第8話

 緊急事態であっても、人間の体というものは適度に休まねばならないようにできている。結局、午後からは校長や教頭が学校に残って対応することになり、梢を含む一般の教師は帰宅する流れとなった。教頭と交代で休むから心配いらない――。そう言った校長の姿に、ほんの少しだけ心が痛んだ。なんせ、自分はもっと騒ぎが大きくなることを望んでいたし、そのための起爆剤をすでに仕掛けていたのだから。


 その日は、家に帰っても眠れなかった。徹夜をしたはずなのに、なぜだか眠れなかった。点けっぱなしのテレビでは、事故のニュースが延々と流れていた。不謹慎だが、そのニュースをじっと見つめながら、ほんの少しばかり笑った自分がいた。それが、自分でも恐ろしく思えた。


 夜になってから月曜のおおまかな流れが学校側から電話で伝えられた。連絡網を回すと、梢はようやく眠りへと落ちた。ほんの一時間かそこら眠っただけで、すぐに目が覚めてしまったのは、一度に色々なことが起こってしまったことで気が立っていたのかもしれない。


 ――月曜日。梢はいつもより早く学校に向かった。緊急の招集ですでに学校には来ていたものの、こうして正式に学校にやって来るのは、久しぶりのことだった。初七日を終えるタイミングであんな事故が起きてしまったのは、もはや偶然ではない。何者かが梢に犯人を見つけ出せと言っているように思えた。


 月曜日は緊急全校集会のみが行われた。これだけ事故が大きくなると、マスコミも介入してくるため、その対応に朝から忙しかった。そろそろ生徒達が登校をし、例のメッセージを見つけて騒ぎになっていることであろう――。そんなことを考えると、慌ただしい朝も苦にはならない。そこに追い討ちをかけるかのごとく、どさくさに紛れて梢は一本のメールを作成し、いつでも送信できるような状態にした。


 学校側の対応として、この先一週間はとりあえず休校となる。一度に至るところで葬儀が行われるため、そうやって時間を作るしかなかったのだ。生徒達のメンタル面を考え、幾つもの葬儀に参列させるのはしのびないということで、それぞれの葬儀に生徒を割り当てるということで話がまとまっていた。だからこそ、追い討ちが必要だと思ったのだ。噂としてお悔やみ様が浸透するためには、もう一押しをしなければならないという使命感のようなものを抱いたのである。


 メールを執拗に送りつけるという手段は、当然ながら休校になっても実行することはできる。しかしながら、どれだけの影響を生徒達に与えているのかを確認することができない。その反応を確かめるためにも、とにかく月曜日に全てを詰め込まねばならなかった。


 全校集会の最中に、予め作成しておいたメールを送った。


 ――私を殺したのは誰?


 短文ながら効果的な一文だったように思える。全校集会が終わっても体育館に佇んでいる三年一組の生徒達の姿を見て、梢は確信した。今朝方の貼り紙と相まって、かなりの効果を発揮しているようだ。


 その折、娘の幼馴染達の会話が耳へと入ってきた。どうやら娘の自殺を疑っているようだった。そこで再び電撃が走った。噂として拡散させる方法も悪くないが、もう少し別の角度からのアプローチもできるのではないか。


 一人では娘の死の真相にたどり着けるかどうか分からない。でも、一人ではなく複数人による多角的なアプローチをすれば――つまり、娘の死に疑問を持っている幼馴染達を利用すれば、もっと早く真相にたどり着けるのではないか。


 もはや心も痛まなくなっていた。とにもかくにも、真相のことしか頭になかった。利用できるものは、例え娘の幼馴染でさえ利用する。ここでもう一押しだ。もう一押し、背中を押しておかねば。まるで娘が犯人を探しているかのような演出が必要だった。


 職員室に戻った梢は、さらなる追い打ちをかけるべく、もう一通のメールを作成した。今度は文字ではなく、自分自身に送られてきた例の動画を貼り付けてやる。もし、自分が三年一組の生徒の立場であったら、気味が悪くて仕方がないであろう。お悔やみ様からメールが届き、娘を乱暴した犯人を問うかのようなメールが届き、そして何者かに追い詰められる娘の動画が送られる。


 ここまでやっておけば、必ずや噂となって方々に拡散されることだろう。そして、事件の真相に向かって動き出す生徒が出てくる。――今思えば、この選択こそが新たなる犠牲者を出してしまう要因となってしまったのだが、この時の梢の視野は一点に絞られ、周囲のことなど全く見えていなかったのである。


 動画を送信した後、できる限り平静さを保ちながら教室へと入った。その騒然としたクラスの雰囲気に、梢は内心でほくそ笑んだ。それっぽい対応を取ることにして生徒達を帰らせた後は、全てが上手くいったと一人で喜んだ。


 それからしばらくは、慌ただしく過ごした。少しずつ大きくなっていくであろう噂に期待を抱きながら、梢は教師という役割に徹した。野球部員の葬儀の引率や、家族に対する挨拶など――。表向きは教師という立場を保ち続けた。その胸の奥に、母親としての大きなわだかまりが育ち続けていることを自覚しながら。


 そんな日々を過ごしている最中、葛西から会って話がしたいとのメールが送られてきた。着実に自分の思い通りに葛西達が動いていることを確信できた梢は、思わず笑みをこぼさずにはいられなかった。自分でも狂気じみたことをやっているのは分かっていた。けれども、娘を失った悲しみと、姿の見えぬ犯人に対する憎悪が、それを見えないものにしていた。


 葛西のメールでは、土日のどちらかに会いたいとのことだったが、土日は娘の寮を片付ける用事が入っている。それに何よりも、葛西達がどのように動いているのか、どこまで掴んでいるのかを一刻も早く知りたかった。あらかたの仕事が終わり、少しばかり肩の荷が降りたタイミングを見計らって、葛西達と会うことにした。水曜日の夜のことだった。


 葛西達が自宅にやってくると、とりあえずお茶を出してやりながら、こちらから話題を振ってやった。沙織の自殺について、親としても疑問に思っているかのように演じながら――。実際に沙織の死の真相を追っていたわけであるが、あくまでも娘を亡くした母親という立場を無理矢理に演じた。それを追いかけようという、積極的な雰囲気を隠蔽するかのごとく。


 やはり葛西達も娘の自殺に疑問を抱き、それを追いかけているようだった。胸の内でガッツポーズを取りながらも、しかし梢は演じ続けた。


 あえて、妊娠したかもしれないという旨のメールだけ見せた。例の動画まで見せてしまうと、それを転送したことに勘付かれてしまうかもしれない。本質を見せずに、葛西達に動いて貰うには、適度な情報を与えるだけで問題ないだろうと判断したがゆえのことだった。


 その後、葛西達のほうから娘の部屋の片付けを手伝いたいとの申し出があった。断る理由などなかった。単純に人手が足りないというのもあるが、三人の進捗状況を知ることができるし、噂がどの程度拡散したのかを知る機会にもなるだろう。


 全てが梢に味方するかのように動いていた。だが、ここで思わぬイレギュラーが起きてしまう。葛西達の目の前で電話がかかってきたのだ。それもまた、梢が予期していなかった人物から――。

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