第10話 偽物の父
終電の一つ前の電車に乗ることができた。登り方面の急行電車は混んでこそいないが、二人が並んで座れるほどは空いていない。
紫苑は立ったまま私の肩に小さな頭を預けている。うつらうつらと眠っていたり起きていたりを繰り返す。はたから見ると親子にしか見えないだろう。
各駅停車に乗り換えてから、二人とも座席に座れた。今度は半身をこちらに預けて眠り始める紫苑。自分が寝たら取り返しがつかないので、携帯のアラームを念のためセットした。
短い距離だが、駅からタクシーを使い、アパートに着いた。
眠いからお酒ちょーだい、という紫苑にバーボンしかないけど、と言ってなるべく薄くなるように、ロック風水割りを渡した。一気に飲み干した紫苑が「せめてロックにして」といってグラスを返してきた。宣言通り目が覚めている。
先に行っておくけど、どこにでも良くある話だから、拍子抜けしないでね。と言ってまるで自分の家に着いたようにリラックスした様子で服を脱ぎ始める紫苑、そういえば以前、家の中では裸で過ごすことが多いと言っていた。全裸でベッドに腰をかけ、宮棚にグラスを置く。毛布を肩から羽織りながら「隣で聞いて」と手招きをする。
上着と靴下だけ脱いで、紫苑の隣に腰を下ろした。
ゆっくりとだが、要点だけ簡潔に話す紫苑。
紫苑が幼い頃、紫苑の血液型から母親の浮気が発覚し両親は離婚したらしい。父親(紫苑は偽パパと呼んでいるが)は紫苑と自分に血の繋がりがないことをそれまで知らなかった。
離婚を境に母親はそれまで父親と一緒にいた時とはまるで別人のようになってしまったそうだ。肉体的な虐待こそ受けなかったが「あなたの所為で…」と、ことあるごとに恨み言を浴びせられて育った。
ここまではよくある話だった。
「ママの元から旅立ちたかったんだけど、先にママが壊れちゃって、今は施設。あの人は私のことも偽パパのこともきっと思い出せない。ママが自分を失くすのは二度目だもの」そう話して、しばらく黙ったまま、膝を抱えてうつむいた。
「それで、本当の父親を探したいと思ったのか」……腕で顔を隠している紫苑の艶やかな黒髪をそっと撫でながら言った。しかし、紫苑は何を頼りに父親を探そうとしたのか? そう聞こうとしたが、すぐに紫苑が続けた。
「……男の人に、こんな風にされるのってもっと嫌な気持ちになると思った。案外、気持ちいいのね」紫苑の言葉に若かりし頃の俺と歳をとった今の自分が重なる、心臓が破裂しそうになる。こちらの動揺を見透かしたような顔で紫苑が続ける「ねぇ、名前……」と甘えた声でこちらを睨みつける。震える手で髪をそっと撫でながら名前を呼ぶ「紫苑……」鋭い眼光のまま「違うでしょ」と言って口をパクパクさせる。
その唇は、一字一字丁寧に開かれた。
ま ・ り ・ か
「……」頭が混乱して何も言葉が出てこない。紫苑と茉莉花は……。
「あの日、初めておじさんとあった日。私の中におじさんのが入ってきたとき、身体中に電気が走ったよ。頭のてっぺんから足の爪先まで。これがこれこそが禁忌だよ、こんな気持ちいいことは禁じないといけないって。だから私のパパはおじさんだと確信したの。私の心と身体で痛感した。私のパパ、同時にママのメモのあの人。ねぇ、おじさんはどうだったの? 私の中はママより気持ちよかった?」
そういいながら、私に覆いかぶさり、ズボンを弄り陰茎を掴んで自分の股間に擦り付ける。だが、男性機能は紫苑を拒否していた。
彼女と一つになる時の快感はそれまでに感じたことがないもの。だからタブーは決して侵しては行けない。
紫苑と会うたび、茉莉花との白黒な記憶が少しずつ色づいていった。紫苑と会うたびに茉莉花との時間が思い出されていったのは紫苑のフィールドワークだったのか? もしかしたらと思うことはあった。だが、この偶然を信じたくはなかった。
紫苑は初対面の私と茉莉花とをどうやって繋いだのか。先ほどの紫苑の言葉が頭の中で繰り返される。
「メモ……?」と呟いた。顔にかかっていた紫苑の髪の毛が離れていく。
再び、ベッドに腰を掛けた姿勢に戻り紫苑が話し始めた。
「ママのメモにはおじさんのことは〝あの人〟としか書いてなかったよ、偽パパに万が一でもバレないようにじゃない?」
「じゃあ、どうして偶然会った私が父親だと思ったんだ」
「偶然な訳ないじゃん? あのバーで知り合ったおじさんくらいの歳の人と何人も何人もセックスしたよ。何回も何回も。ママのメモ通りのデートをした。確信が持てるまで。おじさんの年齢よりは少ない人数だとは思うけど。おじさんともメモ通りのデートをしたけど、おじさんだけは最初に確信したよ」
「でもあの時、マスターが君は初めて来るお客さんだって?」
「何歳くらいのマスターだった?」と笑う紫苑。
心に冷たい風が吹き抜けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます