瞳、涙 01
レイの家にお泊りするので、私達はいつものようにレンタルビデオショップに向かった。店内を物色していると、レイが不意に足を止めて手を伸ばす。キラキラ眩しい笑顔でこれ面白いらしいよ! と無邪気に差し出すその映画、ホラー系だって知ってるわよ。油断しているとすぐ仕掛けてくるんだから……。
「今日は……感動系にしない?」
「マジか」
「あんぐり口開けて大袈裟に驚くな」
「だっていつもはこ〜んなお涙頂戴の安っぽい物語なんて時間の無駄じゃない! って顔してるじゃん。そんな冷血鉄血サクラ姐さんも瞳に涙を浮かべることもあるんだ……」
「たまにはいいじゃない」
私は努めて何気なく言ったつもりだったが、レイはぐいっと顔を寄せてきて(近い可愛い近い可愛い!)まるで猟犬が獲物に食いつくように声を荒らげる。
「うわ、ぜってぇなんか如何わしいこと考えてる」
「考えておりません」
「ん〜、わかった」ぽん! と掌に拳を打つ動作をする。古典的なリアクションだと思うけど、逆に新鮮に感じる。
「そのポンってやるの、現実でも発生する動作なのね」
「わ、わざと! で……それって……実は感動系のパロディAVだな! いつのまにあの閉ざされた暖簾を潜り抜けたの? 精神年齢は18歳とかそんな軟な理屈じゃあ跳ね返されるのに。借りる時だって18じゃないんだから学生証じゃ突破できないよ。まさか親の……サクラのお母さんの免許書をパクって──いや、でもサクラママのあの感じは逆に駄目かも」
「はいそうです母の免許証をパクって今からAV借りるのよ」
「あぁ、なんかめんどうじゃない、って適当言うな! でも感動系か〜、私結構そういうのさ、冷ややかな上から目線で小馬鹿にして逆に笑っちゃうタイプだから素直に楽しめるから不安だ」
なんだ自分のことわかってるじゃない、と内心頷いたところでレイにぎゅっと手を掴まれる。
「な、何?」
「……レイはそんな子じゃないわ、感情性豊かで朗らかで穏やかで優しい子なのよ、と思ってくれてる。私のこと正しく評価してれてる」
「あら、今日は不調なのね」
「もしかしたらこの近くにサクラに思いを寄せている男子が居て私達の会話を盗み聞きしていてさ、そんな方々にサクラさんの極悪大非道な本性を知られないよう健気に庇ってやったのに……。あぁ〜あ、こりゃ明日学校行ったら机無いよ。でも安心して、私はそんなサクラの唯一の味方になってあげるから」
「絶対黒幕」
☆★☆★
なぜ、感動系の作品を選んだのか。まぁ最近アクションに偏っていたのでたまには……という気分転換もあったけど、もう一つ理由──レイの涙。
以前、レイと子ども向けの映画を観に行った時、レイはボロボロと涙を零して感激していた。けど、あれはなんか作品に感動して涙を零した姿ではなく、痛みを覚えた時に思わず溢れ出てしまった涙──いや、まるで傷から血を垂れ流しているように映った。
だから、今日は一般的な動物と人間の思わず涙してしまう映画を選択した。これを見てレイは泣くのか、それとも自ら述べたようにケラケラ笑いながら人間と動物の不幸をあざ笑うのか……。
実際どっちでもいい。
いいけど……知りたい。
あの時に涙を流した理由、ただ感動しただけではなく、別の理由があるのでは? と。
好奇心……じゃないわね。
──恐怖。
何かが起きた時のために、それを予測し、対応できるように……と情報を集めておきたい。
「やれやれ、サクラちゃんがま〜た号泣して私が慰めるのか。私のパジャマがサクラの体液でぐちゃぐちゃに汚れちゃうよ」
「こっちの台詞よ!」
レイはDVDをセットし、ソファに座る。レイ家のリビングのソファは結構大きいけど、私達は身を寄せ合うように座った。すぐにレイは体重を私に預けて、まるで蕩けるチーズのようにべったりくっついてくる。重い、邪魔、と退けようとしても、レイは構わず張り付いてきた。いつしか二人で横になり、抱き合うというか、私が背後からレイを抱える感じで鑑賞するようになった。すっぽりと私の中にレイが収まる。頭部に鼻を近づけるとシャンプーに混じってレイの香りが漂ってくる。いい匂い……。レイに悟られないようにゆっくり息を吸い、肺にレイ成分を送り込むと──頭の中がふわっと夢心地になる。何度も何度も嗅いでいるはずなのに……ヤバイ。私の変態さ具合に呆れるけどレイが魅力的過ぎるから仕方ないじゃない!
「このなんか顔に癖がある感じのワンちゃんが未来からの暗殺者と死闘の末、親指を立てながら溶鉱炉に沈んでいくんだよね」
「そうよ」
「いやありえねぇだろ。私を抱っこするとすぐ適当になるんだから……」
レイを抱っこしていると意識が鈍る。睡魔とはまた異なる微睡みを覚える。意識が、レイの情報で圧迫されて思考が上手く続かない。いつの間にかぎゅっと手を握られ、レイのピリピリした感触が指先から私の中に染み渡る……。映画鑑賞は、こうして二時間近くもレイを合法的に──いつも合法だけど、とにかくレイを味わい放題だった。柔らかいレイの体、レイの匂い、レイの冷たいのか暖かいのかよくわからない温もり……。ずっと味わっていたい。はぁ……幸せ。当初の目的が頭の中で薄れていく……。
「犬いいなぁ……」
「飼ったら?」
「私には今くまたんとサクラが居るから厳しい」
「ペットはどちらかと言えばレイでしょう。あんたなんか犬っぽいし」
「はぁすぐそうやって人を奴隷──下僕、召使にしようとする」
「レイはメイド服とか似合うわよ」
「え、メイド!? うぅぅトラウマ……が、あ、あの時……嘘ついて……一人、隠れて……人の気持ちを踏みにじるような恐ろしい何かが、あったような、ぐぅ、土砂降りの雨……嗚呼、辛い辛い胸にズキズキと痛みを放つ記憶が──うぅ蘇る◆◇」
レイは頭部をグリグリしながら私の胸元に擦り付ける。
サラサラした髪が広がり、なんかよくわからないけど愛らしさ満点で胸が疼く。
破壊力抜群の攻撃に私は意識を失いそうになるも、指に爪を差し込んで堪えた。
「あの時は……羽がたくさん生えたドハデなくまたん渡してチャラにしたでしょ? あんたもよく言うじゃない、いつまでも過去を引きずるな、と」レイの部屋のベッドの上によく転がっているくまたんを思い浮かべる。
「こ、ここまで開き直れる奴おる?」「おる」「うわぁ……。ニンゲンコワイ、やっぱ犬だね。私ね、犬を飼ったら名前を──サクラにするんだ」
「それだけは絶対に辞めろ」
「躾を徹底してね、もう絶対ワタクシ様に逆らえないようにする」
その時、劇中で主人公が飼い犬に向かってチンチンと芸をさせた。
「サクラ、チンチン」
「黙れ」
「サクラチンチン! ち○こ! チンチン! ち○ぽこ!」
「……だ、大丈夫?」私は不安になってレイに声をかける。レイは何故か息を荒げていた。
「ごめんね、でも女の子が──私達みたいな清らかで穏やかで麗らかな女子高校生が気軽に男性器っぽい言葉使えるのは犬のチンチンとチンチン電車くらいしかないからさ、つい口走ってしまいました」
「途中から普通に男性器を言っていたわよ……」
「流れに任せて……ね。でも股間晒す格好にさせるからチンチンってさ、女性差別も甚だしいよね?」
「いいえ」
クソどうでも良いことをレイが口にすると思ったので映画に集中しようとしたけど、レイは私の中でぐるりと回転し、じっと私を睨んでくる。目が離せない。本当に可愛い。顔の造形が完璧だった。吸い込まれる。好き──。
「だっておかしいよ。オスならともかくメスだっているんだよ。メスのワンちゃんにチンチンって言ったらいやあたしねぇけどな(#^ω^)って怒ってるよ」
「人間語わからないから大丈夫」
「犬は人懐っこい犬みたいな顔して」「犬でしょ」「わからんフリしてるんだよ。ねぇサクラ真面目に考えようぜ」
「シリアスな展開が始まるから静かにして。そもそも股間晒すからチンチンってわけじゃないでしょ」
「うん、今ググったら由来は鎮座させるから〜みたいなこと書いてあったけどそんなの嘘っぱちだよ。私は、絶対に、騙されません!」「騙されろ、騙されて……」「きっと犬にチンチンって言ったら股間晒すポーズして犬にチンチンって言うと見せてくるぞ〜ガハハハって話がまるで都市伝説にように広がって、でもそれはあまりにも卑猥な話だ──あ、鎮座する、という言葉を由来にしよう! って強引に事実を捻じ曲げたんだよ」
私はレイの口を手で抑えつけた。
しかし、レイはペロ! っと掌を舐める。ビリッ! と痺れるような強い感触に「ひゃうっ」と声が出てしまう。
「……変な声出すな」
「あ、あんたが舐めるからでしょ!」
レイは私をじろっと見つめた後、再びぐるんと回転して映画を観始めた……。内心ほっとしつつ、胸が僅かに高鳴っていることに気づく。……不思議な感じ。レイに舐められた瞬間に体に疾走った衝撃が、何かを一瞬思い出させようとした。
しかし、わからない。
私の記憶を巡るも、あと一歩……というところで道が途切れるように思い出せない。まるでその記憶だけを無理やり剥がされてしまったみたい。
「……あのさ」
「ん?」
「私、結構マジで……考えてる。犬のチンチンについて。待って、まだ口塞がないで。本当にここからはマジガチヤバい真面目な話するから耳を澄ませて聞いて。サクラもなるほどじゃないって感激するから」「……最後のチャンスよ」「だから私は性別で分けるべきだと思う。メスの犬にチンチンと言うの禁止。サクラ、マンマ……もがっ?!」
そして、私はレイがアホなことをベラベラ喋らないよう口を塞いだ。……また舐めてくるかも──と少し期待したけど、レイはそれから妙に黙っていた。ふぅふぅ……と鼻息が指に触れて擽ったい。指先にレイの唇が僅かに擦れている。あと、頬が滅茶苦茶柔らかい……。モチモチしてる。これが人間の頬なの? 思わずはむっと口で食べてみたい衝動に駆られる。その時、飼い主に飛びつき、顔をペロペロ舐める犬を見て、少し──羨ましいと思った。レイがぞくっと震え上がる。
☆★☆★
// 続く
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