269. お膳立て、どーも
それからどれほどの時間が経ったのだろう。
日は沈み、公園を照らす蛍光も怪しく光り出す。
もう何度目かという長瀬弟のドリブルは、またも失敗に終わった。身体を激しくぶつけられ、地面に打ち付けられる。
疲労は肩を超え全身から溢れんばかりに滲み出ている。とはいえ、こちらも条件は同じ。たった一度さえ攻略すれば俺の負けみたいなものなのだから、どちらかと言えば不利なのは俺の方だ。
だが、彼の目から光が途絶えることは無い。
メラメラと燃え滾る闘志は、より激しさを増す。
一本調子だった長瀬弟のドリブルは、少しずつではあるが改善としつつあった。ただ抜け出したいコースを見据えるだけでなく、広い公園のグラウンドを目一杯使った幅のある攻めが見られる。
何より、あれだけあきらめムードを漂わせていた奴が、ここまで一度たりとも弱音を吐かずにいるのだから、それだけでも今までとは違う。
何かが変わり始めている。そんな予感があったからこそ、不安な面持ちのまま戦況を見つめていた愛莉も。口を挟まずこの勝負を見守っているのだ。
「……どうだ。まだやるか?」
「…………貴方が言ったでしょう、勝つまでやれば、絶対に負けないんですからっ……次は、抜きますッ!」
「そりゃええ心掛けや。でも、まだ足りねえ」
努力は認めてやる。
しかし、それが全てでもない。
要するに、ほんのちょっとの捻りと、ズルが必要なのだ。実力で敵わない相手を出し抜くために正攻法ばかり試していても、キリが無い。
挑み続ければいつかは突破口が開ける。何かが見えてくるというのも、必然的な流れであるが。ひらすらに時間が足りない。その時間さえ、今のお前には惜しくて仕方ないだろ。
「こないだと同じや。あの鉄棒の下に決められたら、お前の勝ちってことでええ。それともう一つ。さっき俺が言うたこと、もっかい思い出してみろ」
「…………忘れました。なんでしたっけ?」
「一人で闘ってもしゃーないっつう話や」
少し考えるような素振りを残し、長瀬弟は傍観者と化していた愛莉をチラリと一瞥する。そうだな。今のお前には、必要な要素だろう。なんでも使うべきだ。勝つためなら。
「……姉さん。ちょっと手伝ってよ」
「えっ!? え、でもっ、スカート……」
「今更どうってことないでしょっ!」
制服姿のままなのは俺も同じだが、少しでも足を上げれば簡単に中身が見えてしまう短さ。こんな寒い時期に良く着るものだと感心もそこそこに、愛莉は若干の抵抗を見せる。
が、一刻の猶予も許さないと迫らんばかりの弟の気迫に押され、たった二人のフィールドへ意を決して飛び込む。
可愛い弟の頼みだろ。
お前だって、背中を押すぐらい出来る筈だ。
「…………すぐに終わらせるわよっ!」
「当たり前だろっ!」
その心意気や良し。
簡単にやられやしねえけどな!
「姉さんっ!」
「任せてっ!」
パスを受け真っ直ぐな瞳でこちらを見据える愛莉。いや、その表現も的確では無いな。何せ、ボールを持ったアイツに、俺のことなんか目に入る筈が無い。
俺が言い出したことだ。
背後に構える鉄棒の間。
それしか見えてねえんだろ、どうせ。
「来いッ!!」
「言われなくてもっ!!」
一気にスピードに乗り、あっという間に距離を詰めて来る。サッカー部戦や夏の大会といい、最前線で相手を背負うプレーが板に付いて来た彼女だが……本質は、ゴール前での類稀な嗅覚。
瑞希とはまた違った意味でのボールプレーヤーだ。ゴールへの最短距離を一瞬で把握し、最適な位置取りと間合いで仕上げに来る。最高峰のエゴを持ち合わせた、理想的なストライカー。
お前と本気でやり合うのもいつ振りだろう。もしかしたら、個サルで瑞希と出会った日以来か。
あのときも随分好き勝手にやってくれたものだ。
まぁ、負ける気は更々ねえけどな!
「なーーにが守備は下手な部類よッ! これでもわたしっ、アンタのこと一対一で抜いたこと一回も無いんだからねっ!」
「自慢気に言うな、アホがっ!」
「前はそんな上手くなかったでしょッ! なに天才肌の癖してちゃっかり成長してんのよばかッ!」
「褒めんのか貶すのかどっちかにせえやッ!」
そのまま膝下をブチ抜こうとせんばかりに右脚を振り上げる。分かっている、これはダミーだ。迂闊に飛び込めば、鋭い切り返しで左脚に持ち替え、簡単に逆を取られてしまう。
それでも、身体が反応してしまう。ユニフォームを纏わずとも溢れ出る圧倒的な存在感。思いもよらぬ角度から突然襲う、失点への恐怖。
男女の体格や実力差など微塵も感じさせない。だからこうやって、少し強引なまでに身体を当てコースを塞ぐ以外に、彼女を止める術は無いのだ。
「姉さん、こっち!!」
「真琴ッ!!」
左肩で俺のアタックを弾き飛ばし、ほんの一瞬だけ時間的余裕を生み出す。その隙に左サイドに開いていた長瀬弟へ繋ぐ。
鉄棒への距離は5メートルも無い。こんな小さなコートで、真っ当に守備なんか出来るか! 言い出したの俺やけどな! 無理があり過ぎる普通にッ!!
「行ける……ッ!!」
「やらせっかボケッ!!」
スピードに乗ったままパスを受ける長瀬弟。ほとんど並行するような形となり、足を伸ばしてなんとか追いつくかというギリギリの攻防。
左脚を振り上げる。一気にシュートまでいくつもりか。
だからっ、捻りがねえんだよッ!
こんなもん、飛び込めば何とかなるわッ!!」
「――――姉さんッ!!」
「ハッ!?」
目を疑った。
コイツ、自分で撃つものだとばっかり。
「お膳立て、どーもっ!」
なんだその、美し過ぎるパスは。
そんなの通されたら…………もう、無理だろ。
「だりゃああああああああああっっっっ!!!!」
ほとんど折り返しのような形で放たれた直角のパス。伸び切った俺の左脚の僅か上空を超え、愛莉の元へと繋がる。
届くはずがない。
あんなに高く上がって。
どう考えても、頭を超えるのに。
なのに、なんで。
なんで届くんだよお前。
ありえねえ。意味不明過ぎる――――
「いっだあああああ゛あああ゛あ!!!!」
ガコンッ!! と錆びた音が連なって、ボールは鉄棒の間を上下に何度も往復。やがてバウンドも収まり、ボールはゆっくりと鉄棒の間を通過して行った。
同時に結構な落差から地面へ叩き付けられ、砂埃と共に身体を投げ出す愛莉。
そりゃそうだろう。お前、俺の頭の先くらいまで跳んでたぞ。なにその跳躍力。サッカーより走り高跳びの方が向いてるだろ。ホンマ。
「ちょっ、姉さんっ!?」
「…………だから制服嫌だったのよぉぉぉぉ!!」
慌てて愛莉の元へ駆け寄る長瀬弟。怪我はしていないようだが、体育座りのまま泣き出そうな顔でワーワー喚いている。
そこそこ汚れてしまったようだ。これじゃ、明日は着ていけないな。替えの制服があるか知らんけど。まぁ、それを覚悟でノートラップ決め込んだお前の責任っちゃ責任だけど。
「……だ、大丈夫か……っ?」
「そう見えるならおめでたい頭してるわねッ!」
「わっ、悪かったって……」
俺に非があるとでも言いたいのか。
認めたくは無い。
無理してボレーで撃ったのは貴様や。
「とにかくっ、これで私たちの勝ちでしょっ!」
「ま、まぁ……せやなっ……」
「ほらっ、真琴! もっと喜びなさいよっ! 何時間掛かったと思ってんのよホントにもぉっ!」
「え、えーっと……ご、ごめんっ……?」
「謝れなんて言ってないでしょうがっ!!」
一応には勝負に勝ったはずの長瀬弟も、すっかり愛莉のペースに飲まれてしまっている。気付けばすっかり元通りの冷めた顔へと逆戻りしていた。
なんか、曖昧になっちまったな……いや、そう仕向けたのは確かに俺の方なんだけど。おかしい、なんでこうなるんだ……?
「だいたい、ハルトも遠回りし過ぎなんだっつうの! 真琴もっ、いつまで意地張ってんのよ! コイツの言いたいことなんて、いっつも一つしか無いんだからっ!」
「……えと、ど、どういうこと……っ?」
「一人で抱え込まないで、もっと周りを見ろってこと! アンタの姉は私しかいないんだからっ! もっと心配掛けなさいよッ! もっと、頼りなさいよっ! 頼りないことなんて知ってるけど! でもっ、それじゃ私が不満なのっ! ばかっ!!!!」
呆気に取られた様子で口をポカンと開ける長瀬弟。言うて俺も、似たような顔をしていて。
同じようなことを考えていたことに気付いたのか、俺と長瀬弟は顔を見合わせ、砂交じりの乾いた苦笑いを浮かべるに終始するばかりであった。
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