午前三時の小さな冒険

世楽 八九郎

うまくできない私達の(前編)

 気づけば時刻は午前一時半。

 ヘッドフォンを外す。好きなアーティストから流行りものまで、うんざりしちゃうほど聞いた。

 籠った熱気を逃がそうと伸ばした髪を振るう。

「……寝れない」

 私は大学生になってから二度目のゴールデンウィークを帰省先で過ごしている。

 なのに物凄く落ち着かない気分。


 私は春川桜子。この家の一人娘。最近二十歳になった。

 この家は春川さんち。私含め三人の春川さんが居る。私とお父さんと母の三人。

 お父さんの春川歴は年齢とイコール。

 私は十年とちょっと。両親が離婚してママと暮らして、お別れをした。そしてお父さんとまた一緒に暮らすことになり、それから大学生になって普段は一人暮らし。

 一時はぎこちなかったけど、たぶんお父さんとの仲は良いと思う。たまに空白期間を埋めようと思うのか、ぐいぐい来るのはホントにやめて欲しいけど。

 閑話休題。

 そして母。彼女の春川歴はまだ一年に満たない。

 春川宮子(旧姓は佐々木)さんはお父さんの会社の人で、交際約三年を経て去年めでたくゴールインした。

 結婚式はこじんまりとしたものだった。ウエディングドレス姿の宮子さんはキレイでとても嬉しそうだった。初めて会ったときの印象が普通の人だったから、意外だった。まるで別人みたい。キレイな姿も、はしゃいだ笑顔も。

 そんなことを思いながら私は一生懸命しゃんとして、親戚の人達と一人だけ出席していたお父さんの会社の人にお辞儀をして回った。やけに皆、私のことを褒めていた。ぼぉっとしちゃいけないと思っていただけなんだけど、大人はこういう場面だと大袈裟だ。私は健気な娘さんなんて思われるようなドラマチックな人間じゃない。

 お父さんの上司だという人は少し話してからもの凄く丁寧にお辞儀をしてくれた。うまく言えないけど、とんでもなく敬意を払われたって感じだった。

 そんな結婚式が終わって、お父さんは人に恵まれているなぁ、なんて色気のない感想が浮かんだのは私らしい。

 こうして春川さんちは三人家族になった。


 そんなことを思い出していたら、知らないうちに自分の喉を撫でていた。

「うーん」

 考えはまとまらないし、気分は落ち着かないまま。お腹も少し重たい。

「……食べ過ぎてないはず、なんだけど」

 宮子さんの料理は美味しいけど、味付けがちょっと辛くて脂っこい。なんか男らしいの。見た目も性格もそんな感じじゃないのに。お父さんはビールに合うなぁ、と言って喜んで食べてたけど。

「のど乾いた」

 寝る前に水を飲もうと思って自室から静かに廊下へ出た。スマホで足元を照らしてそろり、そろりと進む。お父さんと一緒に住み始めた頃はよくこうやって足音を殺して歩いたなぁ。

「……変わんないじゃん」

 でも、仕方ない。目標は台所。たどり着くには二人の寝室の横を通らないといけない。今更だけど気まずいよ。

 そんなこと今更でしょう桜子、と悪い私が囁く。だったらいっそ、普通に歩く?

 寝ていたら迷惑じゃない桜子、と真っ当な私が告げる。それもそうだ。当てつけみたいな感じは良くない。

 そんな葛藤の最中、衣擦れのような音が聞こえた、気がした。

「‼」

 息を止め、身をかがめて廊下に張り付く。スマホをお腹に押し当て(胸に当てても漏れるから)光を遮る。これで寝ぼけたお父さんの眼ぐらいは誤魔化せる。それでも念のため、じりじりと後退する。

「…………」

 気のせいか。それとも寝相? スマホで時間を確認する。午前一時四十三分。

「……ムカつく」

 なんで私がびくびくしなくちゃいけないわけ? こんな時間だ。普通でいいよ。

 そう思って背筋を伸ばしてもう一度台所を目指して一歩を踏み出す。第一歩は私のイメージより随分ゆっくりと静かだった。

「もう……」

 私のやることってこうなることが多いなあ。

 じりじりする気持ちを抑えて、ゆっくりとフローリングの廊下を進む。問題の寝室も通過した。緊張が解けてきたみたいで体も軽くなった気分。うん、これでいい。

「すべすべだ」

 台所まであと少しのところで、ふと違和感に気づいた。なぞる様に歩いてきたこの廊下には塵一つなかった。お父さんと二人で暮らしてたときは掃除と洗濯は私がしていた(お父さんはゴミ出し担当)からわかる。宮子さんはとても丁寧に掃除をするみたい。

 それとも私が帰ってくるから?

「……すべすべ」

 

「ふぅ……」

 こくり、こくりと喉を鳴らしてからグラスをシンクにそっと置く。シンクも廊下と同じように綺麗だ。ビールの缶が上下逆の状態で整列させられていた。お父さんは空き缶に水を注ぐまではするけど(私があれが寄ってくるからやめてってキレたから)そこから先はやらない。

 逆さになった星のラベルが正面を向いて並んでいる光景を見て、ふと気になって近くの棚を開いてみた。

「やっぱり」

 収納スペースの一角に酒瓶が十本ほど並んでいた。不揃いな形のお酒の瓶はそれでもきちんと整列されていて、どれも正面を向いていた。宮子さんは普段から家のことをちゃんとしているみたいだ。それも結構きっちりと。お仕事は続けているって聞いたけど。

「……あった」

 私はそのなかの一本に手を伸ばす。山吹色のラベルはすぐに見つかる。ママと暮らしたアパートにもあったキレイな緑色の瓶のお酒。触れるとつるつるして固くて、やっぱりキレイな色だ。

 もっと触っていたくて私は酒瓶を手にしたまま、棚を閉じた。部屋に帰ろうとしたときに、シンクのグラスが目に留まった。

「いい、よね……?」

 誰にでもなく確認をして、返事も待たずにグラスを手に取って私は部屋に戻った。たぶん来たときよりもずっと普通の足取りで。

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