607. 絶対甘やしません


 瑞希を背負ったままおよそ10分ほど格闘を続け、ようやく階段の終わりが見えて来る。最後まで一度たりとも降りようとしなかった。楽をするな。


 神社の入口へ辿り着いたが、まともに雪掻きをしていなければ観光客で賑わっている筈もなく、人の気配は全くしない。そもそも営業しているのかどうかすら怪しいし、ここが本当に神社なのかというところから眉唾物だ。



「なにがあるってんだよホンマに……」

「まーまー、着いて来なさいな。なんだよ、あたしとデートだってのに随分と元気が無いんだな」

「記憶を失っているのか……?」


 背中からぴょこんと飛び降りてお堂へと向かう。新雪を踏み締め作られた足跡を踏み直し、息も絶え絶えに彼女を追い掛ける。


 特に立ち入り禁止を促す類の看板や張り紙は見当たらないから、一応神社として機能はしているらしい。財布から五円玉を取り出しポイっと投げ入れると、俺の到着を待たず参拝を始める瑞希。



「ハルは?」

「俺はええ。神に頼んでも解決してくれなさそうな悩みばっかりやし」

「なんそれ」

「そろそろ目的を言え」

「こっちこっちー」


 本来ならおみくじや破魔矢を売っているであろうブースだが、やはり営業はしていない。テーブルへざっくばらんに置かれた絵馬を二つ、合わせてマジックを手に取って、硬貨を集金箱へ落とす。


 なにやら書き加えている。気になって後ろから覗き込むと……なんだこれ?



「『あたしの大事な人が全員不幸になりますように』?」

「ここね、逆神社」

「逆?」

「そっ。絵馬に書いたことが全然叶わないどころか、むしろ不幸をもたらすって有名なんだよ。ネットで見つけたん」

「エライ気紛れな神もおったもんやな……」


 なんとも可愛げのない謎のキャラクターを添え、器用に絵馬掛へ結んでいく。他の絵馬の内容を読んでみると……って、霞むな。全然読めん。もう眼鏡も普段使い用のものを買うか。


 改めて目を凝らすと「志望校絶対不合格」「大病に伏せますように」「就活絶不調」などと縁起でもない文字が並んでいる。


 なるほど、叶わないどころか真逆の効力を発揮するのなら、逆手を取って縁起の悪いお願いをすれば万時上手く収まると。実に捻くれている。ドラ〇もんにこんな感じのひみつ道具があったな。詳しくないけど。



「これでフットサル部の平和は守られたわけよ」

「そこまで上手く行くもんかね」

「おしっ、これでカンペキ」


 そういえば絵馬を二枚買っていたな。

 もう一枚にはなんと書いたのだろう。



「……こういう書き方になるのは致し方ないと言え、分かってても傷付くわ」

「ごめんて」


 ハルと毎日けんかしてクソつまらないさいあくな一生を送れますように。あと子どもが全然できない。しかも超ビンボー。ストレスで25さいで死ぬ。


 酷い。酷いっていうか惨い。この世のありとあらゆる不幸が満載だ。絵馬もこんなことを書かれるために売り出された筈じゃなかっただろうに。


 落ち着け。逆だ。逆神社なのだ。瑞希が願っているのはこの反対のこと。文字情報に踊らされるな。



「メチャクチャ効果あるってネットに書いてあったんだよね。ここまでやれば絶対に大丈夫っしょ」

「まぁ、そうかもな」

「なに落ち込んでんだよ。逆だっつってんだろ」

「それはそうだけど……なんかな」

「なんか?」


 彼女がどれだけ俺のことを大切に想ってくれているか。すべて反転させれば簡単に分かることだ。


 でも、少し引っ掛かる。逆神社なんておもしろコンテンツの塊みたいなところに来たがったのは実に瑞希らしいが、それにしてもとは思う。



「神頼みせなアカンほどのことか?」

「……あー。そーゆーの?」

「俺ほど捻くれてなくとも、神様とか願掛けとか信じとらんクチやろ」

「まーね。信じてないよ。でも身近っちゃ身近だった。実家のすぐ近くに教会あったし、そもそもパパがクリスチャンだったからね。礼拝とかよく行ってたし」


 掛けられた幾つもの絵馬を興味無さげに見渡し、真っ白な息を吐いた。頬を撫でつける息吹は想像していたよりもずっと冷たくて、気温だけが原因では無いのかもしれないと、余計なことを考え始めている。



「洗礼名とか持ってんの?」

「あるよ。マリア」

「金澤・マリア・瑞希ってか」

「やめろって。あんま好きじゃないし」

「なんでまた」

「だって聖母だよ聖母。聖なる母だよ。あたしと真逆じゃん。重い重い」


 なんの気なしに話を広げようとしたが、どうやら選択を間違えたようだ。あまり話したくないと顔に書いてある。自分から切り出しておいて、まったく。


 絶対にそんな理由じゃないだろ。

 分かるよ。長い付き合いだもの。



「ピンと来たわ」

「なにが?」

「お母さんに呼ばれてたろ、マリアって」

「…………なんで分かんの? 気持ちわるっ」

「お前のことならなんでもお見通しや」

「そう言われると悪くないこの不思議」

「知らん」


 なんとも複雑げなやり場の無い苦笑を溢す。絵馬には関心を失ったのか、お堂の周りをゆっくりと歩き始めた彼女の跡を追い掛ける。


 最近になってスペインでの話をちょくちょく話してくれるようになったが、そのほとんどはお父さんとの思い出だ。幼少期の記憶に母親の存在はまったくと言っていいほど出てこない。



「……信仰熱心だったのはあの人のほうだからさ。でもマジで意味無いなって。教会で懺悔しまくってる人間が平気な顔して浮気するんだぜ。ウケるわ」

「ハッ。確かにな」

「…………言わないんだ」

「なにを?」

「早く仲直りしろって」

「……言わねえよ。言葉の節々から嫌いオーラ滲ませとる人間に易々と言えるか」

「ふーん」


 察するに、秋の誕生日パーティーから状況はまったく変わっていない様子だ。相変わらず親子未満の関係が続いている。


 歪な状態とは思わない。俺とて似たような環境下で育って来たのだ。ある程度の改善が見られたとはいえ、未だにアイツらは俺を足を引っ張っている。



「言う資格が無いねん。気付いた。俺もアイツらのことまだ信用してへんし」

「それでも家族なんだーみたいなこと大阪で言ってたじゃん」

「なんだけどな。固執するのも良くないんだわ。極論、俺の将来にアイツらが必要不可欠かって言われたらそうでもないし。優先順位が間違ってたのかなって」


 全員のことを考える。本来あるべき姿に戻る。どれも大切だけれど、あくまでも外付けの理由だ。一番大事にしている根っこの部分がブレたり無くなってしまっては本末転倒。


 なにもかも馬鹿正直に考える必要は無いんじゃないかって、最近よく思う。嫌いなモノ、苦手なモノから目を逸らしたって良い。ダメだと分かっていても、流されたって良い。ヤなことなんて、全部後回しだ。


 好きなおかずは先に食べておきたい。後から誰かに奪われたり、満腹で楽しめないなんて、最悪。



「俺も買うわ」

「なに書くの?」

「瑞希のことは絶対甘やしませんってな」

「…………ハッ。なんそれ」

「嬉しいだろ?」

「……ちょっとだけな!」


 硬貨を放り投げ絵馬とマジックを手に取り、乱雑に書き込んでいく。どうせなら一番目立つところに括り付けよう。誰よりも行儀悪くすれば効果倍増だ。


 少なくとも俺たちには、そんなダメダメの自分を肯定してくれる誰かが、必ず傍に居てくれる。これはきっと、甘えたうちに入らない。



「あとな、瑞希。お前、意外と聖母の要素あるよ」

「……いやいや。そーゆーのはアレだよ。ひーにゃんみたいな子を言うんだよ」

「馬鹿言え。アイツは天使のツラした性悪の悪魔や」

「うわっ。メッチャ悪口じゃん」

「ええねん自覚しとるんやからアイツも」


 満更でもなさそうにニヤニヤ笑う。雪埃が舞い、真っ白な素肌が綺麗に手入れされた彫刻のように光り輝いた。視力が悪くても問題無い。これだけ近くにいれば。



「……誰もいないね」

「さっきからずっといねえよ」

「取りあえずイチャイチャしとく?」

「そんな適当な心構えで来ても受け入れへんぞ」

「やばっ。キモすぎハル」

「そのキモ過ぎる男に甘えたい奴は?」

「そう、あたし」

「自慢げに言うな」

「じゃあ塞いどいて」


 力いっぱいの背伸びでようやく顔まで届いて、やっぱり意外と小さいなとか、俺の背が伸びただけかなとか、どうでもいいことを考えている。


 お前と一緒にいると問題を問題と思えなくなるから、本当に困る。でも瑞希の前では、それだけで良いんだと思う。一生切っても切り離せない存在なら、せめて二人のときは馬鹿面晒したまま笑っていたい。



「ノータリンな聖母もおったもんやな」

「聖母もたまには悪いことしたいんだよ」

「違いない」


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