361. 許せるわけ、ない


「……とは言っても、本当に大した話ではないんですよ。偶然、母が出張から帰って来たので。それが発端です」

「いや、親が帰って来ただけで喧嘩って。流石に理由にしちゃ弱すぎるやろ」

「陽翔くんっ」

「……あぁ、いや、悪い。続けてくれ」


 茶々を入れるにしても正当な部類ではあったと思うのだが。少し強い語気で俺の名を呼ぶ比奈の表情は、今まで見たことのない真剣さで。


 どうやら大人しく。いや、もっと真面目に聞いた方が良い案件か。少なくとも、遅めの反抗期と言えるほど軟な状況でもなさそうだ。



「……ただリビングで、借りたDVDを見ながら勉強していただけです。それを帰宅した母に、咎められました」

「昨日のアレか」


 遊びの誘いを断ってまで部活動のための研究に精を出す。一学生としてこの上なく模範的な行動だと個人的には思うが、彼女の母親曰くなにが問題だというのか。


 とはいえ琴音が琴音たる所以を今一度考え直してみれば、その理由も分からないことも無いような気はする。脳裏を過ぎる、俺たちが出会ったばかりの彼女の姿。



「勉学以外のありとあらゆる所作はすべて無駄なものなのです。小学生の頃こそ習い事をさせるだけの余裕もあったようですが……中学へ上がったと同時にすべて辞めさせられました」

「今どき珍しいくらいの教育家やな」

「一概に悪とも言い切れません。私がいま、こうしてそれなりの成績を取れていることも、元を辿ればあの人たちのおかげですから。その点については大いに感謝しています」


 普段とさほど変わらないようにも聞こえる、琴音特有の極めて無機質な声色。だが半年もの長い時間、伊達に彼女の隣で過ごしてきたわけではない。


 本気じゃない。この言葉は。


 それどころか、すぐにでも忘れてしまいたい忌々しい過去を思い返すような。苦虫を噛み潰すとはこのことかと、大きな瞳から執念染みたモノが溢れ出している。



「……懐かしいな。初めて俺と会った頃の琴音って、比奈と勉強以外のことはまるで興味無いって、そういう奴やったな」

「大きく変わったわけではありません。一つか二つ、大事なモノが増えたという、それだけです」


 フットサル部のことを指しているのだとしたら、その言葉だけでも俺としては涙ぐましい感情でいっぱいになる。俺とて彼女を無理くりに変えようとしたわけではないけれど。


 少しだけ和らいだ表情に、彼女が自らの意思でここにいるということを改めて再確認出来たようで安心した。まぁ、普段の琴音を見ていれば十分に分かることか。


 でも二つってことは。

 もう一つは、なんだろう。



「……今に始まったことではありません。最初は高校受験でした。比奈と同じ高校に行くと言い出したのが、私の初めての我が儘です」

「そうなのか?」

「うんうん、懐かしいねえ。山嵜に行きたかったのはわたしなんだけど、そしたら絶対に着いてくって言って聞かなくて。一緒じゃなかったら高校行かないとまで言い出したんだから」

「凄まじい執念やな……」


 記憶が正しければ、比奈と琴音は小学一年生の頃からの幼馴染。もはや腐れ縁と呼んでも良いほどの長い付き合いだ。


 当時垣間見せていた比奈への執着を思えば、確かにそれくらいのことは言い出しても不思議ではないのかもしれない。


 いや、そうか。

 それこそまさに、彼女なりの反抗。



「山嵜も決して頭の悪い学校ではありませんが、ここより上の高校は幾つもありますから。しかし、比奈が居ないことに私もどうにもならないことくらい分かっていたので」

「本当に大変だったんだよ? わたしが琴音ちゃんのご両親に挨拶しに行ってね。お願いします、大学選びや高校生活で心配はさせませんって、頭下げたんだから」

「その節は大変なご迷惑を……」

「いいのいいの、こうやって一緒にいられるんだから。あ、でも琴音ちゃんのご両親はまだちょっと苦手かも……良い風には思われてないんじゃないかなあ」


 たった一人の親友に頭を下げて貰って、ようやく希望が通るのか。それも比奈にしたってあまりよく思われていないと。


 これだけ聞くと、果たして本当に琴音のことを思っての教育なのか疑問に感じて来る。琴音のためではなく、自分たちの理想の子どもを育てるためにエゴを通しているのではないか?



「いま、考えている通りの方々ですよ」


 遠い目で手元のお茶をジッと見つめる。

 言い得て妙。心ここに在らず、だ。



「あの人たちにとって私の存在とは、愛を持って接する子どもではなく、自身に課せられた、謂わば重しのようなものなのです。私という人間は、理想の娘を作り上げるうえでの入れ物に過ぎません」

「ハナから攻略本見てゲームしとるみたいやな」

「……攻略本、ですか」


 彼女にすれば縁遠いであろう言葉を、興味深そうに繰り返す。



「なるほど……それはその通りかもしれません。最初から決められた道筋をただなぞるだけ……一つでも思い通りにいかないことがあれば、データごとやり直したくなる。確かに、そんな方たちです」


 お行儀の悪い例えだと自覚はしていたが、彼女にしてみれば思いのほか腑に落ちるところであったようだ。


 実の娘にここまで言われるのか。

 これはちょっと、相当だな。



「わたしからもちょっといいかな」


 隣の比奈から明るい声が飛ぶ。

 重たい空気を入れ替える、澄んだ瞳。



「昔話になっちゃうんだけど……最初に声を掛けたのは、わたしなの。同じクラスにすっごく可愛くて頭も良くて、真面目な子がいて、憧れてたんだよね。わたしもあんな風になりたいなあって」


「最初は琴音ちゃん、ちょっと嫌がってたんだけどね。でも無理やりお外に連れ回したりして、ずーっと一緒にいたら、いつの間にか琴音ちゃんから着いてくるようになっちゃって」


「昔から本当に可愛かったんだよ? 今よりもお喋りが得意じゃなくて、困ったことがあるとすぐに顔真っ赤にして慌てちゃって」


 当時の思い出を懐かしそうに脳裏でなぞる比奈。なんとなく聞いたことがあったような気もするが、荒っぽい言い方をすれば、今とは逆の立場だったんだな。


 小学生の琴音……やっぱり当時からですます口調だったのだろうか。やたら硬い敬語を話すロリ巨乳美少女小学生。犯罪だ。あからさまに。



 ちょっと恥ずかしそうに頬を染め視線をあちこち飛ばす当人を尻目に、比奈の思い出話は積み重なっていく。



「あの頃は琴音ちゃん、ほぼ毎日習い事してたんだよねえ。えーっと、塾と、英会話と、水泳と、ピアノと……あとなんだっけ?」

「日本舞踊です」

「そうそう。でもすぐ辞めちゃったよね?」

「母が先生方と喧嘩してしまったので、辞めさせられました。英会話とピアノは、上達する気配が一向に無かったので、自分から辞めると言いました。水泳だけは続けさせられましたが」

「3年生のときから一緒に通ったんだよねー」


 なるほど、音感とコミュニケーション能力の欠落はここで挫折してしまったが故か。

 で、泳ぐのだけやたら上手いと。にしても体力づくりにはあまり役立たなかったようだが。



「一番遊んだのは5年生のときかな。習い事が水泳と塾だけになって、放課後は時間が出来たから。琴音ちゃんが行ったこと無いようなところにいっぱい連れてって、ずーっと遊んでたの」

「夏休みにいきなり「山へ登ろう」と言い出したのは、流石に驚きました」

「あははっ。覚えてる覚えてるっ。わたしの家族と一緒に富士登山に行ったあれだね。山頂には行けなくて、七合目で一緒に日の出見たんだよね~」


 随分アクティブやな幼少期の比奈。


「想像も出来ないでしょう。比奈も比奈で、今とはまるで違う性格だったんですよ。低学年の頃は、ほぼ毎日のように走って転んで、あちこちに絆創膏を貼っているような子でした」

「もう、本当に小さい頃の話でしょっ?」

「お淑やかさが足りないと、中学で無理やりご両親に茶道部に入部させられたこと、忘れましたか」

「あぁ~っ! それは秘密だったのに!」


 思い出話に花を咲かせ、比奈につられて少しずつ明るさを取り戻す琴音。久しぶりに見る、ただただ仲の良い幼馴染二人がそこにいた。



 俺には分からない何かが、やっぱりある。


 比奈はいつもニコニコしているけれど、琴音のことになると一段と楽しそうに話をするし、それは琴音も同様。鉄仮面を外すように暖かな笑みが自然と零れ出す。


 羨ましいとさえ思った。


 こんな風に思い出を語らえる幼馴染が俺にもいたら。もうちょっとマシな幼少期を送れていたんじゃないかなって、少しだけ切なくなる。



「…………二回目なんだよ。琴音ちゃんが自分から何かしたいって言い出したの。それがこのフットサル部。責任重大だね、陽翔くん」

「……今言うかよ、それ」

「今だからこそでしょ? さてさて、思い出話はここまでにしておいて……どうして琴音ちゃんがまたご両親と喧嘩しているか、これで分かった?」


 これだけ聞かされてはノーとも言えない。

 理由などとっくに悟っている。



「……両親の意に反する行動ってわけか。フットサル部に入ったのも、活動に真面目に打ち込むのも。要するに、辞めさせたいわけや」


 もう一つ確かなこと。


 それだけの力を持った存在にまたも反抗してしまうくらい、彼女がこのフットサル部を。俺たちとの関係を大事にしてくれている。



「……以前から何度も言われていました。フットサルなんて、有名でも将来性があるわけでもない競技に打ち込むのは時間の無駄だと。そんな暇があるなら他の有意義なことに時間を使えと」


「今日も面と向かって、くだらないとまで言われました。このチームへ引き入れてくれた貴方のことも。私を受け入れてくれた皆のことも。必要の無い存在とまで言いのけました……流石の私も、堪忍袋の緒が切れたのです」


 いつになく真剣な瞳に、思わず引き込まれた。

 単純に彼女の魅力に、というのも嘘ではないが。



 どうということはない。俺は知っている。


 彼女はいつだって真剣で、本気なのだ。

 今日この瞬間でも、それだけは変わらない。


 だからお前のことを、俺は本気で信頼している。

 それと同じくらい、心から想っているのだ。



「怒っています。苛々しています。ムカついています。私個人のことなどどうでも良いのです」


「誰よりも信頼している皆さんのことを、私の何よりも大切な場所を否定されて、侮辱されて…………許せるわけ、ないじゃないですか……ッ!」


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