲兵たちに向けて強烈な火炎放射を行なった。


バリスタの近くでヘルカイトの動きを見守っていた砲兵たちは、なす術なく一面の炎に焼き尽くされていく。


男は上体を起こしたヘルカイトを見るとすぐに横っ飛びでヘルカイトから距離を取り、飛び込み前転の要領で火炎放射をなんとか回避していた。


「はぁぁあ。」

ヘルカイトの目の前で飛び上がった男は剣を大きく振りかぶてその剣先を喉元に突き刺した。


勢いをつけて差し込んだ剣は硬い鱗を貫通し、深々と喉の奥まで剣先を届かせていた。


男はすぐに剣を引き抜く。その裂傷からは勢い良く真っ赤な血が吹き出した。


龍の鮮血を浴びる事に嫌がる素振りを見せず、男は間髪入れずに剣先を再度喉元に突き刺した。


ヘルカイトは喉の奥から苦悶の声を発し、長い首をもたげて剣を引き抜こうと試みる。

男は片手で剣を突き立てながら、もう片方の手で振り落とされないように龍の首を持ってさらに剣を喉の奥に突き刺す。


男は左右の腕を交差させるように力を入れ、喉奥に刺さっている剣を滑らせ、ヘルカイトの喉元を切り裂いた。


最後に大きな叫声を放ったヘルカイトは遂に力尽き、力の入らなくなった首がしなりながら石畳へと崩れ落ちる。


男は喉を切り裂く為に体勢を少し崩していた為、受け身を取り損ねて地面に着地する事になった。


ヘルカイトが落ちて出来た瓦礫に落ちていき、辛うじて腕を伸ばす事で胴体が直接地面にぶつかることを避けた。


肺が衝撃を受けて口から息が漏れる。しかし男は鈍痛に耐えながら直ぐに立ち上がる。


「かはっーーー2匹目、、、2匹目も俺が仕留めるぞ。」

男は気合で痛みを押し殺して立ち上がると周囲に宣言した。おおっ、と周囲の兵士達が男の剛勇さに共鳴するように怒号を響かせた。


残りのグリフォン騎兵は上空にいるヘルカイトの火炎放射を避けながら動きを制限するように旋回している。


先ほどの落下したヘルカイトの火炎放射によって砲兵の戦力の半分程度が失われているが、残った砲兵がバリスタに矢を設置して打ち出しを開始していた。


砲兵と連携しながらグリフォン騎兵がヘルカイトに向けて槍を突き出す。ヘルカイトはぐるっと旋転するような動きで槍の穂を避けると、体をひねってしなりを効かせた尻尾での攻撃を繰り出す。


奇をてらった攻撃にグリフォンは上手く尻尾の下を搔い潜ったものの、騎乗していた兵士の顔面に尻尾が直撃し、騎兵は宙から噴水の中に真っ逆さまに墜落した。

透明な水はすぐに染み出した血によって赤く染められていく。


「来い!」

男は主人を失ったグリフォンに声を放って両手で手招きする。男と目線を交わしたグリフォンは地上に舞い降ると男の前で着地した。


男はグリフォンに跨って両足でグリフォンの胴を挟むとさらに力を入れて浮上の合図をした。


「俺が倒す。」

高温で粘性のある龍の血を血振りを行なって払い落とし、ヘルカイトに向かって一直線に接近していく。


「貴様、無秩序に動くな。」

上空でヘルカイトと攻防を繰り広げていた騎士が、男がグリフォンを呼び寄せて上昇する様子を見ると戦いを取り止め、高度を下げて男の横に並ぶ。


その騎士は今回のヘルカイト討伐の作戦会議時に准将から紹介されていたグリフォン部隊の隊長であった。


「下で飛龍を倒したのは見ていた。腕に自信があるのは分かったが、隊の編成を崩すんじゃない。連携して展開することで敵を倒すのだ。」

隊長は男の騎乗するグリフォンと距離を離しては近づけ、ヘルカイトの注意を引きながら接近していった。


「我々と飛龍ではリーチが違う。勝負は一瞬だ。相手の攻撃してくる兆しを察知し、その攻撃の起こりに先んじて一撃を叩きいれるのだ。」

隊長は一気に速度を上げて男の前に出るとヘルカイトの左翼方向に浮上してランスでの攻撃を試みる。


ヘルカイトは隊長の動きに釣られて右前足で叩き落とそうと鋭い爪を振り下ろした。


隊長が騎乗するグリフォンはヘルカイトの攻撃のタイミングで旋回し、十分な余裕を持って前足の直撃を避けた。


男は隊長の陽動で注意が逸れたヘルカイトの頭上から滑空し、ヘルカイトの右頭部に向けて剣を振り下ろす。しかし男の動きに気が付いたヘルカイトは顔をもたげ、巨大な口を開いて男に噛み付いてきた。


ヘルカイトの口が開くと同時に男はさらに高度を下げて噛み付きを狙う下顎をすり抜け、自身の首に巻きつけるように振りかぶっていた剣を横薙ぎに振り抜いた。


宙に鮮血が飛び散り、ヘルカイトは耳を劈く金切り声で叫んだ。男がヘルカイトの後ろを突破すると共にヘルカイトの腹部に太い矢が突き刺さる。

矢の直撃したヘルカイトは海に沈む船のように抵抗もなく地面に落下していった。


男は旋回すると最後のヘルカイトに向き直った。

隊長は男がヘルカイトに一太刀を浴びせたことを確認すると、既に残りのヘルカイトに向けて移動を開始しており、残存しているもう一騎のグリフォン騎兵がヘルカイトの後方からランスによる攻撃を仕掛けようとしている所だった。


取った。男は残りのグリフォン騎兵のランスがヘルカイトに直撃する未来を予想した。


「早るな、馬鹿。離れろ。」

しかしヘルカイトは直撃を受けるはずだった頭部を下げて回避し、頭部があった場所を通り過ぎていく騎士を振り返ると牙を向いて噛み付いた。


隊長の指示も虚しく、グリフォン騎士は無残にもヘルカイトの顎に捕らえられる事になった。


「ソルベー!」

隊長はヘルカイトに捕縛された隊員の名前を叫んでグリフォンの飛行速度を上げて近付いていく。


「くっ、新人ばっかに良い所取られてたまるかよ。」

ソルベーと呼ばれた兵士は痛みに顔を歪めながら、唯一出ている右半身を動かしてランスをヘルカイトの右目に突き刺した。


痛恨の一撃に虚を突かれたヘルカイトはソルベーを地上に向けて振り払った。強い遠心力によってソルベーは突き刺していたランスを手離し、燃え上がる住居に飛ばされて鈍い音と共に住居の壁を突き破っていった。


「ちくしょう、ふざけやがってーーーおい、貴様。最後の一匹だ、刺し違えてでも止めを刺すぞ。貴様はそこから直進して飛龍に接近し、攻撃する素振りを見せて背後を取れ。俺がその動きと共に右の死角から攻撃する、貴様はその際に連携して背後から剣を突き刺せ。」

3人目の犠牲に声を震わせる。


隊長は後ろを振り返って男に指示を出すと緩やかに旋回を開始し、ヘルカイトの潰された右目の視界に向かって移動を開始した。

男は無言で頷き、隊長の動きに合わせながらヘルカイトとの距離を縮める。


隊長がヘルカイトから見て左上空、男がヘルカイトの目の前の水平方向からやや下に位置どりした。男がヘルカイトの前方の下方向から接近する事でヘルカイトの視線を下に向けながら注意を引く。


男の動きで注意を引きながらヘルカイトに隊長による槍の刺突を誘導する。仮にそれが回避されたとしても背後から完全に死角を取った上で男が攻撃することが出来た。


「行くぞ!」

隊長の掛け声と共に男はグリフォンに突進の合図を出し、ヘルカイトに向かって全速力で近づいていった。男の騎乗するグリフォンは距離が縮まったタイミングでヘルカイトのやや下の高度から浮上を始めて注意を引く。


ぎりぎりまでヘルカイトの注意を引いた所で急降下し、その後背後を取ることが男の役割である。


するとヘルカイトは接近してきたグリフォンの動きを見ながら息を大きく吸い込んで首を仰け反らせた。その様子を見て隊長は目を見開く。


ーーー浮上して炎を避けろ。

隊長がその言葉を発する前にヘルカイトは咽頭から灼熱の炎を吐き出していた。


ヘルカイトを始めとして龍族が炎を吐き出すのは基本的に上から下に向かってか、下から前方乃至は左右に向かっての動きしかない。

それは体の構造上上向きになった方が喉が開く為、火炎の威力が下がって保炎性が低下するからである。この場合で火炎を避けるには上空へ逃げるしかなかった。


ヘルカイトの必殺の攻撃であった火炎放射はその実、男には届いていなかった。

男は火炎放射の予兆を察知すると即座にグリフォンの体勢を上昇に変え、ヘルカイトの目の前を飛翔していた。


だがその動きに追いかける形でヘルカイトは首をもたげて火炎を上空に引き延ばす。徐々に炎の威力は下がっていたが、それでも炎は数百度を超える温度を有しており、炎に身を包まれてしまえば一溜りもない。


ぎりぎり逃げ切れたと思われたグリフォンであったがヘルカイトの炎から逃れられる安全な領域まで体一つ分届かなかった。


グリフォンは全身が炎に包まれるとピューイと声を漏らした。

グリフォンが打ち倒される事は宙にいる男の死も同時に意味する。隊長もグリフォンの背に乗る男も炎に身を焦がされていると想像したが、自身の予測を遥かに超える出来事を目の当たりにしていた。


男はグリフォンが火炎に包まれる直前にグリフォンの両翼を蹴り上げ、ヘルカイトの頭部に向かって飛び上がっていたからだった。


ヘルカイトの頭頂部に向けて剣を振り下ろした男は剣を滑らせながら慣性によってヘルカイトの背中に向けて滑っていった。

龍の硬い頭頂部には剣の切っ先は突き刺さらず、小さな裂傷を与えるに留まっていた。


「うおぉお。」

男は重力を感じながら途中に突き出たヘルカイトの頚椎に当たる棘突起にしがみ付いて落下を免れた。


すぐに体勢を整えた男は再度ヘルカイトの頚椎に向けて剣を突き立てる。


しかしここまで2匹のヘルカイトを葬ってきた剣は無情にも根元からぽっきりと折れる。分断された剣先は地上に落下した。


ヘルカイトは首筋に張り付いている男を振り落とそうと飛行速度を上げて旋回する。しかし男はヘルカイトの首の突起にしがみつき、すっぽ抜けそうになる腕を必死に留めていた。


隊長がその隙に乗じてヘルカイトの翼に攻撃を仕掛ける。滑空するグリフォンに乗った隊長がランスを突き出し、左翼の皮膜に一筋の裂傷が刻んだ。

左翼側に傾いたヘルカイトはバランスを取る為に少し動きを止める。


今だ。男は意を決して棘突起を足場に蹴り上げると、後頭部から後ろ向きに生えている角に飛び移った。


そしてソルベーが刺したままになっているランスに両手を伸ばす。一度ランスを引き抜いた上で再度ヘルカイトの目の中に突き刺した。


鈍い感触が男の手に伝わる。ランスが脳まで貫通したヘルカイトは飛行を継続することが出来なくなり、頭から地面に向かって垂直落下していった。


「手ぇ伸ばせ!」

隊長は落下するヘルカイトに並列飛行すると、共に地面に墜下していく男に向かって手を伸ばした。


男はランスを持つ手を離し、ヘルカイトを蹴って隊長の方へと飛び移ると、自身に差し出された手を掴んだ。隊長は男の手を引いて男の体を脇に引き寄せるとグリフォンを上昇させた。


だがグリフォンの羽ばたきでは既に鉛直方向に加速度を持っている男たちの落下を食い止める事は出来ず、落下速度を低減させるだけだった。


倒壊していた住居の中に男たちは突っ込んでいき、瓦礫が崩れていく音が聞こえる。


「ボッシュ隊長、大丈夫ですか。」

地上で男たちの戦いを見守っていた兵士の一人が瓦礫の山を掻き分けて中に侵入してきた。


「ーーー大丈夫だ。それよりも先にこの向こう見ずな新人の体を見てやってくれ。」

安否を確認されたヘルカイト討伐のグリフォン隊隊長のボッシュは消え入りそうな声でそう回答した。


住居に頭部から衝突していた男は右の額から血を流して気を失っていた。


いくらグリフォンがクッションになる形で衝撃を吸収していたとしても、頭部を兜で守られているボッシュと異なり、地上数十メートルから斜めに落下して無事で済むはずがない。


「承知しました、隊長。直ちに担架を持ってきて衛生兵のところまで連れて行きます。」

兵士は踵を返すと瓦礫の山を抜け、後方支援部隊のいる方へと駆け出していった。


その様子を見てボッシュは緊張の糸が切れたかのように意識を失った。




これがフジェールの地に襲い掛かったヘルカイトを迎撃した英雄:バルザックの最初の戦場であり、バルザックが英雄と称されるようになる武勇伝の一つである。

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