146. それも、ちょっと違う


 ビニールに包まれたフットサルボールに顔を擦り合わせ、頬ずりする愛莉を若干引きながら眺めていた。嬉しそうなのが伝わって来てそれは良いのだが、もう少し自重してくれないだろうか。



 コートでは引き続き、次の試合に向け両チームがウォーミングアップを行っている。


 コートを横断するように走ったり、二人組でパスを回したり、ゴレイロはシュートを受けたりと多種多様な姿が散見されるが、個人的に見入っていたのは俺たちから横に離れた応援団。

 サッカーでも見られる、特定のチームを応援する集団。コアサポーター、ウルトラスなんて呼ばれる層の連中。


 やはり地方から来ているチームだというのが影響しているのか、右に見える町田のチームはともかく、左側に構える神戸のサポーターはそれほど多くない。ざっと見積もって十人いるかどうか。


 対する町田は、三十人ほどの同じ黄色いユニフォームを着たサポーター達が群を成して、早くも声を張り上げている。



「なんか、いいよね。ああいうの」

「な」

「な、って……会話する気無いのアンタ」

「取りあえずボールしまえや鬱陶しいな」


 連れないわね、とボールを手提げ袋に戻してチラシに目をやる愛莉。試合が始まってからはまだ良いけれど、こんな場面で愛莉とどんな話をしようか、割と戸惑っていた。


 改めて、フットサル部という繋がり以外に愛莉と共通するものって、あんまり無いんだよな。趣味が合うわけでもないし。お互いお喋りな性格でもないし。


 中身は似たようなモンなのに。

 忘れてた。俺らどっちもコミュ障やった。



 改めて応援団の方を観察してみると、意外にも女性や子どもの姿が多いことに気付く。太鼓を叩いたり主に声を張り上げているのは流石に大半が男性だが、一緒になって手拍子を送ったり選手に声援を向ける若い女性がかなりいる。


 まだ幼い子供たちも、ウォーミングアップを続ける選手の名前を一斉に呼んだり。思っていた以上に和やかな雰囲気を醸し出していた。


 確かにサッカー場では、中々厳つい顔をした男が上半身裸でピョンピョン飛び跳ねたり、野次を飛ばすシーンが非常に多い。

 何もそれが絶対的に悪いということではないだろうが、初見の人間からしたら怖いに決まっている。



「ハルトってプロのユースにいたんでしょ?」

「ん……まぁ、せやけど」

「やっぱりそのチームのファンだった?」

「いや……地元だから入ったってだけやな」


 そりゃ長々と在籍していたわけだから愛着も少なからず残っているが、サッカー始めたての頃はチームの区別もついていなかったし、本当に「たまたまあったら」入っただけなんだよな。



 偶然にも、それなりに強いチームであった。


 全国大会も何度か優勝したし、関西ではほぼ敵無し。自慢ではないが、俺が優勝させたようなもんだ。自慢か。普通に自慢やな、やめとこ。


 しかし、当時のチーム……俺の同世代には、特に注目を集めている選手が多かった。誰が呼んだか「チーム創設以来の黄金世代」と持て囃されていた。


 現に、今もあのチームはユースレベルでは全国トップクラスの実力を維持しているし、既にプロデビューを飾った奴も少なくない。

 


(プロ、か)


 今となっちゃ大した未練も残っていないけれど。

 それでも、一度憧れた舞台。


 サポーターの声援を一身に受け、ゴールを目指す。そう昔のことというわけでもないのに。ずっと過去の話のように思えてならない。



「私も小さい頃はプロの試合とか観に行ってたんだけど。でも、段々忙しくなって行けなくなっちゃうのよね……本当によく行ってた頃は、年間パスとか作ってさ」

「へぇ……コアなファンやったんな」

「そうそう。頑張って人混みのなか進んで、ピッチの近くで選手の名前叫んだりとか……ほらっ、あの子がやってるみたいな感じ。それでね、一回だけその選手に手を振ってもらえたの」

「意外と聞こえてるらしいな、ファンの声って」

「それでね、ファンイベントにママと行ったとき、その選手が私の顔、覚えててくれてて……ビックリして、緊張して全然喋れなくてさ。あ、でもね、そのときの年パスにサイン書いてもらったの」


 今も持ってるんだ、と彼女は財布を取り出してガサゴソと中を漁り始める。財布のデザイン初めて見たけど、女子とは思えんほど簡素やな。お洒落とかホント気にしないんだろうなコイツ。



「ほら、これっ! 今はもう引退してるんだけどね?」

「ほーん。プレミア付くかな」

「売らないわよっ」


 クラブのロゴが描かれたICカードに、マジックで書かれた小さなサインがあった。このサインは俺も知っている。代表にも選出されていた有名な選手だったので、本当に良い値が付くかも。



「この写真って」

「あっ、ちょ、裏はダメ!」

「え、なんで」

「なんでって……い、いいから返してっ!」


 急に焦ったように顔を真っ赤にし、声を張り上げた愛莉の顔と、写真に満面の笑みで映る小さな女の子の顔を、交互に見比べてみる。


 まぁ、年間パスって普通、顔写真入ってるよな。



「……な、なによ?」

「全然変わってねえな。お前」

「う、うるさいっ! 早く返しなさいよバカぁ!」

「あ、ちょ……お前が渡して来たんだろーが」

「知らないっ!」


 さながらサイドスローのような大振りで俺の手からパスを奪い取り、恥ずかしそうな、悔しそうな表情を見せながら財布に無理やりしまい込み、それごと胸に抱え込む。



「どうせ子どもっぽい顔よ、バーカ……」

「別にそういうことじゃ……面影があるなって」

「うっさいっ!」

「拗ねるなって。ほら、飴ちゃんやるから」

「そ、そんなので機嫌が直るとでもっ!?」

「いらねえの?」

「…………………いる…………」


 貰うんかい。



 彼女の昔話は、談話ルームの陰からコッソリ盗み聞きしたくらいしか無かったけれど……当時から本当に、サッカー大好き少女って感じだったんだろうな。


 それこそ、今とは比べ物にならんほど手が付かない性質の。良くもまぁ、見た目だけはお淑やかに成長したものだ。



「……ちょっと、羨ましい」

「…………なにが」

「あの子みたいに、純粋だった頃が、懐かしいなって」


 選手に向かって思いっきり手を振っている、小さな女の子のことを話しているのだろうか。彼女の佇みは先ほどまでと打って変わり、少し重たい空気を伴う。



 やはり、まだ気にしているのだろうか。当時のチームで失敗してしまった、後ろめたい過去。


 彼女の犯した罪が消えることは無い。今後の人生においても常にくっ付いてくる、どうしようもない事実だ。人間、楽しい思い出より苦い記憶の方が案外よく覚えているもので。


 

「……ハルトも、そういうこと思ったりしない?」

「別に」

「……そっか」

「どうでもええわ。過去を変えれるわけちゃうし」

「…………ハルト……っ?」

「さっきまでの過信はどこ行ったんだよ」


 あの頃の自分は、確かにそこにいたけれど。

 けれど、今の自分はいま、ここにしかいない。


 似たようなことを、峯岸にも話したっけ。

 でも、あのときの俺とは、少しだけ違う。


 過去は変えられない。それでも、今この瞬間は。

 そして、未来も。変えることが出来る。



 それも、ちょっと違うかもな。


 いま、こうしてこのチームの一員としてプレーしている自分を、認めてやることが出来るなら。思い出したくない過去も、それは今の自分に繋がっている。


 捉え方ひとつで、過去だって変えられる。

 苦い思い出さえ、今の自分を作り上げている。


 お前が、教えてくれたことなんだけどな。

 忘れんなよ。ノスタルジーに浸ったくらいで。



「わざわざ言わせんな。お前が昔どんな奴だったかとか、クソほども興味ねえよ。どうすりゃフットサル部が勝てるのか、そんだけ考えろ。今のお前には、今のお前しか求めねえよ」

「…………うんっ」

「試合、始まるで」



「…………ありがと、ハルト」



 そんな彼女の呟きは、鮮やかなレーザービームとSEに彩られた派手な演出と、サポーターの声援に掻き消され、俺のもとへは届かなかった。



 

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