第31話 崩壊

 終わりは突然訪れた。


 真理亜は総也を抱きかかえて自室に戻った後、手早く自身と総也の服をはぎ取ってシャワーを浴びる。

 鼻歌を歌いながら互いの身体を洗い清め、総也と自身にバスローブを着せ、総也が目を覚ますのを、彼に膝枕をしながら待っていた。

 ちなみに、自室の場所は変わっている。

 以前に大暴れした時の部屋は掃除をして更地になっており、今は屋敷の別の部屋を寝室として使っていたのだった。


 総也の髪を優しく梳きながら、温かい視線で彼を見守っていると、やがて総也は眼を覚ました。


「あ……♪ ダーリン、おはようございます♪」

「……」


 ちなみに、今はもうレイプを始めた日の翌日の午後だ。

 彼らは丸一日近くセックスに勤しんで疲れ果て、総也はその後もしばらくの間、眼を覚まさなかった。


「……」


 総也はチラッと頭上の真理亜を見遣ると、身体を起こす。

 そして、ベッドの端に腰掛け、真理亜に対して背を向けながら言った。


「別れよう」


 と――。


 しばしの間、無言の時が流れた。

 真理亜は、突然の言葉に眼をぱちくりと瞬きさせる。

 じっと総也のことを見つめながら、真理亜はゆっくりと首を傾げた。


「……あの? よく聞こえなかったので、もう一度仰って――」

「別れよう。俺たちは、もう終わりだ」


 また、無言の時が流れた。

 やがて、総也はその重苦しい空気に耐え切れなくなったかのように立ち上がり、メイドが畳んだのだろう、自分の制服の方に手を伸ばした――。


「ま、待って!」


 そんな総也に、真理亜は後ろから縋りつく。

 後ろから抱き着く。


「ねぇ、待って! 何を言ってるの? うそ……冗談、でしょ……?」


 真理亜は必死な声音で訴えかけながら、総也に縋りつく。

 ベッドを立ち上がった総也の腰に真理亜は縋りつきながら、うそ、うそ……と小さく繰り返していた。


「こんなこと冗談でお前に言うわけないだろ……」


 どこか呆れたような、冷めたような声音で総也が返す。

 腰に縋りついた真理亜を振り払おうとはしない。

 ただ、力なく項垂れるだけだった。


「な、何が嫌だったんですか……? お願い、何でも言うこと聞くから、わたくしには何をしてもいいですから、それだけはやめ――」

「じゃあ堕ろせ」


 総也は冷酷に言った。

 その言葉に、今度こそ真理亜は言葉を失った。


「妊娠したんだろう? なら、堕ろせ。中絶しろ。お前との子どもなんか、育てられる気がしない」

「あ……あ……!」


 真理亜は、口をパクパクと開閉させながら、小さく声を漏らし続けた。

 総也のその言葉は、真理亜の精神を破壊するのに十分すぎた。

 ――長い、沈黙の時が流れる。


「……」

「……」


 そのままの体勢のまま、長い時が流れる。

 やがて、口を先に開いたのは総也の方だった。


「別に両方でもいいぞ? むしろ、俺としてはそっちの方が助かる。お前とは別れる。腹ん中のガキにも死んでもらう。俺としては願ったりかなったりだ」

「――む」


 総也の冷酷な言葉に、真理亜は何やら小さく呟いた。

 総也は、黙って真理亜の言葉に耳を傾ける。


「ぜったい、産む……」


 真理亜は、総也の背中に顔を押し付けながら、はらはらと涙を流していた。

 それは、苦渋の選択だった。

 総也と別れて赤ちゃんを産むか、総也との関係を続けながら赤ちゃんを殺すか。

 その2択を迫られて、真理亜は前者を選んだ。

 苦渋の選択だった。


「なら、俺とは別れるってことだな? もちろん、婚約も解消だ。金はあるだろうが、もし養育費が必要ならいくらでも金は出す。だから、お前ひとりでガキは育てろ」


 その言葉に、背中に押し付けられていた真理亜の顔が縦に動く。

 どうやら、無言で頷いたようだった。

 それを感知した総也は、優しく真理亜の腕を振りほどいて、畳まれた制服と靴を手に取った。

 そして、部屋を出ていく。


 ガチャリ。


 部屋のドアが閉じた。

 後に残されたのは真理亜ただ1人だった。

 真理亜は、ベッドの上に跪いたまま、嗚咽を漏らし続けた。


「ああ、あああ、ああああああっ!?」


 滂沱の涙を流しながら、真理亜は慟哭した。

 その嗚咽は、いつまでも続いていた……。


 総也は、制服をその手に持ったまま、ドアの外で立ち尽くしていた。

 真理亜の寝室の中からは、慟哭が聞こえてきた。

 その声に、総也の頬にも幾筋もの涙が流れる。


「っ……!」


 愛していた。

 否、今でも真理亜のことは愛している。

 今だって、今すぐにでも部屋に入って彼女のことを抱き締めたい。


 だが、最早総也は限界だった。

 真理亜は、超えてはならない一線を越えてしまった。

 あろうことか、未来に犯されてレイプにトラウマを持った総也のことを、レイプ被害を経験したことのある真理亜がレイプしたのだ。

 総也の精神が、それに耐えられるはずがなかった。

 真理亜との関係を続けるなら、その影はいつまでも2人の間に付き纏う。

 総也はそれに耐えながら、真理亜との関係を続けられる自信などなかった。


 やがて、しばらく真理亜の部屋の前で立ち尽くしていた後、総也はよろよろと歩き出した。

 そして、手近な部屋に入ってバスローブを脱ぎ、制服に袖を通した。

 部屋を出て、そこらを歩いていたメイドにバスローブを押し付ける。


 メイドは、心配そうな顔で総也を見つめた。

 それに対して、総也は言葉なく首を横に振る。

 それを見て、メイドは悲しそうに……しかし、力なく項垂れた。


 総也が外に向けて歩く。

 チラッと、自分が犯された大広間を見遣り、そのまま素通りしようとして、その中にいた影に気づき二度見する。


「玲奈……」


 メイドが出したのであろう紅茶に口を付けながら、玲奈はテーブルに着席していた。

 総也が声をかけると、彼女は顔を上げて総也の方を見る。


「あら、兄さん。お楽しみの時間は終わったのかしら? ――って、どうしたの、その顔ッ!?」


 玲奈は最初、軽い口調で総也を揶揄してみせたが、すぐに総也のその尋常ならざる様子に声の調子を変えた。

 総也の顔色は真っ青だった。

 目の下には隈が現れ、頬は涙に濡れており、そしてどこかその頬はこけているように見えた。

 たった1日会わない間に、総也はまるで10年は老け込んだかのように見えた。

 それに気づかない玲奈じゃない。


「……」


 総也は何も言い返せない。

 玲奈は乱暴に立ち上がると、彼の方にやってきた。

 そして、総也の肩を掴む。


「どうしたのっ!? 大丈夫!? いや、大丈夫なわけないか。何があったの!?」


 肩を掴んで、玲奈は総也のことをガクガクと揺さぶる。

 総也は、それに対してされるがままだったが、やがて口を開いた。


「真理亜に、レイプされた。未来に引き続いて2回目だ。……ははっ。やってられるかよ……」

「兄さん……」


 総也の言葉に、玲奈は手を止めてガックリと項垂れる。

 玲奈は、事の重大さに気づかなかった己の不手際を呪った。

 彼女は、てっきり総也が学園に通うことも忘れて真理亜とのセックスにしけこんでいるものとばかり思い込んでいたのだった。

 だから、こうして放課後、真理亜の家に迎えに来こそすれ、のんびり紅茶を楽しむ余裕があった。

 実際は、玲奈は紅茶を嗜んでいる場合などではなかったし、そもそも呑気に学園になぞ行ってる場合ではなかったのだ。

 彼女は、すぐにでも義兄のことを助けにいかなければならなかった。

 それを、怠った。


「兄さん……」


 同じく、力なく項垂れた総也のことを見上げ、玲奈は彼に声をかける。

 遅きに失した。

 最早手遅れだろう。

 彼らの関係は完膚なきまでに崩壊した後だった。


「それで……来音さんは……?」


 だが、聞かずにもいられない。

 2人の婚約の今後に関わる重大事だ。

 場合によっては、玲奈が2つの家の間を取り持たなければならなかった。


「婚約は解消だ。当然、真理亜とも別れる。……真理亜曰く、そん時のことでどうやらあいつは妊娠したらしい。分かるんだそうだ。……彼女は、1人で子どもを育てると言っている」

「……」


 総也の告げた言葉に、玲奈は返す言葉もない。

 玲奈は項垂れ、そのまま無言の時が流れた。


「帰るぞ」

「うん……」


 総也が先導する。

 玲奈がその後を、とぼとぼと続いた。

 だが――。


「お待ちください!!」


 玄関に向かおうとしたところで、総也たちを呼び止める声がある。

 聞き覚えのある声だ。

 確か、真理亜付きのメイドのはるかだったか。


「何の御用ですか?」


 総也が、慇懃無礼に問い返す。

 総也の尋常ならざる雰囲気に一瞬気圧されつつも、遥は続けた。


「お願いします、総也さま。どうか、どうかお嬢様が働いたご無礼をお許しいただきたいのです!」


 その言葉に、総也は自嘲気味に笑ってみせる。


「許せるのでしたら、こんなことにはなっていませんよ……」

「分かっております。ですが、どうか、いくら時間がかかってもよいですから、いつかはお嬢様のことをお許しいただきたいのです。その場合は、お嬢様との仲は、僭越ながら私が仲介させていただきます」


 総也は、その暗い笑みを浮かべたまま続けた。


「お心はたいへん嬉しいです。僕としても、そんな日がやってくることを願っています」


 そして、総也は踵を返した。

 玲奈が小さく遥に礼をしつつ、総也に続く。

 遥は、そんな総也に深く、深くお辞儀をした。


 総也たちは、来音邸を辞した。

 もう、二度とここには訪れないという心持ちで――。


********************


 次の日、真理亜は学園に来なかった。

 その次の日も、真理亜は学園に来なかった。

 そして、明くる週の月曜日、高田先生から真理亜が休学をしたという旨がクラスの皆に伝えられた。

 その時、クラス全員の非難の目線が総也に集中したことは想像に難くない。

 真理亜の休学の原因が総也との関係にあることは、容易に想像できることだったからだ。

 それに対して、総也は憮然としていた。

 あんなこと釈明するわけにはいかないし、釈明する気もなかったからだ。


 そして、2人の関係は修復されないまま2ヶ月の時が経とうとしていた。

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