327. 永遠に続くような何か


「ちっ、違うッ! 違うよっ!!」


 終始とろんとしていた瞳に生気が宿り、激しい口調で否定する瑞希。しかし、それが上辺だけのものに過ぎないのは、この狼狽ぶりを見ていれば一目瞭然だ。



「パパとハルは違うっ! 全然違うよッ!! パパのことは大好きだけど、それは家族としてだから……! あたしはハルのこと本気でッ!!」

「そうじゃねえ。もっと本質的な話をしてんだよ」

「なんでっ!? なんでそんなこと言うのっ!? ハル全然分かってないっ!! マジでっ、バカにすんなよっ! 結局ハルが言い訳したいだけ……!」

「瑞希ッ!!」


 力づくで押し返し身体を起き上がらせる。

 壁際に追い込まれた瑞希は、今にも泣きそうで。


 倍の威力を持って返した荒々しい言葉に、彼女は酷く顔を歪ませていた。心情は大いに察する。すべて嘘だったと言わんばかりの態度に、動揺してしまうのは仕方ないことだろう。



 それでも言わなければならない。


 自身が苦々しく認めても尚。

 彼女はまだ、本当の自分に気付いていない。



「自分で言うたはずや。と同じやって」

「…………そっ、それはっ……ッ!」


 図星のようだ。思い当たる節があったのか、視線をあちこち泳がせどうにか追求から逃れようと必死に抜け道を探している。既に袋小路へ迷い込んでいるとも知らず。


 思い違いではなかったようだ。

 のは、やはり俺だけじゃない。



「……俺と同じなんだよ。分かるか? 瑞希…………一緒なんだよ。フットサル部っていう、大事な仲間っていう曖昧なモノに頼って、自分を誤魔化している俺と」

「…………違う……ちがう、ちがう……ッ!!」

「おんなじや。瑞希。お前にとってあの人は…………母親は、家族であって、家族じゃない。本当なら、家族であることに理由なんて必要無いだろ。でもお前は、母親のことを自信を持って母親だと言える理由をずっと探してる…………」

「やだっ、辞めてっ……聞きたくない……ッ!!」


 両手で耳を防ぎ、拒絶を露にする。

 俄に息は乱れ、挙動は落ち着かない。



「父親にしろ同じことや。お前が日本に帰って来たってことは、心のなかではそうじゃなくても、形式的には。書類上では、その人はもう瑞希の父親じゃない…………本当なら絶対に動くことのない不変のモノが、お前にとっては……!」

「イヤアアああああああああああッッ!!!!」



 両手で胸元を強く押し込まれ、勢いのままベッドから転がり落ちてしまう。床へ打ち付けられた衝撃による痛みよりも、彼女の見せるリアクションの方が、今の俺にはよっぽど堪えた。


 身体を縮こませて、壁際でガタガタと震える瑞希。彼女らしい快活な姿はどこにもない。



「…………瑞希……っ」

「やだ……やだぁぁっ…………!」


 必死で繋ぎ止めていた何かが彼女の心のなかで崩壊してしまったのだろう。一向に止まる気配を見せない涙と身体の震えは、先ほどの否定が真っ赤な嘘であることを示す何よりの証拠。


 衝動的に抱き締めた身体は、暖房と乾いた湿度で暖められていたとは思えないほど、氷のように冷たかった。



 そう。瑞希は、俺と一緒なのだ。


 友情でも、恋人でも、性欲でもない。

 なによりも、家族という概念に飢えている。



 両親の離婚を機に日本へ戻ってきたという彼女。あれだけ楽しそうに思い出話を語っていた父親も、今は遠い異国の地。そして、正反対な感情を抱いている母親の下で暮らしている。


 本来なら。彼女の意思を汲めば、この街に彼女がいる理由など一つも無い筈なのだ。それが様々な要因が重なり、こうして日本で望まない形での生活を強いられている。


 いや、それはむしろ重要ではない。

 もっと重点を置くべきなのは。


 彼女が何よりも大切にしている、幸せな、理想的だった頃の思い出。


 実態がどうであれ、父親と母親。そして瑞希の三人が、少なくともあの頃は最低限「家族」として機能していて。今はそうでないという、どうしようも出来ない現実。彼女を巣食う大きなトラウマ。



 当たり前のようにあったモノが、突然無くなる。

 日常だった光景が、一瞬にして消え失せる。


 この世に存在し得るありとあらゆる現実を誰が保証してくれるわけでもない。信じる神も、信じ方さえも異なるこの世界で、不変の存在を求めるなど不可能に近しいことだ。それでも、幼かった彼女にはあまりに非情で、残酷過ぎる現実だった。


 だから、彼女は求めている。

 決して動かない、永遠に続くような何かを。

 自分よりも信じられる存在を。


 それが叶わないことであることも、勿論分かっているのだろう。けれど、目に見える形で。例え見えにくい姿であっても、確実なモノが欲しい。



 故に彼女は、強引なまでに俺との関係を求めた。

 フットサル部に対しても同様だ。


 決して埋まることの無い穴を、フットサル部という疑似的な家族で。そしてその関係のなかで、俺という存在に縋ることで、トラウマを覆い隠そうとしている。



 そう。俺と同じだ。


 比奈にして曰く、女の子は皆シンデレラというものになりたいらしい。ところがお姫様は物語に一人しか要らないようで、同じく白馬の王子も二人は必要無い。


 俺とて瑞希のことを攻められないし、その資格が無いのだ。原因に差はあれど、もはやフットサル部が単なる部活仲間では無くなってしまい、何よりも最優先されるべきモノになってしまった今。


 もしそれが、本当に家族であるのならば。どうやら俺は、彼女たちのなかから一人、選ばなければならない。


 子は何人いても良いだろうが、は一人ずつ。それがあるべき形であり、そうでしか成り立たない関係性だからだ。



 これだけはどうしたって覆せない。

 だから俺は、答えを出せないままでいるのだ。



 おかしな悩みなのか。馬鹿らしい考えなのか。

 そんなことはない。それが当たり前だと、俺も。

 彼女だって分かっている。


 だから、こんなことになるまで拗れているんだ。




「……………………子どもってさ。親が離婚したとき、どっちに着いて行くか、一応選べるんだよ。あくまで希望はってくらいだけど」


 ようやく会話が成り立つ状態にまで落ち着いたようだが、あくまでそれだけだ。酷く掠れた、体温の感じられない冷気の伝うような声だった。


 その瞳はベッドのシーツを真っ直ぐ見据えているのか、それとも他の何かが見えているのか。まるで見当が付かない。



「…………あたしが言ったんだ。ママに着いてくって。日本に帰るって……なんでか分かる? 帰る気なんて全然無かったんだよ。一生スペインで暮らすつもりだった」


「ママみたいな、パパに隠れて浮気するような奴の国に帰るなんて、絶対に嫌だった。自分に日本人の血が入ってるの恥ずかしいって思ってたくらい」


「……前も言ったでしょ。パパも日本とスペインのハーフなの。パパも、同じだったんだよ。ママと変わらなかった…………っ!」



 身体をブルブルと震わせて、これ以上表現しようのない絶望を滲ませる彼女。ますます短くなっていく呼吸が、その深刻さを窺わせた。


 悲痛な面持ちのまま、唇を滑らせる。 

 まるで、迷子の子どものようだった。




「…………パパも、パパも浮気してた。あたしの知らない人と……会ったことも、見たこともないような人と……パパ言ったんだ…………あたしに……あたしに日本に帰れって……ッ!」


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