578. これぞ神の手
『ごめん、ハルト……わたし、他に好きな人が出来たの』
目の前に愛莉が立っている。だが、白い靄のようなものが掛かってハッキリと顔が見えない。
衝撃的な告白に驚く間もなく、どこからか瑞希、比奈、琴音まで現れて、こんなことを言い始めた。
『あたしもー。いやー、すまんなハル』
『この人に夢中なの……ごめんね、陽翔くん』
『申し訳ありません。これが運命なのです』
いったいどういうことかと問い詰めようにも、上手く口が回らない。すると彼女たちの後方から、背の高い誰かが歩いて来る。お前は……!
『そういうわけだから。廣瀬くん、彼女たちのことはもう諦めてくれ』
「なん……だと……ッ!?」
顔まではハッキリ見えないが、声色からして恐らく谷口だろう。愛莉と瑞希の肩を掴むと、二人とも嬉しそうに頬を赤く染めるのであった。
いくら手を伸ばそうにも、伸ばしただけ谷口の彼女たちはそこから遠ざかっていく。みんなが俺のもとから離れていく――――
「――――っざけんなおらああああアアアア!!!! ……………あ、うん……?」
渾身の力を振り絞り身体を引き起こすと、既に皆の姿は無く。いや、ある筈が無かった。
見慣れた六畳一間のワンルームと、ご丁寧に用意されたキャリーケースが目に飛び込む。目覚まし時計は早朝4時を指していた。
…………夢、か。良かった……。
「……キッツゥ…………!!」
朝っぱらからなんてものを見せてくれるんだ……寝汗も酷いし頭もズキズキと痛む。頬が濡れていると思ったら、涙まで流していた。
あんな凄まじい悪夢を見るなんて、よっぽど谷口のことが気になっているらしい。藤村の寝取られ体質をいよいよ笑えないな……。
「……無い無い無い。ありえんって」
何度も同じことを言わせるな。いくらアイツが俺より男性的魅力に優れているからと言って、昨日の今日で夢のような状況に陥るか。
だが、気になるものは気になる。この修学旅行、絶対にお前の好きなようにはさせんぞ……!
* * * *
キャリーケース片手に始発のバスへ乗り込み向かうは学校。すぐ近くに高速のインターがあるので、学校集合が一番効率的なのだ。
沖縄・大阪組は新幹線や飛行機での移動なため、修学旅行へ向かうにしては随分と安っぽいというかこじんまりというか。なんでもええけど。
「まぁそうなるわな」
「慣れっこだからねえ」
大阪遠征と同様、キャリーケースに跨りドナドナ状態の琴音を比奈と愛莉が押して現れた。
アイマスク装備だけならまだしも、落ちないように膝をロープで固定されている。絵面が拉致監禁。
同じく朝に弱い愛莉はちょっと眠そうだけど、テツオミら筆頭に他の連中は早くも騒がしい。5時間のバス移動でテンションを保ち切れるか見物だな。
「なんそのカメラ。盗撮用?」
「んなわけねえやろ」
瑞希が近寄って来て、首に掛けた一眼レフを弄って遊んでいる。福袋で手に入れた例のアレだ。
有希と真琴の前では使っていたけれど、コイツらに見せるのは初めてだったな。
その気になればみんなと旅行なんて何度も行けるだろうけれど、高校の修学旅行は一生に一度。
この日その瞬間しか収められない彼女たちを、なるべく多く残しておきたい。中々良い趣味を持ったものだ。技術は一向に伴わないけど。
「おはよう廣瀬くん。瑞希もおはよう。良いカメラだね、オレも持って来れば良かったなあ」
「ゲッ……!?」
出やがったな、悪の親玉め。
動画でも撮っているのか、朝っぱらからカロリー過多な爽やかスマイルを撒き散らす谷口がスマホ片手に現れた。
「なになに? タニーも撮影班?」
「ははは。まぁそんなところ」
なんなんだこの野郎。趣味まで被ってるのかよ。本格的に俺のポジション奪いに来てやがるな。
でっち上げの盗撮罪で山形県警に突き出してやる。俺は本気だ。
「写真、撮ろうか?」
「サンキュー! ほら、ハルっ!」
「え。おん」
身体を寄せる瑞希に誘われるがままカメラ目線。早速谷口に仕事を奪われてしまった。出足で躓くとは。不覚。
谷口は他の連中にも声を掛け次から次へと写真を収めていく。心なしか女子中心に絡んでいるな……やはりノノの話は本当なのだろうか。
うわっ、ちゃっかり肩掴んでセルフィー撮ってやがる。あの人は確か……比奈が一年の頃にクラスメイトだった友達の奥野さんだよな。メチャクチャ狙われてるぞ。気を付けろ。
マジで気が抜けない。
ああ、悪夢が蘇るぅぅ……。
「おーし全員いるなー。席順は決めてねえからさっさと荷物入れて乗れー」
峯岸の号令に従い荷物を預けバス内へ。総勢20名と少しなので中型のマイクロバスだ。旅行というより遠征って感じ。なんとなく。
さて、席はどうしたものかな。セレゾンでバス乗って遠征行くときは最後列右端が定位置だったんだけど、別にこだわりとか無いし。
誰とも話したりしないから、なるだけ目立たないように奥の席を選んでいただけだ。やめようこの話。不要な思い出だった。
「っと……ついにこの時が来たわけだな」
「恨みっこ無しだからね」
「琴音ちゃーん。じゃんけんしないのー?」
「……んぅ……っ」
ぷら~んと右手を挙げて応答。なんだ、まだ寝かせてやればいいのにわざわざじゃんけん参加させなくても。
「陽翔くんの席はもう決まってるからね」
「え、そうなの」
「真ん中に決まってるでしょ」
愛莉が指差す。ええ、最後列のド真ん中かよ。横に二人ずついたら超寝にくいじゃん。ていうか俺らが陣取るの確定かよ。他の連中の承諾取ったのか。
「いよっしゃああああ見たかあたしの実力をおおおおッ!! これぞ神の手だああああ!!!!」
「わーい、勝利のチョキ~♪」
「この指先にいい!! ストレッチパワーが、溜って来ただろおおおお!!!!」
「……くううう!!!!」
比奈と瑞希が勝利を収めたようだ。珍しい、瑞希がじゃんけんに勝つなんて。いや愛莉さん、たかが席順でそんなに落ち込まなくても。
というわけで、向かって左から愛莉、瑞希、俺、比奈、琴音の並びになった。
よりによって元気な二人に囲まれたか……寝るタイミングは無いな。
「ここ空いてるよ」
「えー? どうしましょうかね~」
「なんだよ、恥ずかしいのか?」
「そうじゃないけど~」
……抜け目なく一列前の席をキープする谷口。あまり乗り気じゃない奥野さんを強引に連れて、だ。
はじめはこっちに来ようとしたけど、フットサル部が最後列を占拠したのを見て狙いを変えやがった。隣と背後を女子に囲まれる理想的なポジショニングだ。人のこと言えんが。
「陽翔くん?」
「……いや、なんでも。奥野さん、アイツと仲良いのか?」
「みたいだねえ。奥野さんもA組だから。もしかして付き合ってるのかな」
「なら有難いけど」
「えっ? なんで?」
「……気にすんな。ポ〇キー食べるか」
「わーい、いただきまーす」
比奈に餌付けを済ませ、前列で楽しそうにお喋りする二人を暫し観察する。
いや、奥野さんは若干距離を取っているな。あれは付き合っている男女の距離感じゃない気がする。普段からあんな感じで谷口が言い寄っているのだろうか。
ますます気に食わん。常日頃から女子との距離を意識しているのが一連の動きだけで丸分かりだ。あからさま過ぎる。俺の目は誤魔化せん。
……対抗意識バリバリの俺が言えた口じゃないけど。いやホンマに。
俺から動かなくてもみんなから来てくれるだけまだマシなのだ。そういうことにしよう。
「あっ、あたしも食べる! ハル、ポッ〇ーゲームしよ! チューしたら負けね!」
「ちょっと、人前でそういうことしないの! 勘違いされるでしょうが!」
「えー。今更なんじゃないかなあ」
「比奈ちゃんも悪ノリしない! ツッコミが私だけになっちゃうでしょ!」
「むぅっ……うるさいれふ……」
いつもに増して騒がしい連中だったが、同じくらい馬鹿騒ぎしている他の生徒らと混じればあまり目立たないのが救いだった。
バスが動き出す。各々の思惑を乗せ、車両は遥か彼方、山形蔵王へと向かう。少し付き合ったらちょっとだけでも寝る努力をしよう。
これじゃ持たない。心身共々。
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