手を繋ぐと、あなたの声が聴こえます。

八澤

手を繋ぐと、あなたの声が聴こえます。



 昼から降り始めた雨が上がり、黒々とした雲が千切れ、その隙間から夕焼けが差し込む。

 キラキラ零れ落ちるように広がる茜色は、やんわりとビルを照らす。次第に街全体が宝石のように輝き始めた──。


 いつもの放課後。

 電車の窓に映る見慣れた景色のはずなのに、今この瞬間だけは目を奪われた。


「ねぇ……」

「ん」

「ちょっとほら見てよ、綺麗だから――」

「んんっ」


 鈍い反応に顔を向けると、スゥスゥと微かな寝息を立てるレイが私の視界に映る。

 レイは私の肩に首を預け、気持ちよさそうに眠りこけていた。揺すっても顔を渋らせるだけで起きやしない。なんか幸せそうな顔しちゃって。


 一人苦笑し、息を吸った瞬間に甘い匂いを嗅ぐ。香水、シャンプー、制服の繊維の匂いとは異なるレイ独特の匂い。……私は、好きだった。


 私は、無防備なレイにこれ幸いとクンクン嗅いでしまう。

 寝ているし、気付かれないし、肩も貸してるからその代償として、とわけわかんない理由が頭に浮かぶ。まぁ匂いくらいは嗅いでも構わないでしょう、仕方ないわよね、こんなに近くなんだから……。


 煌めく景色が緩やかにいつもの風景に戻ろうとしている。せめて写真だけでも……とスマホに手を伸ばす。後でレイに見せてあげよう。きっと大袈裟に喜んでくれるはず。レイの喜ぶ姿を思い浮かべるだけでなんか私まで嬉しくなる。けど、スマホが入っているポケット側の指は……レイに”ぎゅっ”と握られている。


 離れない。

 剥がれない。

 まるで私たちの指が癒着したかのように。


 手を、握る。

 ──と意識することも最近しなくなってしまったわ。

 気づく間もなく、というか、なんかもう……当たり前なのよね、こうしてレイに触れているの。


 レイは、スキンシップの激しい子だった。

 仲良くなり、私に懐くようになってからは「サクラ~!」と声を上げて私に抱きついてくる。スリスリ体を擦り付けてくる。そして、手を握る。ぎゅっと。初めの頃は距離感の近いレイに驚くこともあったわ。けど次第に慣れて……ううん、今はもうそれは当たり前の領域に入ってしまい、むしろレイと離れて過ごすと逆に違和感を覚える、かも。


 反対の手でポケットを弄ろうとしたけど、レイは「んん……ん」と身を捩って嫌がる。私は面倒くさくなり、溜息をつきながら夕焼けに染まる街を眺める。幻想的な光景も普段の見飽きた姿に戻ってしまい、その味気無さと妙な安心感に辟易する。


 さっきの風景、レイが起きていたら瞳を爛々に輝かせて喜ぶのに。

 ――こんな感じで。


「うわぁ~!」

「ど、どしたの?」


 私が目を離した隙に目覚めていたレイは、瞳を爛々と輝かせ、頬を僅かに染めて唸っている。……なるほど、わかったわ「ソラさん!」


 少し離れたビルの街頭ビジョンに映るのは、絶大な人気を誇る歌姫、『星屑ソラ』だった。

 レイがこんな感じで惚けた顔を晒すのは、星屑ソラを眺める時だけ。


「嗚呼……綺麗……」

「いきなり起きて、よく映ってるとわかったわね」

「声がね、聞こえたの」「……聴こえるわけないでしょ」「……心の声が聴こえた――はぁぁ」


 重々しい溜息なんかしちゃって……。

 あと、頑なにソラ先輩と言わないのが、なんか気になる。でもそれ辞めてなんて言えないから……余計に腹立つ。モヤモヤする。口を開きかけたところでレイは笑顔で私を見つめる。


「サクラ、今度チケットの抽選当たったら一緒に行こう!」

「で、一体いつ当たるの?」

「うぅ……だって販売開始数秒で売り切れるんだもん。転売屋から買うわけにもいかないし」「流石、ファンの鑑ね」「そもそもファンが一致団結してソラさんのチケットは転売阻止してるから」


 レイにとって歌姫『星屑ソラ』は憧れの存在だった。彼女の躍動を目の当たりにするたびに、レイの夢の亡骸が浮かび上がる。

 仄かに漂う匂いのように、レイと語り合った記憶が蘇る。私たちの……もうどうしようもならない、夢の亡骸を見せ合う哀しさ。語り、共有し合うことでさらなる深みに嵌まる気がした。でも……それしかないものね、私たち──。


 レイ……私も、夢を諦めたの。

 記憶に触れるだけで痺れるような痛みに襲われる。


「ソラさんは……本当に凄いよ。プロのアーティストなんだもん。歌っている姿を見るだけでドキドキしちゃう」


 まるで自分自身に言い聞かせるように、レイは紡ぐ。レイの指は震えていた。微かな振動が、私の握られた指から響いてくる。痺れる感覚は、やがて痛みを生み出す……。


 可愛いレイの表情。

 思わず抱きしめたくなるけど、できない。だって……星屑ソラだけに向けられる表情は、レイと同じく夢を諦めた私には決して魅せない輝き。私がそれを受け止める資格も勇気もないの。そのために、ってピアノをもう一度頑張る気にもならなかった。まぁできないし……。それにさ、こうして私たち、お互いの傷を舐め合えば、レイはずっと私の隣に居てくれるじゃない。


 それでいいのかな。

 いいよね。

 ……だって苦しい。

 まるで返事を返すようにレイは私の指を強く握り返した。傷跡に、レイの指が――レイの感情がズブリと突き刺さる気がした。


「あ、そうそう……さっき私の体触ったよね! 私が寝てる隙に……や~らし!」

「スマホ取ろうとしただけ」

「嘘ばっかり。はぁ……サクラの隣は危険だね」

「だったら離れなさい」


 突き放すように距離を取ると、逆にレイはくっついてくる。

 レイに触れる箇所がぴりっと迸る。

 たったそれだけで私は──。


「サクラ暖かいから……ムリ」

「もう……いちいちくっついて暑苦しい」


 刺々しい言い方を狙ったつもりなのに、レイはそんな私のか弱い抵抗を見透かすように微笑む。

 そのまま瞳を瞑り、また寝息を立て始めた。あからさま、どうせ起きてるんでしょ? と内心思いつつ、レイの頭部にそっと頬を当て、私も目を瞑った。私の呼吸に合わせるように、レイは息を吐く。レイの心音と私の鼓動が混ざり、一つに重なるような感触を覚えた。


 ぎゅっと、手をつなぐと、まるでレイの声が──想いが聞こえる気がした。



//完

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