立ち上がる幽鬼

「へぇー、へぇー、へぇー。そうやって、ディーゼルさんでも凡ミスすることがあるんですねぇー。笑い。笑い」


 ショコラがそう言ってニマニマと俺の周りをぐるぐる回っていた。


「どんな気分? 今どんな気分なんですか?」


「……」


 その後、アンカーポイントからやり直した俺たちは、湖沼ゾーンを越え、今は三四階層のアンカーポイントにいる。これで再々序盤は越したことになる。


 シュコーっと嘆息をつく俺に、すっと、片手を差し出してくるショコラ。


「――帽子と上着、返してください」


「……」


 彼女のテンガロンハットは、俺の沈降に巻き込まれて沼に食われた。


 彼女の上着は、死に戻りの代償としてその場に残されていたのだが、戻ってみると例のワニも生き返っており、そいつを始末する勢いに巻き込まれて吹っ飛んで、やっぱり沼に食われた。


 おかげでショコラはズボン一丁で、上半身は肌着だけとなっている。涼しげな雰囲気になった。


「ないならぁ、新しい上着くださいよぉ。ぜひ可愛い服でお願いします!」


 答える代わりにシュコーッと瘴気を漏らし、ともしびの前にどっかと腰を下ろした。


 近くに転がっていた髑髏どくろを拾い上げ、手甲の中でもてあそぶ。


 万謝の燭がまき散らす光が眩しい。


 ――それにしても、だ。


 俺がダンジョンを出て一六日目。さすがに誰か迎えに来てくれてもいいのではないだろうか? これがこのダンジョン最大の功労者に対する仕打ちか?


 デンハムはどうした? 親友だと思っていたのに……。


 エドウィンは……だめだ、あいつは動けない。


 リーバイスは? 無理だ。興味なさそう。


 マグノリア……クラリスと一緒になってダンマスを甘やかしてそうだ。


 駄目だ。やっぱり自力で一〇〇階層まで潜らなくては……。


 ここから、さらに難しくなるんだよな……。


 再びシュコーーーーーッという嘆息が、長く長く兜から漏れた。


「もしもーし? ディーゼルさーん、私、風邪引きそうです。早く新しい上着探しに行きませんかー?」


 無言でショコラの顔を見上げ、しばし見つめ合い、また顔を万謝の燭に向けた。


 ――やっぱり、変だ。


 いくらダンマスの我がままとは言え、デンハムがそれに付き合って俺を迎えに来ない理由がない。あいつは真面目だから、適当にダンマスの癇癪かんしゃくに付き合ってから、こっそり俺を回収しに来るはずだ。


 他の階層の連中だって、俺とは仲が良い。自分で言うのもなんだが、上司として信頼されている自負がある。


 それぞれ自分の持ち場があるが、さすがに十日以上も俺が席を空ければ、誰かが心配をして俺を探しに来てもいいんじゃないか?


 ここに一番近いのは、ターチか……。


 ――自分の持ち場を、動けない理由がある?


 それは何故かと頭を巡らせた時、ふと、俺の眼前に顔を寄せて頬を膨らましているショコラが目に入った。


「ねぇねぇ、ディーゼルさーん。揶揄からかったのは謝りますからぁ、私の装備を探すの手伝ってくださいよぉ~。この格好だと乙女の沽券こけんに関わります。もうちょっと可愛いのか、セクシーな奴を――」


「ショコラ」


 俺の呼びかけに、彼女は「はい?」と首をかしげた。


「お前の追っている……イルバーンだったか? 何級冒険者だ?」


「えっとぉ……たしか、去年辺りにS級に上がったはずですけど、それがどうかしましたか?」


 何かが、カチリとはまり込んだ気がした。


 うつむいた兜から、エコーがかった低いうなり声が漏れる。


 分隊構成には、得られる報酬が少なくなるという決定的な問題がある。それゆえに廃れた攻略形態だ。


 だがしかし、今でも時折、そんな分隊を持ち出してくるケースがある。


 ダンジョンの完全攻略そのものを、目的としている場合だ。


 ダンジョンの完全攻略――すなわち、ダンジョンマスターの殺害。


 ……危険な侵入者を察知して、ダンジョン全体で防衛体勢レベルを上げた。


 すなわち今、絆の深淵は厳戒態勢をとっている。


 最奥から各階層に行き来する直通路がある。それは〈バイパスゲート〉と呼ばれる。


 バイパスゲートはマスタールームから接続できるのだが、当然、厳戒態勢の時は使わない。看破かんぱされると、一気に最奥までの侵入経路が出来上がる危険な行為だからだ。


 聞けば、イルバーンはショコラの姉を手玉にとって使い捨てる悪漢。そんなS級なりたてのイキリ小僧が、自分の名を上げるために、この悪名高い絆の深淵に目を付けた――。


 ……。


 クズが、ダンマスがぐうたらしている最奥に押し入るだと……?


 笑わせるなよ。


「ディーゼルさん……? なんか、急に寒くなりません?」


 ショコラが鳥肌の立った腕を抱えた。


「――喜べ、ショコラ。お前と俺の目的がピタリと合致がっちしたぞ」


「え? どういう意味ですか?」


 手に持っていた髑髏をパキパキと握りつぶし、立ち上がる。


「スターチェイサーを後ろから狩る――鏖殺みなごろしだ」

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