お見舞い、マスク越しに 02



「んッ。……ん~、あ、あの……手を強く握りすぎ」レイは頭を揺らしながら言う。

「さぁ、何考えているかわかる?」

「レ、レイは、とっても……あぅ柔らかいじゃない、とかかな……うん……ふぅ」

「ちょっと、フラフラしてどうしたの?」

「え、……ん……はぁ、別に……大丈夫、んん……はい」

「レイ?」


 レイはすりすりと子猫がじゃれつくように私の頭部に顔を擦り付ける。合わせて四肢を絡ませるように。

 ぴくん、と震えたレの指を掴み、更に私は想いを注ぎ込む。


 レイ可愛い。

 可愛い。

 もう言葉で表現できないほど可愛い。

 レイの笑顔が好きよ。

 レイの声が好き。

 サクラ~って笑顔で名前を呼ばれるだけでその日一日は幸せで満たされるほど。

 レイの温度が好き。

 すぐ抱き着いてくるけど、私はそのたびにドキドキしそうになる。必死に押さえつけているのよ。でも私の苦労なんか知らずってか無視して体を重ねてくる。ムカつくけど、可愛いから許す。

 レイの匂いが好き。

 すぐ嗅いじゃう。

 レイの匂いで肺を満たされると不思議な浮遊感を覚えるの。

 レイ、

 レイ……、

 嗚呼、ホントはね、今日一人でずっと寂しかったわ。レイが存在しない日常は色素の抜けた日常みたいで味気なくて、もう……レイが隣に居ないと生活できないくらいに、レイのことが好き──。

 大好き。


「あぅ……あの、なんか……熱、あるからかな……待ってよぉ今日はちょっとヤバイ」

「さっきから呻いて大丈夫?」

「わぁ……ぁ……ぁ、じんじん頭の中で響くというか、……ナニコレどうしよ」

「ってか、レイちょっと熱くない? シート変える? 冷蔵庫にあるわよね」


 レイの体が一気に熱くなった。

 また熱がぶり返したのかと焦り、ベッドから出ようとしたけどレイは手を離してくれない。


「ちょっと、レイ?」

「あっ、行かないで、大丈夫だから……多分」

「多分って」

「お願い、サクラ寒いからぎゅっとして……んっ」


 再びレイを抱きしめる。なんか様子のおかしいレイ、弱った姿に驚き戸惑うけど、でも……その姿もやっぱり可愛いわ。

 レイ──。

 今度は言葉を紡がなかった。

 レイへの言葉にならない感情を注ぎ込むようにレイの指を優しく握る。


「ん……あッ……はぁ……ふぅぅ……ぅ……。サクラ、サクラ……あの……」

「なに?」

「サクラも、可愛いし……私も」

「え、ちょっと……レイ?」


 ずりずりと私の体を這うように進んだレイは、ちょうど顔が合わさる位置まで上がってきた。

 ち、近い。

 鼻と鼻が触れ合う距離だった。レイの瞳はとろん……となんか不思議な色合いを見せ、表情もさっきよりも赤く染まり、にぃっと緩んでいる。これ……笑顔なの? 目の焦点が合っていないようで、真っ直ぐ私を睨みつけている。

 怖い。

 けど可愛い。

 怖い……可愛い怖い……可愛い!? と頭の中でレイへの想いが交差する。


「サクラ逃げないでぇ! ……動かないで、そのまま、そのまま──」

「ど、どうしちゃったの……え」

「サクラ」


 ぷにゅっ


 という感触が、私の唇に広がった。

 ありえないほど近い距離に、レイの顔がある。

 何故?

 と思った次の瞬間になってようやく、レイが……私の唇に唇を重ねていると理解した。


 ──マスク越しに、キスをしている。

 ドッキィィィイン! と心臓が跳ね上がる。


「ちょ、レ……んん!?」

「はぁ……」

「んんん! ん?! んんんんんん!?」


 思わず顔を背けようとしたけど、いつの間にか体は固定され、両手を掴まれ、足が絡まり逃げられない。

 マスクの奥でうごめくレイの柔らかい唇が、また重なる。


「ふふふ、サクラの唇……プニュプニュするぅ……柔らかい。けど変な味する」

「いやマスクしてるから……ってストップ! 嘘、レイ! むぅ!?」


 私の制止も虚しく、再びレイの唇が襲いかかる。思わず目を瞑ってしまった。

 暗闇の中でぬちゃっ……という感触が訪れる。

 ぬりぬり、と何かが私の唇をゆっくりとなぞっている。円を描くようにくるくると回っている。


 ぬりぬり、

 くちゃ……ぬちゃ……

 ちゅぅぅ……「はぁ──」


 恐る恐る目を開けるとレイの舌、だった。

 レイの舌がマスク越しに私の唇を丁寧に舐めていた。温い感触、唾液に塗れたレイの舌に弄られると思うと、頭がヒリヒリ焼け付くような感触を覚えた。時々レイの舌が私の口内に侵入しようとするけど、マスクがそれを拒む。私の唇に挟まるように舌は動き、またヌリヌリと唇を舐め続ける。


「レイ、ど、どうしちゃったの?」

「はぁ……はぁ……サクラぁ……」


 ニヒヒと普段と異なる笑みを浮かべながら私にキスを続ける。唾液まみれになったマスクは湿り、レイの舌と唇の感触が鮮明になる。なぞられるたびにドキンッ! ドキン! と心臓が弾ける。いつの間にか残った片方の手でレイを抱きしめている。強く。レイに舐られるたびに振動が私の体に奔り、その衝撃を抑え込むように。


「はぁ…、はぁぁ……レイ、一旦ストップ落ち着いて、ねぇ? 私の話を……」

「これ……邪魔」

「え──」


 はむっ

 レイはマスクを口で咥えると、ゆっくりと降ろす。私の唇が露出した。マスクの息苦しさから開放され、レイの湿り気を帯びた匂いがわっと私の中に入り込む。


 にぃっと不気味な笑みを浮かべた。

 満足げな表情。

 目が合う。

 うっとりと瞳が滲んでいる。

 ゾクゾクする表情だった。

 まだ混乱してるけど、そのゾっとするような美しさと愛らしさに心が奪われる。ぎゅっと今度は私がレイの指を握り返す。私の中から絞り出されたようなレイへの愛情がふわっと膨れ上がる。何やってるのよ、私! と私の中で悲鳴が聴こえるけど……駄目、なんか制御できない。むしろ肯定してる。


 レイが、

 レイが、可愛くて、このまま、生でキスを──。

 レイ……。

 まるで走馬灯のように今までのレイとの思い出が私の中で逡巡した。初めての出会いから、レイを想い、一人ベッドの上での記憶とか、全部どばっと頭の中に溢れかえる。


「ふぁ……」


 とレイは間抜けな声を上げると、こてんと頭からベッドに倒れ込む。私の体を拘束していた力が緩んだ拍子に、私はするりとベッドから抜け出し、間抜けに床に堕ちた。「痛っ!?」


 お尻を撫でながらそっとレイを観察した。眠って、る? 顔をペチペチ叩くと「ン……んん……」と一応反応はする。だったら大丈夫。生きてる。じゃあ……私はもう帰るわ。私はなんかフラフラしながら部屋を後にした。ちょうど扉を出る時にレイのお母さんと合ったので、お見舞いに来てレイが眠っちゃったので帰ります、とだけ言い残して逃げた。


 小走りで帰路につきながら、ふとマスクに気づく。外すと……やっぱりびしょびしょに濡れてる。このままだと不潔だしなんか持ってると色々危険な気がするって私は頭がよく回らず途中にあったコンビニのゴミ箱に突っ込んでいた。でもそれから百メートルほど進み、やっぱり……やっぱり、レイの唾液つきマスクは回収した方がいいじゃない! と思い立ってUターン、ゴミ箱に向かったけど、まさかの店員さんがゴミ袋を交換し終えてたのか、中身は空っぽだった。残念な気持ちと、レイの唾液塗れのマスクを回収して私を何をしようとしたのか、自分でもわからない。


☆★☆★


 ──次の日。

 欠伸が止まらない。

 昨日は殆ど眠れなかったから。もちろん原因はレイとの間接キス? ずっと考えてしまうから。間接、が正しいのかわからないけど、とにかく途中でおかしくなったレイに襲われて私はレイに唇を──。いや、マスク越しよ、マスク……。だから大丈夫──いや何が?


 あぁ、でもレイの唇、柔らかかったわ。

 ぷにゅっと私の唇の上で膨れて、その感触が忘れられない。

 思わず自分の唇を指で擦ってみたけど全然違うわ。

 こんなんじゃない。

 もっとプニプニして、弾力があって、気持ちよくて……。

 ってかキス。

 レイ、と……。

 私の瞳の中に浮かぶ距離にレイの笑顔があり、拘束されて、そのまま……そのまま──。


「サクラ、おはよう!」

「お、おはよう……」

「うわ、非道いクマ!」

「え?」「寝不足? なんか深夜番組でも見たの?」


 レイはいつもと変わらない。

 忘れているのか、それとも──。


「まぁ、上手く寝付けなくて」

「今度はサクラが体調崩しちゃうよ。気を付けてね」

「そうね。レイはもう治ったの?」「うん、熱も下がってさ。そういえば途中で私寝ちゃったみたいだね。せっかくお見舞いに来てくれたのにごめんね。お母さん帰ってきて、さっき帰ったよ~と教えてくれた」

「うん、うん……」

「サクラ?」


 じぃっと見つめられると昨日の光景がフラッシュバックして辛い。ドキン! と心臓が破裂しそう。昨日は突然の出来事で理解が追い付かなかったけど、改めて冷静になるとレイと……キス? しちゃったの!? と余計に混乱する。別にキスくらいどうってことないじゃない。キスが挨拶の国もあるんだし、でも……あっ、レイの顔が近い、近すぎるのよ。


 あぁ、もうどうしよう……。私の唇にこびりついた感触が蘇る。匂いとか、レイの温度も。なのにこの子は全く記憶に無いみたいで、私だけあたふたしてるのは腹立つわね。


「あ、そうだ、ほらマスク買ったんだ」

「はへ!?」

「まだ菌とか飛ばすし、咳が出るかも……なんでそんなに驚く?」

「な、なんでもないわ」


 ん? とレイは首を傾げながら、ふと私の手を掴んだ。いつものように。だけど、またそれで記憶が鮮明に蘇る。手を外したいけど、……記憶に浸りたい私がそれを拒む。


「うぁ──」


 レイは小さな悲鳴のような声を上げると、みるみる頬を赤く染めた。



//終

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