第9話 箱庭のアーコロジー
鬱蒼と茂る森を進む。
アーコロジー・ピラミーダが目に入ってからずっと歩いているのに、一向に着かない。
「遠目には小さく見えたのに、どれだけ大きいんだよ」
これはタローの独り言だ。しかし、カイザーは律儀に返事をしてくる。
「一辺一〇〇〇メートルの正三角形を四枚合わせた正四角錐だ。さァて、ここで問題! 高さは?」
「ええっ? ……一キロくらい?」
タローは何となく勘で答えた。
「ブブーッ! 外れだ馬鹿者」
「う、うるさいな!」
カイザーはわざわざ「ブブーッ!」を電子ブザーの音で表現していた。
「そう難しい問題ではないぞ、数学の初歩の初歩だ! おぬしの年齢にもなって解けないのは、はっきり言って恥だぞ、恥!」
タローは数学が苦手だった。
アビゲイルが教えてくれた事もあるが、頭がこんがらがってしまう。
その時はわかったつもりになるんのだが、後になったら忘れてしまうのだ。
「というかさ、そもそもこういう計算を簡単にするために計算機が発明されたんじゃないか。ロボットの陽電子頭脳だって、ようは計算機の一種だろ。その計算機がなんでこんなに偉そうなんだよ」
「だが我輩は慈悲深い」
「答えろよ」
「我々はおよそ時速四キロメートルで最短距離を歩いている。五時間後に到着するから、それまでに答えを出すんだな」
そのくらいの計算はできた。つまり、まだ二〇キロもあるということだ。
「遠いなぁ」
*
タローに噛みつこうとした巨大な毒蛇を、カイザーが目からビームを出してやっつけた。
牛でも飲み込みそうな大きさだったが、戦闘ロボットの前ではアオダイショウと大差が無い。
「レーザービームだ」
「嘘つけ! でも助かった」
雷のようにギザギザに飛ぶレーザーなど存在しない。本当は何なのか、まるっきり謎であった。
「ねえ、ロケットパンチは無いの?」
「昔はあった。しかし、ある時誰かが気付いたのだ。飛ばす腕に爆薬を仕込んだら、もっと強いのではないか、と」
「ええ? それって」
「また別の誰かが余計な事を思いついた。別に腕じゃなくてもよくね? と」
「ミサイルじゃん!」
「結果、ロケットパンチの装備を外されてしまったのだ。その代わりがこのペンチの手だ」
呆れながら進むと、足下で乾いた音がした。
何だろうと思い見てみると、何かの骨らしい。
長さは四十センチほどで、おそらく大型哺乳類の大腿骨だろう。
「けっこう大きいな。何の骨だろう?」
「ホモ・サピエンス・サピエンスだ。霊長類ヒト科――」
「ええっ!? 人間!?」
思わず骨を放り出す。カラン、と乾いた音を立てて骨が転がった。
大腿骨とぶつかって音を立てたのは、明らかに人間の頭蓋骨だった。思わず腰が抜けてしまう。
「何を恐れる。噛みつきゃせん」
「そ、そりゃそうだけど」
カイザーはペンチの手で頭蓋骨を拾うと、それでタローの頭を軽く小突いた。
コツコツと軽い衝撃が額に伝わる度に、笑うように骸骨の顎が鳴る。
ケタケタ。ケタケタ。
「おぬしも同じ物を持っているではないか」
「見た事無いし、見せた事も無いよ! というかやめてよ! 人の骨だよ!」
カイザーはやめてくれたが、首を傾げる代わりに頭を左右に回した。
「すでに死んでおるぞ。こやつらは泣きも笑いもせぬわ」
「こやつ……ら?」
数えてみると、頭蓋骨は十個あった。
肋骨や他の骨なんかもあわせて、やはり十人分はあるようだ。骨は野ざらしで、草に覆われるまま放置されていた。
「何をしておる?」
「……埋めるんだよ」
タローは木切れを使って穴を掘り始めた。
十人全員を埋めると、手頃な石を置いて墓標にする。花――タンポポやシロツメクサだが――を供え、手を合わせる。
カイザーはその様子を興味深そうに見守っていた。
「変わった事をするな?」
「何も変わった事じゃないよ」
何かに納得したのか、カイザーは口から煙を吹き出した。
「なるほどな」
他には特にトラブルも無かった。
少し進んだところで奇怪な化け物に襲われていた男をカイザーが助け、彼がカイザーを神と崇め始めたくらいだ。
彼は長髪で背が高く、肋骨が浮き出るほど痩せており、ボロボロの服に顎髭を伸ばしていた。
彼は大工の息子だったらしいが、現在は自分探しの旅をしているという。
「……ですが御使いたるタローよ。三原則は人間こそが守るべきだと思いませんか?」
「どうして? それはロボットのためのものだよ?」
「私をお試しになられるか御使いたるタローよ。ならば答えましょう。すなわち隣人を傷つけず、隣人の危機にあってはその身を顧みず、また法と秩序をよく守り、自身の身を自身の責において守る。迷える人々の規範たる教えではありませんか」
「なるほど。確かにそうだね」
言われてみればそんな気もしてくる。彼は胸をなで下ろしたようだ。
「どうやら合格をいただけたようですね。では私は神の教えを人々に伝えるため、旅を続けます。グッド・イーティング(よい食事を)」
彼はそう言ってどこかに行ってしまった。
そんな事もあったが累計できっかり五時間後、ようやくタローたちはアーコロジー・ピラミーダにたどり着いた。
まるで本物の山だ。
全面がツタや、よくわからない草で覆われていて緑一色になっている。
ただ、葉っぱの隙間からかすかに金属光沢が見えた。
つまり、この巨大な建物が全部金属で覆われているということだ。
錆が浮いている様子もないので、ステンレスがアルミだろう。
「入り口はあそこだ、タロー」
「うん……やっと着いたんだね」
カイザーは四角いくぼみを指さす。大きさは縦横三メートルほどだ。
「我輩が協力できるのはここまでだ。すまんな」
「いいんだ。ここまでありがとう」
カイザーはそもそも、アビゲイルをタローから奪うために送り込まれたロボットだ。
結果的に命令を遂行できなかったが、それはあくまでも結果論にすぎない。
タローをここまで連れてくることは、命令違反ギリギリだったことだろう。
タローは、カイザーのブリキ製の胴体に両腕を回した。
ひんやりと冷たく固かったが、不思議と暖かいような気がした。
「カイザー。ピラミーダの高さは七〇七メートル。合ってる?」
「うむ。馬鹿は馬鹿なりに頑張ったようだな。端数はオマケして、正解という事にしておこう」
正四角錐の高さは、辺の長さを√2で割れば求められる。
カイザーはタローの肩にペンチの手を置くと、光電管の二つの目でタローをじっと見つめた。
「タローよ。頑張るのだぞ」
「うん」
タローはそれしか言えなかった。
「おぬしの目的を果たし、必ず生きて帰るのだ」
「うん」
カイザーの姿は、みょうに歪んで見えていた。
「しかし次に会う時、おそらく我らは敵同士になる。その時は容赦できぬ」
「うん」
途中から俯いてしまい、カイザーを見られない。
「我輩にはこれ以上、言える事は無い」
「うん」
キイキイと油の切れた音が遠ざかるのを、タローは止められなかった。
「さらばだ、タロー。おぬしとの旅、意外と悪くなかったぞ」
もう聞こえるのは虫や鳥の声、それと風の音だけだ。
「さよなら、カイザー。……ありがとう」
タローは袖で目許を拭うと、入り口に向けて一歩を踏み出す。
その時、ぽつ、ぽつと雨が降り出した。
タローは雨が嫌いではない。
雨の日は外仕事ができないので、よく本を読んだ。
陽に焼けたり、雨でにじんだりして読みづらいものばかりだが、むさぼるようにして読んだ。
その中にはロボットを扱った古い空想小説もあった。
人間に造られたロボットが人間よりも賢くなって、人間を滅ぼす話だ。
タローは、おそらく数百年前には死んでいる作者に文句を言いたくなった。
アビゲイルも、そしておそらくはカイザーも、賢さという点ではタローのような人間よりもずっと上だ。
それは厳然たる事実。
しかし、人間を支配しよう、人間を滅ぼそうなどと考える訳がない。
そんな物語が多いのは、ロボットに人間の姿を投影しているからだ。
ロボットの心は人間とは違う。
人間よりもずっと高度な知性を持っているのに、人を蔑むという概念が無い。
それどころか憎しみも、嫉妬もない。
人を守るためなら、自分を犠牲にする事も躊躇しない。
ロボットの最大の苦痛は、人間に有利すぎる三原則からの逸脱。
何を考えているのか、人間には理解できないとタローは思う。
「だってそうだろう」
三原則を思い出す。
第一条。ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、危険を看過する事で人間に危害を及ぼしてはならない。
タローには、いきなり無理だった。
「だってぼくは……例の三人組を、棒きれで殴ってでもアビゲイルを取り返すつもりだ。それに、できることなら。カイザーにそんな命令をした人も殴ってやりたいよ。あのお兄さんみたいにはなれない」
(※作者注 計算に誤りがありましたら、速やかに訂正しますのでお知らせください)
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