第20話 クーリングオフとの出会い
「お前、何やってるんだ!?」
俺は布団から華麗に抜け出し、壁に張り付いた。いつもなら寝起きはぼんやりしているが、今は頭がしっかり起きていた。
「あら、起こしちゃって悪かったわね」
髪をかきあげる仕草が、月明かりに照らされ、綺麗だった。パジャマ、というかネグリジェのよう極限に薄い服装は、身体の線を大まかに理解させる。いや、今はそれどころではないんだ。
「何で俺の部屋に」
「何よ、そんなに焦ることないじゃない。ただ寝顔を見に来ただけよ」
「いやいや、どんな状況で? にしても近すぎだろ。変な事しないでねって言っておいて、お前の方がやってるだろ!」
「暗くて良く見えなかったから、つい、ね。それに何よ、別に変な事はしようとしてないでしょ」
「年頃の男子高校生に覆い被さるのが充分確信犯なんだよ」
俺は責め立てながらも、内心心臓が張り裂けそうだった。とてもじゃないけど今近付いたら理性を失ってしまう。それほどまでに魅力的な状況だった。
「まぁ、寝顔は今作った理由だけどさ。本当は屋上での返事、聞きに来たの。どうせあんたなら、色々考えてて起きてるかなって思って」
山下の言葉はいつも通りにキツいが、どこかしおらしく喋り方はゆっくりしていた。彼女はベッドの上に腰掛け、話を聞く体制は万端だった。
「どうせって何だよ。というか、返事は今じゃなくて良いって言ったじゃねぇか」
「言ったわよ。でももう、さっきの今じゃないじゃない。こんなチャンス滅多にないだろうし、こんなに眠れないなんて思わなかったから」
積極的な性格とは思っていたけど、まさかここまでとは。にしても環境がそうさせているのか、学校で見るよりどこか大人びていて、落ちたいた印象を受けた。
しばらく売り言葉に買い言葉を続けていると、またドアがノックされた。
「ヤバ、おばあちゃんだ」
山下は掛け布団を被り、小動物のように素早くベットに潜りこんだ。
「おい、どうすんだよ」
小声で助けを求める。この状況、あのおばあちゃんに見られたら駄目な気がした。山下は頭だけちょこんと出した。
「何とか誤魔化してよ。おばあちゃんこういうシチュエーションとかに厳しいから、見つかったらめっちゃ叱られるっぽい」
そう言ってさらに深く布団に潜る。くそぉ、とりあえず何か喋らなきゃ。
「はい、どうしましたか?」
「何かお声が聞こえたもので、何かあったのではと馳せ参じた次第です。何かお困りでしょうか?」
確かに困っている。その原因は心配して来て下さったあなたなのですが。元よりあなたのお孫さんなんですが。
「あ、はい、大丈夫ですよ。ちょっと、その、あ! 友達と電話してまして。ついつい話が盛り上がってしまって、すいません。深夜にご迷惑おかけしました」
しばし沈黙が流れる。ヤバイ、何か感づいているのか。静まる空気はゆっくりと冷や汗を作り出す。時間にして数秒だが、俺には数分に感じた。やっとドア越しに声が聞こえる。
「そうでしたか。それなら安心しました。何しろ一美の連れてくる大切なご友人に何かあってはと心配しておりますゆえ、急なご訪問をお許しくださいませ」
「いえ、とんでもない。ありがとうございます。それに友達ですけど、そんな大層なもんじゃないですから。会ったばっかりですし」
「いえいえ、とんでもございません。世中殿は確かに一美にとって大切なご友人でいらっしゃいます。お恥ずかしい話ですが、あの子には友達が昔から少なく、ましてや我が家に連れて来られたのは、美徳実殿以外では初めての事です。あの子は若くして両親を亡くしております。その頃から心の中の殻に閉じこもってしまい、人間関係が上手くいっておりませんでした。言葉遣いは何度言っても治らず、人様に対する態度も変わらぬまま。それは一重に感情の裏返しでございます。あの子は本当は優しく、不器用で弱い子ですので、どうかこれからも、支えになってあげてくださいませ」
「そうなんですね。話してくれてありがとうございます。でも」
俺はドア越しに拳を握りながら返した。優しいって言うのは少し疑問が残るが、田中からあんな話を聞いた後に思えば、山下が弱い人間だとはとても考えられなかった。
「あいつは弱い子ではありません。大変な事があっても乗り越えようと頑張っていると思うんです。今はまだ不器用でも、これからもっと成長していきます。それにあいつは、誰よりも人の心に敏感だと思う。田中という素敵な親友もいる。もしかしたら人を信じる事が怖いだけなのかも知れません。だから僕達が信じてあげなきゃいけないんです。おばあ様も山下の事信じてあげて下さい。そして安心して、お孫さんの成長を見守っていてください」
俺は言葉に任せて喋ってしまった。自分でもビックリするくらい、すらすらと。
「そうでしたか。心強いお言葉をありがとうございます。あなたは一美にとって大切なお方です。どうぞごゆっくり、お休みください」
そう言うと音もなく、気配だけ消して帰った。
ふぅ、とドアに寄りかかり溜息を漏らす。何言ってるんだろ。咄嗟だったとはいえ、何を分かったような事を吐き出しているのか。それより今は山下を逃がさなきゃ。俺は掛け布団をバサっと取り払い、部屋から出そうとする。
「ほら、おばあちゃん戻ったぞ。今がチャンスだ」
丸まったまま動かない山下は、少し震えているように見えた。薄着で寒いのだろうか。一向に動かない。俺はある可能性が浮かんだ。きっと第三者が見たら無粋な言い方だったかも知れない。
「お前、泣いてんのか?」
無言を通す山下。全く反応がない。俺は無理矢理にでも起こそうと手を伸ばす。
「おい、聞いてんのか」
「寝た」
「は?」
「私は寝てる」
「いや、絶賛会話中だろ」
山下はムクっと起き上がり窓の方を向いた。目元を袖でゴシゴシ拭くと、いつもの感じで向き直った。
「驚かないのね、私に両親がいないこと」
そうだった。これは俺と田中の秘密だ。知った風な口を聞いてしまったから怪しまれている。俺は怪しまれないように、正直に嘘と本当を入り混ぜた。
「まぁ、驚いたけど。それよりこの状況の方に驚いてるからな」
「何よ、格好付けちゃって。あんな事恥ずかしげもなく言うなんて、こっちが気を使うじゃない」
「何だよそれ、バッチリ聞こえてたんじゃねぇかよ」
「まぁ、その。嬉しかったけどさ。ありがと」
山下は目を合わせず、ボソッと呟いた。
「なぁ、何で俺の事なんか好きなんだ」
この場の雰囲気を借りて、俺の悩みの種を直接聞いてみる事にした。今を逃したら恐らく聞けないだろう。山下は呆れたような顔をしてはいたが、話してくれた。
「言ったでしょ。ヒーローみたいだって。私を救ってくれたから」
「でもさ、それだけなら判断出来ないだろ。まだ会って一週間だけだし」
「何よそれ、そんな事自分で考えなさいよ」
「いや、考えた結果分からないから、こうして聞いてるんだ」
「全く、本当に自分勝手ね。まぁ良いわよ。また助けてもらっちゃったし。…似てたのよ、美徳実に」
「え?」
「私の性格ってさ、人を遠ざけちゃうみたいで、元カレもめっちゃ引いてた。それですぐに別れちゃったんだけど。美徳実はね、こんな私をいつも放っておかないでくれるの。あの子も馬鹿よね、私みたいな奴に。でもあの子が一緒にいてくれたから、私は前を向いて歩けてるの。信じても良い人がいるんだって、あの子が教えてくれたの」
山下は体育座りになり、膝に顔を埋めた。
「私の両親さ、交通事故で死んだの。だから初めは、車から助けてくれただけであんたに運命感じただけだった。そしたら痴漢捕まえたりさ、同級生想いだったりさ、今だって。何かどんどん惹かれちゃって、気持ちが止まんなくなっちゃって、考えてたら好きなんだって思った」
俺は何と贅沢な環境にいるんだろう。だけど山下の本当の魅力はきっと、もっと内側にあるんだと思う。だからまだ、早いんじゃないかと思った。お互いをもっと知る事から始めないと。
「ありがとう。気持ち凄ぇ嬉しいよ。でもさ、お互い知らない事ばかりだと思うんだ。別にお前の事を嫌いって訳じゃない。もっと知り合ってからの方が良いと思う。俺だってさ、嫌なとこいっぱいあるんだぜ」
山下は俺を見た。
「知ってる。貧弱。顔がイマイチ。勝手に胸触るしデリカシーがない」
「おいそこまで言わなくても」
山下は今一歩で何かに気付きそうなのか、自分の中の葛藤と戦っているようだった。体育座りで身体を前後に揺らし、しばらく達磨のように動いていたが、ゆっくりと止まり声を出した。
「そうね。私あんたの良いとこしか見ようとしてなかったかも。ちょっと運命感じて舞い上がってたみたい。何をこんなに焦ってるんだろうね。今後はあんたの言う通り、ちゃんとあんたの悪いとこ見つけてくわ」
「いや、そこは積極的にならなくても」
「だから。私の告白は一旦無かったことにして。まだ新品未使用だから大丈夫でしょ?」
「何かクーリングオフみてぇだな」
「はは、そうよね。キスまでしちゃったし。まぁほっぺだから未遂ってことで」
少し寂しそうな雰囲気ではあったが、俺は俺の今出せる答えを精一杯捻り出したつもりだ。山下は立ち上がり、ドアへと向かう。彼女のペースは独特で、話す隙を与えない。
「ありがとね、おばあちゃんに言ってくれたこと、嬉しかったわ。おやすみ」
「おぉ、おやすみ」
俺は力なく返事をした。山下は部屋から出てドアを閉める寸前に顔だけ出した。
「あ、でも別に、好きなのは変わってないから」
バタン、とドアの閉まる音が、部屋の中に心地よく響いた。
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