973. 更なる秘策


 淀みないフォームから繰り出された比奈のロブパスは、俺と皆見の頭上を遥かに超えゴールラインへ。やや強く蹴り過ぎたか。


 だが、追い付く。追い付いてしまう。

 彼女のキックを信じ、全力で駆け出したから。


 教えてやる、皆見。これが今の俺に出来て、お前に出来ないことだ――!



「嘘ッ、収めた!?」

「シュート来るよっ!」

「ゴレイロ準備!」


 背筋を限界まで引き伸ばし胸を突き出す。宙に浮いたままのトラップは僅かに乱れるが、収まればどうということはない。問題はここから。


 着地と同時にルックアップ。ゴレイロはかなり至近距離まで詰めていた。

 ボレーで撃ってもまず入らない。愛莉は山本さんが見ている。パスも難しい。瑞希はもっと遠い。



「オラァァァァッッ!!」


 背後から皆見が迫っている。全身ブロックでシュートはおろか俺ごと潰す気だろう。一方、ボールはまだ浮いていた。



「駄目、止まってソータ!!」


 悲劇的な結末を悟ったかのような、山本さんの悲鳴がコートに木霊した。やはり彼の身の回りに限って眼が冴えている。


 だが、意味は無い。

 彼が気付かないうちは。



「――切り返したッ!?」


 ベンチで叫んだのはノノか真琴だろうか。トラップでそのまま躱したように見えたのだろうが、正確には少し違う。



「やばっ……!?」


 左脚裏で踏んで、そこから一度引いたのだ。タッチラインギリギリでスペースはほぼ無かったが、皆見の右足の位置を見て股を通した。


 皆見の身体はクッションを失いコートへ投げ出される。彼にしたら意味が分からないだろう。コースも視野もすべて切った筈が、ボールどころか俺のことすら捕まえられなかったのだから。



「池田くんッ、コースを……あっ!?」


 山本さんの指示はゴレイロへ届かない。彼もまた、一連の動きで左右に振られバランスを崩していた。つまり、ドフリー。


 大慌てでシュートコースを塞ぐ山本さんだが、その一歩は致命的。なんせ有希と同じくらいの背丈しかない彼女だ。当然頭上を通されれば……。



「――愛莉っ!」


 意趣返しとまではいかないが、似たような巻き気味のアーリークロスになった。ファーサイドへ飛び込む愛莉の頭に、ピタリ。



「ぎゃうんッ!?」

「うわっ、痛そ!?」


 歓声と共に愛莉は肩を抑え、コートへ突っ伏す。身体がクロスバーに当たってしまったのだ。

 傍で見ている瑞希の方が痛そうな顔をしている。だがヘディングは成功。


 少し位置がズレてしまったゴールマウスの中には、ネットに収まる球体の姿。やった……先制だ!



「ァァああ痛ったぁぁああアア~~……!!」

「よしよーし! ナイスガッツ長瀬!」

「痛ッだァ゛!? ちょ、ばかっ、乗るなぁ!?」


 瑞希に馬乗りされ激しくのたうち回る現在の愛莉は実に滑稽だが、素晴らしいファインゴールだった。あれだけポストが近かったのに、怖がらず頭から食らい付くのだから。大した根性だ。



「行かないの?」

「まだ先制点やろ。こっからや」

「んふふっ。ニヤニヤしてる癖に」

「はいはい」


 ベンチからも皆が駆け寄っていく。俺はそこから離れ、輪へ近付く比奈とすれ違いざまに一言交わし、すぐに自陣へ戻った。


 奴の様子が気になったからだ。

 ちょっとはダメージ喰らってんだろうな?



「……なんでだよ」

「あ? なに?」

「なんであそこで裏抜けなんだよ……タイマンで勝負しろよ……ッ!」

「ハッ。負け惜しみにしちゃ弱いな」


 皆見は憎悪剥き出しで目を尖らせる。失点を喫したショックより、俺のチャンスメイクに不満があるような物言いだ。


 

「確かに昔の俺なら……自分が走るより、味方を走らせていたかもな。サイドをゴリ押しで突破するようなタイプでもない」

「それだけじゃねえ! 自分で撃てただろ!? 舐めてんのかこの野郎ッ!」

「馬鹿言え。パスの方が確率高いやろに」

「……そんな軟なことやってっから、サッカーに戻れねえんだよ……ッ!」


 凄まじい言い草だな。結果的に山嵜は先制し、お前たちはゴールを奪われているというのに。本当に俺のことしか見えていないのか。


 サッカー云々はともかく、大事なことがなに一つ分かっていない。俺がアシストを決め、お前がゴールを取れなかった理由はなんだ?



「悪いな。ここまで無失点なんは俺らも一緒なんやわ。このまま勝たせて貰うで」

「ほざいてろ、クソが……ッ!」


 わざわざ顔を寄せ悪態を付くと、荒々しく息を溢しポジションへ戻る。残念だ。今ので、まだ試合は分からないだろうに。


 学ぶ気が無いのなら教える義理も無い。答え合わせはタイムアップに……いや、ネタバラシさえ億劫だ。何がリトル俺だよ、ガッカリさせやがって。


 無条件で来るパスと、自ら呼び込んだパス。

 その違いが分からないのなら、お前はここまで。


 或いは、理不尽なワンマンプレーで全部ひっくり返すって? やってみろよ、俺みたいになりたいのなら。それならまだ希望はあるかもな。

 


【前半06分00秒 長瀬愛莉


 山嵜高校1-0東雲学園高校】



 先制後も大まかな流れは変わらない。山嵜がボールを保持し、東雲学園は滅多に潰しに来ずベタ引きで自陣に引き籠っている。


 唯一の変化はゴレイロが女性へ交代し、男子の8番が出てきたことだ。山本さんとラインを組み低い位置で構えている。先のようなロングボールへの対策なのだろう。



『前半のうちに二点目が入れば楽だけれど、簡単には崩せそうも無いわ。ねえアヤノ、こんなときこそわたしが必要だと思わないっ?』

「すまんトラショーラス。日本語で頼む」


 シルヴィアがベンチで騒いでいるが、恐らく交代を要求しているのだろう。まぁ確かに守備偏向の連中相手なら、彼女とノノの金髪コンビで特攻させた方が穴を作れそうな気もする。


 最初の交代以降、峯岸は中々動こうとしない。守備の堅い相手にリスクを負いたくない気持ちも分かるが。

 にしても今日の彼女は、ちょっと慎重過ぎるくらいの安全策を取っているようにも思う。


 それほど東雲学園の指揮官……短髪の女性監督による戦略を警戒しているのだろうか。ここまでの展開を考慮するに、相手も効果的な手を打てているようには見えないが……。



「瑞希フォロー!」

「あいあいよっと!」


 俺から斜めのパスが入り、愛莉のポストプレー。すぐに逆サイドへ叩きスイッチが入った。前を向きドリブルを開始する瑞希。



「むむっ……ひーひゃん!」

「良いよ良いよ~!」


 が、対峙する6番が気になったのか。すぐに比奈へ戻してしまう。今日は瑞希のドリブル突破がほとんど無いな……確かに6番は山本さんとのコンビで上手くケアしているが、こうも日和るような相手か?



「はいはい、分かった分かった。次のアウトプレーで交代な。準備しろ」

『コータイ? 交代って言ったわね!? そうそう、そう来なくっちゃ!』

「気ィ抜くとすぐに日本語忘れんのなお前」


 必死のアピールが実ったのか、プレーが切れ次第シルヴィアから投入されるようだ。俺か瑞希との交代だろう。


 だが、シルヴィアを入れるのならそのままセカンドセットに入れ替えても良い筈……バランスを崩したくないのだろうか。



「ひーにゃーん、ポジション替えよ~」

「おっけ~」


 自陣低い位置での組み立て。俺が右、中央の比奈が左へ移り瑞希が真ん中に入った。

 ここでのパス交換も今は問題無い。なんせ東雲学園はラインが低過ぎて、奪いに来ようにも……。



(ん?)


 ちょっと待て。ライン、上がってないか?

 さっきまでそんなに高くなかっ……。



「比奈、来てますッ!!」

「えっ……」


 コーナーアーク付近で比奈がパスを受けた瞬間。いや、瑞希が横パスを出したタイミングだった。6番と男子の8番が全速で猛プレスを噛ましたのだ。


 その二人だけではない。山本さんも一気にポジションを上げ、密集化を図っていた。

 フラフラしているのは皆見だけ。たった一本のパスの間で、コースをすべて塞がれてしまった。


 突然のギアチェンジに、さしもの比奈も驚きを隠せない。いきなり視野が狭まってしまったこともあり、瞳の色には動揺がありありと見て取れる。



「繋ぐなッ! 外に出せ!」

「外です比奈っ!」


 俺と琴音のコーチングは、僅かに届かなかった。前の愛莉へ無理やり出そうとして、6番の足元に引っ掛かってしまう。


 しかし幸いにも、6番はこれを処理し切れず。脛に当たりボールはそのままコートの外へ転がって行った。あ、危ぶねえ……ッ。



「ご、ごめーん。ちょっと油断しちゃった……」

「気を付けろよっ。おい瑞希、今の横パスちょっと弱かったで。しっかりせえ」

「うむ。あたしもそう思った」

「ふざけとる場合か!」

「違うって~!」


 ともあれ致命傷にならず良かった。どうやら交代は瑞希のようだ。シルヴィアからビブスを受け取りベンチへ下がる。



(狙ってた、よな?)


 言っちゃなんだが、瑞希の横パスは非常に気が抜けていた。だが、あのパスを見てからチェイシングを始めても間に合わない。


 瑞希だって馬鹿じゃない。相手がハイプレスで来ているのならあんなパスは出さないし、東雲学園の出方を見て、敢えて試合の流れをスローにするような選択をしたのだ。


 ということは、突然の高いライン設定も含め……瑞希のあのプレーが予め頭に入っていた? 事前の研究で、癖か何かを見抜いたってことか?



(……そう簡単には終わらないな、この試合)


 反対サイドのベンチに佇む女性監督が目に入った。俺に向けて不敵な笑みを浮かべている……ようにも見える。


 間違いない。更なる秘策がある。

 東雲学園はまだまだ折れていない……!


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