五章~緋の章肆話

 どれ程の時が経っただろう。いや、きっとそれほど経ってはいない。灰里はあれから思案するようになにも言わずに目を伏せている。俺も、こみ上げるものを我慢するだけ。雨音だけが響く静寂のなか、俺も灰里もただただ黙っていた。しかし、そんな静寂を破ったのはやはり灰里の一言。

「のぉ、鬼の男。己は思う。お主はほんに、父君を喰らったのかや?」

「……どういう意味だ」

「父君が亡くなった時。お主は幾つじゃった」

「……幾つ……」

 あれは、確か……母が黄月を身籠っていた頃。つまり──

「物心つく頃だったはずだ……だから、正直に話すと記憶があやふやな所もある」

「ふぅむ。ならば、記憶違いもありえるかの」

「そうかもしれない」

 はっきりとは、覚えていない。父が亡くなったことは覚えている。母が泣き崩れていたのも覚えている。だが、他は……思い返すと、母は本当に喰らっていただろうか。そう見えただけなのでは。しかし、ならば……なぜ胸騒ぎがするのだろうか。

「のぉ、鬼の男や。お主、幼少の頃からそのような空気を纏っておるのか?」

「……いきなり、なんだ。どういう意味だ」

「気になったらすぐに、が己の信条じゃ。お主のその冷めた……というと言葉が悪いかの。心を閉ざしておるかのような、その物言い。ずっとそうかのかや?」

 ああ、やはり言われるものなのだな。

「幼い頃からこのままだ。どうにもこういった物言いになる……話し方が高圧的に聞こえ、声に抑揚もないので相手に誤解を与える。気を付けろと黒紅に幼い頃から言われている。灰里にも圧をかけていたのなら、すまない」

「いんやぁ、己は気にしとらん。数百年生きておる故にお主のような者とも話したことは多々あるからのぉ……それにしても。誰じゃ、黒紅というのは」

「先の話に出ていた、長の孫だ」

「ほぉ、成る程のぉ。幼馴染みというものじゃな」

「……そう、だな」

 黒紅とは、物心ついた頃にはもう仲良くしていた。他に同年代の同胞もいなかったから自然だったもの。しかし、よくこんなに長く良くしているものだ。二十年は、共にいる。

「良いのぉ、良いのぉ。己にはそういった存在はおらんからの、羨ましい限りじゃわい」

「……いないのか」

「おるわけなかろうに。妖の寿命は長くとも……三百、四百年が限度じゃよ。同じように生まれてきた仲間の妖たちは気の遠くなるほど昔に命尽きておる。それに……妖はあまり群れないからのぉ……」

「群れない、ものなのか」

「人間や鬼族は群れ、集落を作るが妖はせんわ。例えば……この山に住むとするとのぉ、同じ山のなかで住みはする。じゃが、互いの領域を絶対に汚さない。そういうものなんじゃよ」

 寂しい。何故だかそう感じた。妖は個々で過ごすということは……鬼族は妖から派生した種族だが、普段の生活は人間のようなのか。わからないものだ、これではどちらから派生したものなのか。

「鬼の男。お主は自身の感情の起伏がわかるか、自身の欲はわかるか。自身の……心はわかるか?」

「急になんだ。俺は確かに感情の起伏はほとんどなく、心無いように見えるだろうがそれくらいは理解している」

「そうかえ。なら質問を変えようかの。お主、度々記憶がないことはないかえ? そうじゃなぁ……朝、目を覚ますと覚えのないことが起きている……なんてことはないかや?」

 どくん、と心臓が跳ねた。そう感じた。見透かされているのか、それとも試されているのか。はたまた、思いつきで話しているだけなのか。目の前の灰里は薄ら笑いを浮かべるばかりでなにもわからない。

「反応としては、あるんじゃなぁ。なにか思い当たることが」

「……っ……」

 答えようが、答えまいが灰里にはなにかがわかっているようだ。聞かれた側である俺には、わからないままだというのに。

「混血は大変じゃの、もう一人が己のなかにおる故に制御せんとうまく生きられんじゃろ」

「……制御、だと」

「そうじゃろう? お主は見た目は確かに鬼族のそれじゃが、内面は人間のよう……故に、制御せんとなぁ……血に狂う鬼族の面は」

「灰里は……いったい、なにを……言っているんだ」

「混じった血は、どちらかに偏る。普段のお主は人間の生き血や肉には興味を持たぬじゃろ。それは人間と同等の血がお主をそうさせておるからじゃ。じゃがの、そういった抑圧が流れているもうひとつの血……鬼族の根深い、本来ならば気付かんであろう欲求を呼んでしまった」

 どくん、どくんと相変わらず心臓が五月蝿い。灰里の話はこのまま聞いていいものなのか、聞いてはいけないものなのか。いや、聞かなければならない。自分の知らない事は、知るべきだ。知らずとも良いこともあるが、自分に関係するのなら聞かなくてはならない。

 それが、どんなに酷な内容だとしても。

「気付かないであろう……欲求、とは」

「お主は聡い。本当はわかっておるのじゃろう? 【人喰い】じゃよ」

「……そうか」

「っくっくっく。ほんに面白いやつじゃのぉ、お主は」

 なにが面白いのかはわからないが、それを聞けばまた長くなる。いつかまた聞けば良い。それよりも、灰里こいつに聞かなければならない。

「灰里、はぐらかさずに答えてほしい。一度でも人間の血肉を口にした鬼族は、もう【人喰い鬼】となるのか。集落でも聞いたことはない。長からも、聞いたことがない」

「それは集落には人間の血肉を喰らった者がおらんかったからじゃろ。長らのことはわからんが……己の見込みとしては、鬼族にとって【人喰い鬼】という言葉が禁忌じゃから、かの」

「禁忌……」

「人間も鬼族も妖も、神ものぉ……駄目だと言われたことはしたくなる。そういう風に出来ておるんじゃ。他種族の血肉を喰らってはいけない、と言われると気になるじゃろ。なんでなのか、とのぉ」

 知識を得たいというのは、どの種族にもあるからの。と灰里は笑っている。知らないことを知りたいと思うのは確かに自然。だが、同時に知ればそれは……終わりを告げるのと同義。

「まぁ、己としてはお主がほんに父君を喰らったのか。人間の血肉への欲求が強いのか。あの娘子を喰らおうとしておるのか。それらを知りたいだけじゃ。はよぉ答えてくれ、鬼の男……青天や」

「……俺は──」

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