痛み、音 03
カレーを食べる私を、レイはまじまじと見つめていた。その大きな瞳が更に巨大化している。私は一瞬躊躇するも、食べる。レイは「はぁ、てっきりレイ一人だけお粥なんて可愛そうじゃない! 私もお粥にするっきゃないじゃない! って宣言するのを期待していた。裏切られた」
「カレー勿体ないでしょ」
「お粥か~。コンビニのお粥とゼリーだけじゃあお腹いっぱいにならないぃ~ってお粥うまッ!!」
レイはお粥を一口食べた途端、がっつくようにプーンで口に運び続ける。
「そうなの?」
「ちゃんと味がある」「いやあるでしょ」「もっと質素でヘルシーで悪く言えば味がしないと思っていたけど、美味しい~!」
「あの」
「やだ」
「まだ何も言ってないじゃない」
「断る」
「……ねぇ、一口」
「はぁぁぁ~~~~?? てめぇにはそのうめぇカレーがあるだろ」
レイは私から隠すようにお粥が入ったお茶碗を腕で覆う。しかし、私がじぃーっと眺めていると「やれやれ、仕方ないなぁ~。ほれ、あ~~~~~~~ん」とスプーンで掬い、私の口元に近づける。
「あ~~」「んッ!!! はぁ、お粥美味しい〜」
やりやがったわ……。
私の口に入れる直前、レイは腕をUターンさせ、自分の口にお粥を放り込んだのだ。
「……やると思ったわ」
「一言でも良かったんだよ。仕方ないわね、私もレイと一緒にお粥食べてあげるじゃない、と言ってくれたら私もこんな極悪非道な手段を取ることはなかったんだよ。サクラ……全て、サクラが悪いんだ。自業自得だ! あっはっはっは……いてぇ……」
「まぁ、レイのお母さん手作りのカレーもあるから別にいいけど」
その後レイにお粥を食べさせてもらったり(確かに美味しいわ)、どうにかレイの歯に触れないようカレーを流し込んであげたりしながら夕食を終えた。
レイは歯が痛いので早く寝たいとのこと。もちろん私も一人で起きているわけにもいかないので、一緒に眠ることにした。
ベッドに横になるとレイが続いてベッドに落ち、くるくる回転しながら私の胸元辺りに顔を寄せる。スリスリとレイはつんと尖った鼻を私に押し付ける。顔半分を私に押し付けながら、瞳だけがくるっと周り、私を見つけ、そして微笑む。ふわっとレイのいい匂いが漂う。ゾクゾクと体が震える。体が一瞬搾られるような快感を覚えた後、弛緩するような幸福感に包まれる。
はぁ……とため息をつくレイの儚い姿が愛おしくて堪らないわ。
頭部を軽くさすりながら抱きしめる。レイのさらりと流れる髪が指の隙間からこぼれ落ちる感覚が好き。思いっきりレイの頭部を私の胸元に抱きしめたい衝動にかられる。くすっとレイが笑う。いいよ、って返事するみたいでドキドキする。湯船には入らない方が良いとのことで、シャワーを浴びていた。今日くらいはお風呂入らなくてもいいのに。だって、レイの匂いが……強く濃く感じられるから……。
「まだ痛むの?」
「まぁ抜いた直後よりかは大丈夫だけど」
「薬は飲んだ?」
「飲んだ~。けど、数時間しか効かないから、きっと夜中に痛みで飛び起きてしまうんだ。サクラ、その時は……ねぇ、うん……」
レイは言葉を濁すように俯き、私の胸に顔を押し付ける。
「……何?」
「サクラのマネ」
「私は、そんなに、顔、埋めないわ」
「いっっっつも夜中目を覚ますと私のおっぱいにサクラが挟まってるんですけど?!」
「偶然よ。たまたま挟まるだけ」もちろん嘘だった。いや、どちらとも言えない。何故なら、意識が無いというか、レイにしがみついて眠ると、自動的に移動して挟まってしまうのよ。自分でも抑えられないし、というか抑えない。
「ってか、さっきのアレは何?」
レイの猜疑心に塗れた瞳から逃れるように、私は話題を変えた。けど、変えた瞬間に一瞬後悔する。なんか言わない方が良い気がした。でももう口が滑ってしまったので止まらない。
「アレ?」レイは私の胸元に顔を埋めながら首を回す?
「いつもなら……」
「いつもなら?」
「私を……」
「私を?」
──コイツ、私の言わんとすることを理解している。理解していながらとぼけた顔して聴いてる。私の口から言わせようとする圧力を感じる。
「……呼ぶでしょ?」
「サクラ! って?」
「そう……。私を呼び寄せて、しがみついて来るでしょ?」
「そうなの?」
「いっっっつもサクラは湯たんぽみたいに温かい! って抱きついてくるじゃない」
「まぁサクラは温かいからね、仕方ないよ。やれやれ、素直に認めましょうか。そう、私は誰かさんみたいに自分自身に向かって変な言い訳なんかしないのだ」
レイの言わんとすることを理解しながらも強引に話を進める。
「……でも、さっき辞めたでしょ? どうして?」
「ふうん、気になる?」
「だってあんたもそわそわしてたし」「サクラさんは私の心を見透かす能力でもお持ちなのかい?」
それはレイでしょ?
──いつの間にか握られていたレイの指が、驚きを表現するかのように強く食い込んだ。ぐぎっと指の骨が軋む。痛い。あ、ごめんね……と優しく指が絡まった。
足も絡まっている。
密着というか、抱き合うというか、私達の体が絡まってる感覚。
──初めてレイと一緒に寝た時は手を繋ぐ程度だったのに、いつの間にかこうしてくっついて眠るようになった。戸惑う感覚と安心感がふわふわ漂う。けど、最近はまた別の感覚が私の中に存在することに気づく。私はそれから目を背けていた。直視して、実感して、その意味を理解する……勇気が無いから。
「そうよ、レイの考えてることくらい何でもお見通なのよ」
「うっわ~絶対嘘つきの言い方!」
レイはクスクス微笑んだ後、 握る私の手から力を抜く。一瞬離れるような感触に胸にぽっかり穴が開くような寂しさを覚えるも、すぐに優しく掴んでくれる。嬉しい。レイもニコっと微笑む。近距離の不意打ち笑顔がズブリ! と私の胸に突き刺さる。可愛い。好き。大好き──。
「なんか……ね、思い出すかも、って──」
「思い出す?」今度は私がオウム返しする。
「サクラが~これの…………あの……傷」「傷?」「うん……」
あ、あぁ……これか。
レイが口にする傷について意味がわからず、また何か変な言い回しなのかと思考を走らせてしまったわ。
「どうして?」
「私が痛いよ痛いよ~って喚いたらサクラの記憶を呼び覚ましてしまう気がしたのです」
「別に、思い出さないけど」
「そ? でも歯医者に居た時から少し様子変だったよ。私がサクラに助けを求めてもザラザラしながら軽くあしらわれたし」
「ザラザラって、人を砂みたいに言うな」「じゃあ荒い岩だよ。ゴツゴツしてるんだ」「意味わかんない。ってかあの時はレイがしつこいし、あの漫画読みたかったから」「くっ、今回はマジでそれが理由かよ」
でも私も気づかない内に歯医者で薬を処方して貰った時の記憶が蘇ったから、体が反応していたのかしら。
「私も歯医者で薬を貰ったから、……あ、この傷を負った時の話だけど」
「い、いいよぉ、無理して言わなくてもさ」
「別に無理してなんか……ふふっ」
「む、何で笑う?」
「だって出会った頃のレイなら、私がこの傷について語り始めたらもう獲物に食らいつく猛獣みたいに興味津々で聴き始めたはずなのに」
「いやいやいや、そんな何かデリケートなエピソードがありそーな部分には触れないよう華麗に立ち回るよ」
「初手であんたグイグイ来たわよ。それに比べたらホント丸くなったわね」
ピアノ前で萎びれる私をニヤニヤ妖しい笑みを浮かべて追いかけきた記憶が蘇る。
「そんな、私もいつの間にかサクラと同じく尖った部分がすり減り、真ん丸になってしまったのか……」
「レイはいつでも丸いわよ」顔の感じも髪型も相まって丸いし、太っているわけでもないのに全体的に丸みを帯びた体型をしている。丸くてすべすべして可愛い……。
「うーんそういう意味じゃないんだけど、まぁいっか。……で、その歯医者に薬を?」
「別荘に居たから」
「嗚呼、あそこ山の中だから近くに病院とかなさそうだもんね」
「えぇ。歯医者なら強めの痛み止めがあるかもって──」
レイと訪れた別荘の記憶が静かに脳内を満たす。
猛暑のはずなのにひんやりしたレイの指。
まるで時が止まったみたいな空間。
今まで感じたことのない静けさの中で、レイと二人きり──のはず、だったのに。
──ベッドの上で青ざめた私を、レイは恐る恐る……でもしっかりと手を繋いでくれた。美しいピアノの音が私の体をサクサクと切り裂く間も。私の痛みをトレースするようにレイも少し苦痛で顔を歪めながら。
「別荘……」
「来年も行こうよ〜。次はさ、川で魚釣りとかしてみたい」
「釣りね……いいかも。でも勝手に釣りとかしていいのかしら?」
「上流に行けばできるんじゃない? 釣りたての魚に塩たくさんかけて串に刺して焼いてがぶってかぶりつくと滅茶苦茶美味しいよ!」
「え、食べたことあるの?」
「動画で見た!」
「……釣りの経験は?」
「もちろん無いよ。でも竿と餌持って垂らせば釣れるでしょ。余裕だよ」
「絶対一匹も釣れないわ……」
話がズレていく。
……レイが私の記憶から距離を置こうとしているのか、それとも私が逃げているのか、わからない。当時は思い出しただけで手のひらに焼けるような痛みが走ったけど、今はもう何も感じない。ヒリヒリもしない。むしろ──レイと触れている部分がぴりぴりする。
傷痕に沿うように。
皮膚の層が薄いから、レイを強く感じられるのかしら。
「触っても、痛くないの?」
「うん。ってか今更?」
「我慢しているのかも、と思った。マゾだから」「違います。でも……普通触らないでしょ」
「え〜でもサクラさ〜、なんか……喜ぶし」
スリスリ──。
傷を指先で擦りながら言う。
レイは真顔で。
笑うかと思ったのに。
何も言えないじゃない。
じっと私の目を見ている。レイの大きな瞳に私の顔が描かれている。レイの瞳は周りの光を独り占めするかのように煌めいている。
「くすぐったいだけよ」
「そうなの?」
「そうよ」
「ホント?」
「うん」
「ガチで?」
「はい」
「……と見せかけて? 実は?」
「嬉しい……わけないわ」
と、言いながら笑っていた。
私が。
根負けしたみたいに。私はレイから逃げるように顔を背ける。けど、見てくる。レイは顔をぐぐぐ! っと近づけて迫ってくる。いやホント近い。近づくたびに密着する。レイの体が私の体にぴたっと推し当たる。溶け合うような気分に浸るも、レイと触れるたびに強くレイを感じてしまう。うるさく跳ね上がる私の心臓がイヤになる。レイに聴かれてるじゃない。「もぉ、なに?」「サクラが逃げるので追い詰めてる。傷をスリスリされることに快感を抱いているタイプの人間だって気づかせてあげよう、って」「そんな変態じゃないし」「やれやれ、自覚しなさい」「親知らず抜いて痛いんでしょ? おとなしくしてなさい」
「あっっっ!!! せ、せっかく忘れてたのに〜〜〜〜〜!! 思い出した、痛みが……痛い……、うぅぅぅ……」
「……ごめんね」
「許さん! 私の頬をほら、支えてよ。痛いの痛いのとんでけ〜ってやれ!」
「え、やだ」
「なんで! 私の頬をナデナデするだけでいいから!」
腕をむんずと掴まれて、レイの頬をそっと支えるように押さえつけた。レイの柔らかい頬肉が私の手のひらに吸い付いた。マシュマロみたいな感触に意識が持っていかれる。レイのおっぱいやお尻も柔らかいけど、頬ももちもちなのよね……。
「食べたい」
「ひぃ……」
「……違う」「人の頬をマシュマロみたいじゃない〜って思いながら食べたいって声に出すの恐怖しか感じないのですが……。怖い〜。マゾとか変態はまぁ性癖だから仕方ないと思うけど、流石にそういう趣味は困るよ……」
「あんた、ホントに私の思考読めるの?」
「だからよくそう言ってる!」
そんなに私の表情から読めてしまうのかしら。
そろそろレイに人の思考を読める超能力が備わっていないと説明がつかない気がする。
「ほら、もっとしっかり支えて」
「はいはい」
私はレイの頬を抑え、レイは私の手のひらの傷を擦っている。
お互いに傷を触っている行為に気恥ずかしさを覚える。けどレイの顔が近いし、レイが頬を触ってほしいと懇願するから仕方なく。……仕方なく、って嗚呼、また言い訳。
私の手のひらがピリピリと痺れる。
その感触を楽しんでいると、レイは私の傷に爪を立てる。
グサグサ、
軽く当てるだけ。
「思いっきりグサ! って指したら爪入るかな?」
「やってみる?」
「えぇ、怖いこと言わないで」「レイが先でしょ」
すぅーっと指の腹で傷を擦る。
何度も。
そのたびに何かが私の中で捲れる気がした。薄い薄い膜みたいなモノが、レイの指で音もなく剥がされる。繰り返されたら、本当に私の手のひらのレイの指が突き刺さる気がした。
「ふぅ……ふふっ」笑ってごまかした。変な声が出てから。
「……え、サクラ」「ん?」「気持ちいいの?」「なんで?」「だって今声、出てたよ〜」「出てない」「スリスリされるのがそんなにいいのか……ふうん」
レイの瞳がすっと光を消した。
瞳を閉じたわけじゃない。
大きな瞳は依然として私の前に聳えている。
でも、
さっきまで宝石みたいにキラキラ輝いていたはずなのに、そこに穴が空いたような薄ら寒さを覚える。吸い込まれそう。引力というか、堕ちる。レイの中に。ずぶっ、って何かが私の手のひらに侵入する。貫かれた、破かれた──と焦るけど、ただ触られただけ。スリスリ。でもレイの感触が傷をゆっくりと開くように広がった。心臓がドキドキし過ぎ。もう、どうしようもできない。レイは……辞めてくれない。私の想いを理解しながら、更に奥深くまで見つめてくる。レイの頬を触ること口実に顔を近づける。もっと近くで見たいから。もっと私の意識をレイに感じ取って欲しいから。ベッドの上で体を絡ませて、お互いの額が触れ合う距離で見つめ合う。
「明日朝起きたら頬が滅茶苦茶腫れてたらどうしよう……」
「そうそう、なんか腫れるらしいわね。きっとレイもハムスターみたいになるわよ」
「やだぁ……」
「写真撮ってあげるわ」
「盗撮は犯罪です」
「記念に撮るだけよ」
「その言い方はウソだってわかるんだから。腫れが引くまでは外出れない……」
「マスクしたらいいじゃない」
「風邪でも引かない限りマスクつけない主義なの」
「じゃあどうする? 一日家で過ごす?」
「こういう時に限って映画とか借りてない……。外出る時は……よし、サクラが今みたいに頬を抑えてよ」
「しょうがないわね」
「冗談だよ! 躊躇しないのおかしいだろ! なんかあの隣の子がずっと頬を抑えているけど何かあったのかしらん、って待ちゆく人に変な目で見られる」
「私は大丈夫よ。レイのために耐えるわ」
「えぇ、サクラさんガチだよ。その轟々と燃え盛る熱い意思を胸に灯すの辞めようよ……ってかさ」
レイはうねりながら私の中に沈む。嗚呼レイどこにも行かないで、と懇願する。その瞬間に傷が痛む。爪が深く刺さる。裂けた? でもそんなのどうでもいい。色々柔らかい感触に意識が揺らぐ。レイの額に私は頬を寄せながら、そっと息を吸う。レイの匂いが肺に染み渡る。
はぁ……。
なんか、
うぅぅ……幸せ。「舐めていい?」「傷を」「駄目?」「どうぞ」
//終
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