29. 悪いやつめ


ボールは楠美の右隣に立っていた倉畑へと渡る。


ここで奪ってしまうのは流石に気が引けた。いくらボールがほぼイーブン以上に俺に近いところまで転がってきたとは言え。


 慌ただしく足裏でボールを静止させるが、それなりに距離を詰めていたせいか。顔を上げた途端に俺が視界に入り、驚いたらしい。「キャっ」と小さな悲鳴と共に、後方へステンと転んでしまう。



「あっ、ハル! ファールだよファールっ! サイテーだな女の子コケさせるとか!」

「えぇー、触ってもねえのに。おい、大丈夫か」

「いたたっ……うん、へーきへーき。ちょっと尻餅着いちゃっただけだから」


 結構痛そうにしていたので手を差し伸べる。一瞬身体をビクつかせた彼女だったが、素直に右手を取る。


 パンツの汚れを払うその表情は、俺には少し見えづらかった。

 なにか視線を感じる。主に後ろの長瀬から。



「じゃ、ハルトは今のでプラスワンね」

「それは、どういうものですか?」

「二回取らないと交代できないってこと」


 専門用語ばかりで困惑している楠美に、長瀬は丁寧に説明する。こうやって初心者の面倒見てる分には真っ当なんだけどな。俺への扱いなんとかしろよ。



「ハルしょっぼー。うぷぷ」

「心配すんな。二回ともお前から取るから」

「えっ!? ちょ、ヤだよあたし鬼とかっ!」

「そうならんように頑張れ、お前だけ狙うから」

「けぇぇー、やーな奴……って、あれ!? いつの間にかあたしが真ん中にいる!?」

「チッ、バレたか」

「悪いやつめっ!」


 気付いたら鬼役になってました作戦は無事に失敗で幕を閉じる。

 そこまでアホではなかったか。残念。


 しかし、いつまでも回されるのも気に食わない。鳥かごが再開されると、宣言通り金澤がボールを持った瞬間、彼女に詰め寄る。


 何度か躱されてしまうが、彼女だけ集中して狙っているのでその分効率は良い。他の面子も金澤だけ省いてパス回しするなんてことはしないし。真面目なのか性格が悪いのか。


 慌てて金澤はパスを出そうとするが、伸ばした足に当たってサークルから出ていった。


 完全保持じゃなくてボールアウトだから。

 まだ誰も気付いてないから。セーフセーフ。



「はい、二回目。お前が鬼な」

「ホントに全部狙いやがってこんにゃろうっ! つうか、長瀬もあたしにだけパス厳しすぎっ!」

「そう? なんだか鬼やりたそうな顔してたし」

「どっちかっつうと般若みたいなのは長瀬だけどな!」

「アァァァァンッッ!?」


 場外戦は倉畑がそれとなく宥めてくれた。

 まさに潤滑油。褒めてないけど。


 金澤が鬼になり、再開。

 パスを受け取り、足裏でトラップする。


 感触としては、そこまで悪くない。足裏でグリグリとボールの位置を動かしながら、ゆっくりコースを探す。

 そのまま強く擦るように押し出し、隣の倉畑へパス。そこまでスピードも出ないし、トラップはしやすいだろう。



「えー、それアリなん?」

「足から離れてないだろ。実質ダイレクトや」

「めっちゃグレーゾーンだけど……まぁいっか」


 こちとらロクに運動すらしていなかった人間だ。それぐらいのハンデは許せ。


 正直な話、加減だってまだよく分からない。それこそにやってしまったら、初心者たちに理不尽なパスを出してしまうかもしれないし。



「落ち着いて、周りをよく見て。金澤のおらんところ、ちゃんと探してみ」

「う、うんっ……!」


 少し慌ただしく首を横に振る倉畑には、いくつも空いているパスコースが見えているだろうか。


 奴のポジショニングは明白で、明らかに俺と長瀬へのコースを塞ぐよう待ち構えている。



「えいっ」

「お、そうそうナイスパ……」

「取ったぁぁーっ!」


 コロコロと転がるボール目掛けて、金澤が一直線に走り出す。向かう先は、長瀬。なるほど、さっさと潰してしまおうと。姑息な奴め。


 難しいな。あそこまで接近していると、長瀬といえどもワンタッチで躱すのは辛いんじゃ。



「あらよっと!」

「ブホヘェ゛っっ!!」


 えぇ。お前。


 勢いよく蹴り飛ばしたボールは、金澤の顔面に直撃した。少し前にどこかで見た光景だな。人の顔目掛けてボールぶつけんの趣味なのか。


 フットサルボールが人工芝を転々としている。金澤はぶっ倒れたまま、暫くその場に蹲っていた。特に可哀そうとか思わないけど。身から出た錆。



「はぁーっ、スッキリした! 次、私が鬼ね!」

「…………許さんっ! てめーだけは許さねーぞ長瀬ぇぇェっっ!!」

「悔しかったらやり返してみろっつーの! ばーかばーか!」

「ぶっ殺すッッ!!」



 以降、鳥かごと言う名の喧嘩が、下校時刻までテニスコートで繰り広げられる。


 そんな二人を、倉畑はお腹を抱えて。俺と楠美は、呆れ顔で眺めるに終始するのであった。


 ……なんだ、意外と良いコンビだな。

 うん。そういうことにしとこ。




*     *     *     *




 この日の練習は鳥かごのみで終わり、連中は片付けを始める。夕陽が刺し込む時間が、また少し早くなったように思える。夏至も近い。



「じゃ、鍵。お願いね」

「ん」

「わたしっ、バイトあるから! お先っ!」


 一足先に着替え終わった長瀬が新館から駆け足で去り、それに続いて皆も荷物を持ち出す。


 聞けば長瀬は夜のほとんどをアルバイトに費やしているらしい。金銭面の事情など知ったこっちゃないが、もう少し落ち着きというものは無いのか。ホンマ、嵐みたいな奴やな。



「ハルぅー。あたしお腹すいたんだけどー」

「あ? 奢れって?」

「奢んなくていいからさー、親睦を深める的な?」

「やだよ。お前とおったら深めるどころか、胃の中まで抉られるわ」

「あーーんっ!? 生意気な奴めこの、このっ!」

「いてえいてえいてえ頭ゴシゴシすなボケッ!」


 長瀬が居なくなった途端、ちょっかいを掛ける相手は俺に変わってしまう。


 なんでこう、ベタベタしてくるかな。出会って数日の男子に対するコミュニケーションじゃないだろ。怖い。



「ったく、分かった分かった。鞄、教室に忘れたんだよ。付き合ってやっから先に行ってろ」

「おっ、マジで!? ねねっ、二人も行くでしょ? つーか行くよね?」

「威圧すんなアホが」

「うん。せっかくだしわたしもお邪魔しよっかな」

「比奈が行くなら私も同行します。貴方は来なくても大丈夫ですよ」

「なんで気ィ遣ってくれた奴にそんな態度取るの? 泣くよ?」


 楠美からの評価は一向に変わらぬままであった。もはや期待はしない。


 三人は先にバスに乗り、駅近くのファミレスに行くらしい。後から合流すると一言、俺は鞄を取りに教室へと向かう。



「お、あったあった」


 これで無くなってたらいよいよもう泣いていた。


 いや、ほら。ね。長瀬と倉畑を昼休みに連れ出した例のアレがあっただろう。それ以来、クラスの男子から凄い目で見られるようになってしまったもので。


 この数日も彼女らを独占していたものだから、朝に教室へ顔を出すのもシンドイのだ。流石にイジメとかには発展しないと思うけど。顔だけは厳ついし。



「はー、だる。ファミレスの飯なんぞ不味くて食ってられんわ」


 外食なんぞ添加物の塊みたいなものだし、徹底的に避けてきた場所なのだ。気乗りはしなかった。


 けれど、悪い気もしない。このまま向こうにいたら、きっと同級生と飯を囲むなんてことも、一生縁が無かっただろうし。


 ここに来て、初めて出来ることがあるのだとすれば、それはそれで悪くも無いかもしれない。の、かも。



 教室の扉を開け、さっさと階段へ向かう。


 こんな日常だけなら、まだマシだった。だが俺たちを待っていたのは、予想だにしない外敵の登場と、避け続けていた難題との対面。


 無論、今の俺には気付く余裕さえ無い。



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