悪夢を見た人
伊藤 経
悪夢を見た人
私は悪夢をみた。
恐ろしい夢だ。 私の為に大勢の人が、何百何万という人が死ぬのだ。 私のあんなちょっとした事の為に。
寝床から飛び起きると、あまりの恐怖に卒倒しそうになる身体に鞭打って私はパジャマのまま家を飛び出した。
逃げなければならない。 あの恐怖から。 あの恐ろしい寝床から逃げなければ。
通勤するサラリーマンを押しのけて、杖をついた老人を蹴倒して、道行く猫を蹴飛ばしてもそんな物は寝床の、悪夢の恐ろしさに比べればなんて事はない。
ただひたすらに私は自分のベッドから逃げ続けた。
そうやって恐怖に駆られた私は警察署に逃げ込んだ。 警察なら守ってくれるに違いない。 私をあの悪夢から。 恐怖から。
派遣してもらうのだ。 警官を数十人私の家の寝室に。 一斉に拳銃であのベッドを撃ってもらわなければならない。 それから全員で警棒でめった打ちにするのだ。
そうでなければあのベッドでもう一度眠ったが最後、私は悪夢に食われてくたばってしまう。
必死で警察に訴えるが、警官達は私の話をまともに聞こうともしない。
それどころか私を逮捕すると脅しすらした。
私はその場はひとまず警察署を出る。 税金泥棒め!
それから私は私を助けてくれる人を求めて軍の基地へと駆け込んだ。
警察なぞダメだダメだダメだ! 奴らは戦いを知らないんだ。 軍人ならば戦闘のプロだ。 ベッドを穴だらけにして悪夢をメッタ斬りにしてくれるに違いない。
しかし、不意に不安が私の心を襲う。
もし警察と同じ様に軍の人間も私の話をまともに取り合ってくれなかったら?
そんな不安がいけなかったのだろう。 私は軍服の男性に思い切り体当たりしてしまった。
私は男性に馬乗りになる様な格好になってしまったが、次の瞬間には視界がぐるりと回っていつの間にか仰向けに倒れていた。 それからパンっという乾いた音が響いた。
驚いて必死に立ち上がって逃げようとした矢先に私は転んでしまう。
見れば私のパジャマのズボンが真っ赤に染まっている。 すぐに左脚に焼きごてでも当てられた様な痛みが走る。
それから私は軍服の男性の前に彼の護衛らしき男に引っ立てられた。
そこで私は初めて男性の軍服にズラリと並んだ勲章と、彼の顔を見た。
青崎将軍だ。 彼の顔を知らない者はこの国にはいないだろう。 何しろ毎日の様に彼の顔が新聞に載るのだ。
なんて事だ。 私は侮辱罪で処刑されるのだ。
何とか護衛の男達の拘束を振り切ろうともがくが、男達の力は強くすぐに地面に押さえ付けられてしまう。 顎を強く地面に打つ。 そこから血が出ている様に思えたが、今はそれどころではない。
私は必死に謝った。
「すみませんでした。 違うのです! もう走りません! 無駄口もききません!」
「何を急いでいたのだね」
将軍は私の必死の言葉には答えず、嫌に優しい笑みで私にそう問いかけた。
その言葉に私は全く絶望してしまった。 将軍は気まぐれに私の最後の言葉を聞く気になったのだ。 将軍の目が物語っているのだ。
今に護衛の男の一人が、私の頭を後ろから撃ち抜くに違いない。 そうでなければ将軍自らその腰の拳銃で私の眉間を撃ち抜くか。
恐怖が間欠泉の様に私の眉間から噴き出すに違いなかった。 次第に頭痛がしてくる。 目が回る。 吐き気がこみ上げてくる。
耐えられない。 一体誰がこんな恐怖に耐えられるというのだろうか?
私は恐ろしさと不快感のあまりに舌を真っ直ぐに口の外に突き出すと、それを思いっきりかみ切った。 殆どちぎれた舌が、べろりと私の顎をなめる。 それから口の中が液体でいっぱいになって、私の意識は次第に薄れていく。
「おいこいつ舌をかみ切りやがった!」
「馬鹿な奴だ。 許してやろうと思っていたのに」
「狂っていたのですよ。 そうに違いない」
私の耳に彼らの言葉は届かなかった。
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