四章~壱話

 窓から差し込む朝陽が反射し、煌めくような翠の目の男性はふわりとした笑みを携えながら朱音の近くへと一歩、また一歩と近付いてくる。そんな男性を、朱音は緊張と好奇心、恐怖。そんな、多くの感情を胸に抱きながらただただ見惚れるばかり。

「おや、私の顔になにかついているかな」

「えっ? あ、いやっ……えっと……」

「旦那の目の色が気になってるみてぇだよ、その嬢ちゃんは」

「目の色? ああ……珍しいからね。私の目の色は。変に思うよね」

 困ったように眉を下げ笑う男性に、朱音は「違うんです!」と普段より大きめの声を上げる。

「違う? おや……君も」

「は、はい。私も……周りからしたら、その。珍しい……目の色……なので」

「確かに。君の目の色は青空のような澄んだ色だね。とても美しい」

「あ、ありがとう……ございます。その、貴方の目の色も……凄く綺麗です」

 綺麗、という言葉に男性は嬉しそうに「ありがとう」と返しながら考え事をするように瞼を閉じた。

「しかし、私以外でそのような色の目を持つ人は初めて見たよ。この国の人々はだいたい、黒や茶などのおとなしい色ばかりで私たちのような色の持ち主は少ないからね。黒紅さんのような色が普通、みたいになっているよね」

 あれ、なんで黒紅さんみたいに……ってそうか、朝陽を浴びたから黒紅さん、今は人間みたいな見た目になってるんだった。

 朱音はうっかり口に出しそうになったが我慢しながら、男性の話に同意する。

「はい。だからか、私はこの目の色で……元いた村で疎まれていました。気色の悪い人間だと。普通ではない、と……」

「……貴女は随分と頭の固い所で暮らしていたんだね。異国では、あなたのような目の色は普通なのに」

「えっ? い、異国?」

「うん。青い目は、異国では当たり前のようにたくさんいると聞くよ。貿易の関係でね、よく見かけるし」


 そんな会話は、障子で隔てられた居間の方にも聞こえていた。

「……異国……」

 一人、聞こえてきた話を考え込むかのように青天は目を伏せた。と同時に、奥の部屋へと続く障子が開けられ──

「聞き耳たてるとか、あんたなかなか趣味悪いんだね」

「……空隠か。たてていない。聞こえてきただけだ」

「ふーん。まぁいいや、そういう事にしといてあげる」

「……ああ」

「なにその面倒くさいなって反応」

 不機嫌そうに頬を膨らませる空隠とは対照的に、青天は相変わらず無表情のまま口を開く。

「……空隠。原稿用紙と……万年筆。洋墨はあるか」

「いきなりなに」

「いや。する事もなく暇なのだ。だから、少しでも仕事を進めようかと思った」

 そういえば、こいつ作家だったっけ。

 そんな風に思いながら、空隠は面倒くさそうにため息をついたあと奥の部屋から一通りの道具を全て青天の前に差し出した。

「これでいいの」

「ああ。ありがたい」

「そういえば、あんたがここに来たのって黒紅に原稿渡しに来たからだったっけ」

 まるで数日も前のようにも感じるほどだったが、実際はまだ昨日のことであり不可思議な感覚に陥るような、そんなうまく言葉に出来ない感情に青天は襲われた。

「……時間の感覚が、不思議だ」

「いきなりなに」

「いや。なんでもない。仕事をする」

「ふーん……あっそ。僕寝てるから、静かにしててよね」

「……ああ」

 欠伸を噛み殺しながら、奥の部屋へと戻る空隠を見送った青天は真っ白な原稿用紙を前に物語の続きを思案し始めた。聞こえてくる会話を、気にしながら。


「……貴方は、貿易の関係のお仕事をされてるのですか?」

「うん。舶来のものを扱うような事をしていてね。だからこの店にもよく来るんだよ。舶来の品を扱っているからね」

 店内を見回す男性は、周りに置いてある物珍しい商品たちを相手に満足そうに何度も頷いている。楽しそうにしている男性に気付かれないようにしながら朱音は黒紅の側へと近付き──

「く、黒紅さん。このお店ってちゃんとそういう取引とかされてたんですか?」

「おいそれ俺に失礼だぞ嬢ちゃん。取引とかしてるに決まってんだろ……まぁ、人間との取引より、鬼族の伝でのもんがほとんどだけど」

「……そうなんですね」

 確かに、言われてみれば村で見かけたものとは少し雰囲気の違う商品が多いと朱音は感じた。色味の明るい反物や、意匠を凝らした硝子細工。時計や化粧品など様々な商品はどれも見ていて飽きない、不思議な魅力で溢れていた。

「黒紅さんはどんな伝でこんなにも素敵な商品を手に入れているのか。毎日隙あらば聞いているのだけどね、全然教えてくれないんだよ」

「そりゃそうに決まってんだろ、旦那。せっかくの俺だけの伝なんだ。教えちまったら意味がねぇよ」

 そりゃあ、鬼族の伝だなんて教えられませんよね。人間の、お客さん相手には……。

 真実を知る朱音は、ぎこちなく笑うしか出来ない。

「……それよりも。素敵な青い目のお嬢さん」

「は、はひっ? ごめんなさいっ!」

「おや。そんなに慌てなくても大丈夫だよ? いや、今の場合は……怯えなくても、かな」

「す、すみませんっ。驚いてしまっただけです……」

 恥ずかしそうに頭を下げる朱音に対し、男性は「気にしないで」と申し訳なさそうな声をかける。

「急に話題を変えて、貴女に話しかけた私が悪かったね。ごめんね」

「いえ、私こそ……すみません。元いた村での事もあって……男性から青い目って言われると……嫌だったなっていうのを。怖いっていうのを……思い出してしまって……」

 言いながら、村での虐げられていた記憶が甦ってきた朱音は男性に気付かれないよう、小さく震える手を隠すように背中へと回した。

「そう、だったのかい……本当に、申し訳ない。揶揄され、傷付く気持ちは私も味わっているのに……気付けなくて」

「いえ……お気に、なさらないでください……私が勝手に……思い出してしまっただけですから」

「……お嬢さん。傷付けてしまったお詫びに、なにか買って上げよう。何がいいかな」

「え?」

 思ってもいなかった男性からの提案に、朱音はただただぽかんとするばかり。

「高価なものでもかまわないからね。この化粧品とか、女性は好きなのでは? ああ、でもこちらにある簪も素晴らしい。どうかな、お嬢さん」

「い、いえ……そんな。大丈夫です。買ってもらうなんておこがましい事出来ません」

「しかし、それでは私の気が済まない……なにかお詫びになるような事をさせて欲しいのだけれど」

 このままでは堂々巡りのように買ってもらうなんて、いや気が済まないからと続いてしまう。だがどうすれば良いかわからない朱音は助けを求めるように、やり取りを面白そうに観察していた黒紅に視線を送る。すると、黒紅はすぐにその視線に気付きやれやれといった雰囲気で男性の側へと近づいていき──

「おいおい旦那。無理強いする男は嫌われるぜ? つーか、名前も知らねぇ奴からなんか貰うもんも貰えねぇよ。な、嬢ちゃん」

「え? は、はい……」

「ほら、旦那。嬢ちゃんもそう言ってるだろ」

 言ってません……とは言える雰囲気でもなく、小さく頷くしか出来ない朱音を男性はなにかに納得したようにしている。

「確かに。そうだね、私としたことが自己紹介もせず……ええと。では改めて。私は山翠というんだ。皇月山翠こうげつさんすい。よろしくね」

「よ、よろしくお願いします……私は、きづっ……じゃない。えっと、ほ……蓬莱です。蓬莱朱音……です」

「蓬莱? 珍しい姓なのだね」

「そう、でしょうか……」

「まぁいいか。朱音さんと呼んでもいいかな? 私の事も、名前で呼んでくれてかまわないよ」

 あまり家の名前は好きではなくてね、と苦笑いをする男性──山翠は一瞬だけ冷たい目をしていたが、それに気付く者はいないまま。

「え、ええと。では、山翠さん……と呼んでも?」

「うん。それでは、朱音さん。これからよろしくね」

 笑顔と共に差し出された右手に、朱音も手を伸ばした。そして、軽い握手を交わすと山翠は満足そうに大きく頷き、どことなく楽しそうに鼻歌を歌い始めた。

「なんだかご機嫌ですね」

「え? ああ、そうかもしれないね。嬉しいんだよ、私と同じような珍しい目の色の人と知り合えたのが。もしかしたら、私と同じなのかなとか考えてね」

「山翠さんと……同じ?」

「うん。私の母はね、異国の女性で……だから、朱音さんももしかしたらご両親のどちらかが異国の人なんじゃないかなと。そう思ったのだけれど、どうかな?」

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