五章~奇譚灰の章壱話

 己が元々暮らしていたのは、さびれた村と栄えるであろう小さな町に挟まれたとある山のなかにある泉。花の祝福を得意とする女神がおり、よく話をしたものよ。しかし、ある時その女神──桃葉様がのぉ、奇特なことを言い出したんじゃ。

「麓の村にも町にも妾好みの男がおらんからな、妾は新しい場所へと移ろうと思う」

 いきなりじゃった。泉のなかで寛いでおった己の前に立ちいきなりそう言い出した桃葉様……ああ、慣れんのぉこの呼び名。先代様で良いかの。まぁ呼び名なんぞなんでも良いかの。とにかく、先代様が自分の山を棄てると話しだした。

「そんな理由で山を棄てるのかや」

「神は奔放だからな。大丈夫だ。次代を見つけ、育成してから去ることとする」

「そうして貰わねば困るのぉ」

「お前が妾の代わりに次代になっても良いのだぞ、水神よ」

「勿体ない言葉じゃわ。じゃが、己はただのなんの変哲もない大蛇のあやかし。そんな大蛇に山を任せられぬじゃろ」

 先代様の話す「水神」という言葉。それは己をこの地に縛る呪いと同義のものじゃった。


 己はただの大蛇の妖。なんの変哲もない、ただの蛇。確かに泉を住み処にしておったし、山に足を運ぶ人間たちとも水辺で顔を合わせておった。じゃが、己はただの妖。ただの大蛇。それなのに、何故かはわからぬが気が付いた頃には人間たちは己を「水神」と祭り始めた。己が大蛇であり、常に泉で暮らしていたからという単純な理由なのだと、後に知った。

「……こんなじじいが、水神とはの。人間とはほんに酔狂な」

 干ばつに苦しむ人間は己に懇願した。水神ならば恵みをと。己の妖術では出来かねると話しても聞く耳を持たず、懇願は続けられた。

「生け贄が必要ならば献上致します。お願い致します水神様……どうか、どうかお恵みを」

 日々、人間は己に懇願する。どうにも出来ないのに願われていては、流石の己も苛立ちを隠せずにおった。そんな己の苛立ちを、生け贄を欲しているものと勘違いした人間たちは若いおなごを己に生け贄として差し出した。いらんと何度話そうとも、差し出した。

「……いらんと話しておるのに」

 しかし、人間たちは来る日も来る日も生け贄を差し出してきた。そんな日々の苛立ちと、純血の妖の血の影響か……いや、それはただの言い訳じゃな。己の欲望のままに数人喰った。本能のままに、ただただその血肉を己のものとした。

「水神様……私はどうなっても構いません。どうか、お恵みを……」

 その日も、小さく震えながら己の前に差し出された人間がおった。この人間は、麓の村の孤児じゃな。しかし、こやつ。

「お主、男じゃろうに。どうしたんじゃ、おなごの格好をさせられて」

「……っ……すみ、ません……水神様は、若い女性しか口にしないと聞いており……」

「なんじゃそれは。己が若いおなごしか喰わぬ変質的な好みと思われておるのは癪に障るのぉ」

「申し訳ありません……」

「お主が謝ることではないわ。して、何故お主が生け贄となった」

「それは……」

 孤児の少年は語った。村は貧困にも悩まされており、食いぶちを少しでも減らしたいと願った者共が村に暮らす孤児を生け贄にと己に差し出していたということを。

「なるほどのぉ……己は屑入れと同じ扱いか」

「……そうなります」

「っくっくっく……正直な男じゃのぉ。面白い、のぉ……お主さえ良ければ──」

 それから、その少年を側仕えにした。暫しの間だけの側仕えに。側仕えといっても、やることはもっぱら己の話し相手。ただただ己の長話を聞くだけの存在。じゃが、少年はいつも楽しそうに話を聞いてくれる。己はそれが嬉しくて、また話す。それを聞いてもらう。そんな日々が続いた。

 側仕えにと少年を任命してから早数ヶ月。己には村の干ばつも、貧困もどうにもならない。しかし少年に。少年を育てた村に感謝を示したく思うようになった。故に先代様にそれとなく伝えると作物の実りを良くしてくれた。水は山から引けばなんとかなり、そうしてみるみるうちに豊作へ。たった数年の間に、村は元どおり……いや、それ以上に豊かなものへと変貌した。

「ありがとうございます、水神様。これで村の皆が救われます」

「己は山神様に伝えただけじゃ。なーんもしとらんわい」

「いえ……僕は山神様には会えませんし、水神様から伝えてくれたから救われたのです。感謝してもしきれません」

 山神様に会えない……とな。こやつには信仰心があるのに……まぁ、気まぐれな女神じゃからのぉ、姿を現すのも気分次第のようじゃしの。

「して、お主はいつまで己の側仕えをしておる。山神様のおかげで村はもう飢餓に苦しんではおらぬし……村に帰らぬのか。何年も側仕えをしておるがもう良いぞ、帰っても」

「えっ……いっ、いえっ! 僕はまだ、水神様の側仕えをさせていただきます」

「なにゆえ、まだ続けるんじゃ……暫しの間と側仕えに任命した時に話したじゃろ。それに、己は知っておるぞ。お主、村に住む鬼族の娘に惚れておるのじゃろ? こんな山のなかにいたら距離も縮められんぞ」

 という、己の言葉に少年は顔を真っ赤に染めおった。

「うえっ……な、なんで水神様がそれをご存知なんですか」

「見てればわかるわい。なぁ、お主。気持ちは思っているだけでは意味がないぞ。伝えねば相手には伝わらぬ。言霊の力を舐めるでないわ」

「そ、それはわかってます。ですが、こう……種族も違うし」

「種族間? そんな些細なもの、特になんの問題もないじゃろ。今は人間も鬼族も妖も共に暮らしておるのじゃから」

 人間と鬼族。鬼族と妖。妖と人間。そういった番いは珍しくない。なにを悩んでおるのか、全く。

「ん? おお、あの娘が来たわい。ほれほれ、こんなじじいの相手は良いからはよ惚れた女のもとへ行け。そして伝えてこんかい……玉砕した時には慰めてやらなくもないからの」

「玉砕とか不吉なこと言わないでくださいっ! うう、い……いってきますっ!」

 仕方ないから背を押してやった。すると少年は気合いを入れ直したのか、普段よりも凛々しい顔つきに。さてはて、どうなる事かの。と思ったが、きっと上手くいくはずじゃ。あの鬼族の娘もあの少年を意識しておる。


 そしてあれから数ヶ月。目の前には頭を下げておる少年と、後ろに控えておる鬼族の娘。

「……水神様。いえ、灰里かいり様……明日で、僕は灰里様の側仕えを辞めさせていただきます」

「良かったのぉ、とうとう身を固めるんじゃろ? あの時に己がお主の背を押さねばそうならんかったぞ、感謝せい」

「はい。感謝してもしきれません……本当に、ありがとうございます。灰里様」

「っくっくっく……構わん構わん。ただ、寂しくはなるのぉ……お主と数年共におったからかの、独りになるのは寂しく思う……歳かのぉ」

「な、ならば彼女とともに山のなかで暮らしていきましょうか。そうすれば、灰里様と共にいられます」

 しかし、己は少年の提案を断った。村や町で暮らした方が、確実に良い。将来的に子もいるはず。そうなれば山のなかでは大変じゃろう。良いんじゃ、己は妖で神。対して人間と鬼族。寿命の違いがあり、いつか必ず死別する。ならば、別れは早い方が良い。

「ありがとうな、少年。お主のおかげで数年間楽しかったぞ」

「……身に余るお言葉、恐悦至極にございます。灰里様……」

「じゃが、たまには顔を出しておくれ。己とお主の仲じゃろう?」

「あ……そ、その……申し訳ありません……実は──」

 少年は、嫁となる鬼族の娘が生まれ育った集落に移り住むと細々と話し始めた。その場所は、今いる場所からは遠い。ああ、もう会えなくなるのか……ほんに、寂しくなるの。

「灰里様、申し訳ございません」

「母が、家に戻れと五月蝿くて……」

 そういえば、この娘は鬼族の長の娘じゃったの。つまりは、跡継ぎという事か。大変じゃのぉ。

「本来なら、あのまま灰里様の側仕えとして暮らしていきたかったのですが……」

「……阿呆。気にするでない、これもまた摂理。それに己の側仕えは一銭にもならんし、いつかは必ず辞めておったじゃろうしな。それよりも……お主は今、幸せか」

「え?」

「幸せかと、問うておる」

「もっ、勿論幸せですっ!」

「それはそうじゃろ。祝言をあげるというのに不幸なわけなかろうに」

 そうか、ならば良い。己は己の周りにいる者が幸せならば、それで良い。周りにいる者が幸せならば、己も幸せじゃ。

 それが例え、己がどんなに傷付いても……悲しくて、寂しくても。己が幸せになってもらいたい者が幸せならば、それで……良い。

「……最後に、祝福を与えようかの。己が祝福を与えるのは珍しいものじゃ、感謝せい」

「身に余る光栄です……」

「涙ぐむでないわ。己の祝福なんぞ、山神様のものに比べたらなんてことのないものじゃぞ」

「そんな事ありません。僕にとっての神様は、灰里様だけですので」

「……そうかえ」

 悪い気はしないの、こうして想われるというのは。己の祝福は、なんてことはない。水害に見舞われぬという、そんな簡素なもの。それでも、涙ぐみながら己の祝福を受けてくれるこの少年。そんな少年が選んだ娘。二人には、誰よりも幸せになってもらいたいものじゃ。

「……おめでとう、少年」


 そうして、少年と娘を見送ってから時が経った頃。己は退屈で仕方なかった。人間たちは村が潤い足をあまり運ばなくなり、山神様は次代を見つけるため奔走している。山のなかにいる妖たちは山の主が代わると知り、これからどう生きていくべきかという相談はしてくるがそれが終わればすぐにそれぞれの縄張りへと帰っていく。

「つまらぬ……退屈じゃ。面白い事はないかのぉ……己の話を聞いてくれる存在は、いないかのぉ」

 本来ならば、妖としての寿命はとっくに過ぎていたが己は人間達により神と同等となっている。

 半身は妖で、半身は神という歪な存在になった。故に寿命という概念は己からは消え、長い永い時間をただただ呆けて過ごすだけの日々が増えた。そんな事をしていただけだというのに、山に住む妖達からはまるで頭領のように扱われ、畏敬の存在となってしまっておった。

「……ただの長生きなだけのじじいじゃよ、己は……」

 そんな愚痴ともいえる言葉さえもぶつける相手がいない。独り寂しく、しかしそれを察せられぬように日々を過ごすしか出来んかった。つまらん、つまらぬ……軽口を叩く相手が欲しい。ただただ話す相手が欲しい。人間でも鬼族でも妖でも神でも何でも良い。欲しい、欲しい──


「大蛇よ、見てくれ! ようやく次代を見つけた。こやつを育て上げたら妾はここから出ていく。百年くらいはかかるやもしれんがな!」

 独りを悲しく寂しく思い、泉のなかで塞ぎ混んでいた頃。先代様が鼻をならしながら泉まで来おった。その足元には、小さな少年のような人影が一つ。

「そやつは……」

「お前がいるこの泉の近くで呆けていたぞ。知らぬのか」

「……すまんのぉ。数年はもう、泉のなかで……永い時を嘆いておっての。気付かなんだ」

「大蛇、お前……側仕えだったあの人間がいなくなってから暗いぞ。大丈夫か?」

 先代様からの問いに、己は肯定も否定もせんかった。大丈夫といえば大丈夫だった。大丈夫でないといえば大丈夫ではなかった。自分の事なのに、わからなかった。

「……まぁ、良い。大蛇……いや灰里。お前もこいつの育成を手伝え。知識だけならば妾よりもお前の方が上だ。こやつにお前の知識を教えてやれ、たくさんたくさん話をしてやってくれないか」

「己の知識を……話す?」

「そうだ。こやつはあまり物事を知らぬからな。おい、妾だけでなくこの大蛇からも色々教われ」

「……だいじゃ?」

「人の姿をしておるが、こやつは大蛇の妖。そして半身は水神だ。妾よりも知識は深い、たくさん学ばせてもらえ」

「わかった。だいじゃ、よろしくたのむぞ!」

 先代様のような、不遜な態度の子どもは己の前に姿を現した。白髪はくはつの髪を伸ばし放題にしたその姿は小さいながらにどこか浮世離れしているようにも感じる。

「……じじいの長話に付き合ってくれるのかや? 童よ」

「わらべとかいうな! おれにはおししょうがつけてくれたなまえがあるんだっ!」

「そうかそうか。ならば名乗れ童よ、じじいに聞かせておくれ。お主の名を」

「おれは──」


 それが、ちびすけ。いや、白露との出会いだった──

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