第4節 激情

 この日もまた、暑い日だった。

 日差しは刺すように強く、雲ひとつない青空、何も変わらないマルザワードの昼間だった。


 ただ違ったのは、マルザワードの街中は人気がなく静かで、最低限の見張りの騎士たちがいるだけだった。

 そして、残りの全ての住人はマルザワードの外、人族側の領域の荒野に集まっていた。


 僕『神の子』ジークフリート・フォン・バイエルンと『狂戦士』エイリーク・ゴームの決闘を見るために。


 集まった野次馬たちは、エイリークの死を願っているようで、すでに騒いでいた。

 明らかに、異常な雰囲気になっていた。


 先日出会った不思議な女性カーミラも来ていて、一人静かに佇んでいた。

 しかし、今日の僕は、カーミラが視界に入っても冷静だった。

 どうやら、完全に決闘に集中出来ているようだ。


 僕は、今では完全に相棒になった聖剣『バルムンク』とともに、聖騎士のペガサスを模した鎧に身を包んでいる。

 対するエイリークは、先日のライアン隊長との戦いで片方の角の折れた兜を被り、新しい漆黒の鎧、驚いたことに僕と同じ武器、漆黒の大剣だった。


 新しい武器防具は、傭兵ギルドマスター、コローネからの提供なのだろうか?

 二人は今、楽しそうに笑いながら話している。

しかし、他の傭兵たちは明らかに不満そうな顔をしている。


「準備はいいかい? 決闘者は前に出な!」


 立会人が声をかけると、僕たちは前に出て、お互いに向き合った。

 立会人は中立の立場になるように、この地の冒険者ギルドマスター、リリー・シェイドが務めることになった。


 この冒険者マスターは、大柄な恰幅のいい浅黒い肌の女性で、聖騎士顔負けに肝が座っている。

 竜王軍の侵攻の時にも、金等級パーティーの先頭に立ち、前線で冒険者達を率いて戦っていた。

 二人いる男女の子供も、それぞれ自分たちの銀等級パーティーを率いて、冒険者ギルドの幹部だ。

 この地の冒険者達からは、母のように慕われ、聖騎士や他のギルドからはゴッドマザーと呼ばれ、畏怖されている。

 この女傑が立会人になることに、文句を言う者は誰もいなかった。


「ウヘヘ! お前、近くで見るト、お嬢ちゃんみてえな顔してるナ!」


 エイリークは僕を見ると第一声、バカにするように笑った。

 僕は何も言わず、じっと相手を見た。

 僕自身、聖騎士の中では背の高い方なのだが、それでもエイリークは見上げるほどだ。


「ン? 何か言い返してくれヨ。盛り上がんねえダロ?」

「……あんた、剣も使えるのか?」


 僕はエイリークの挑発を無視して、疑問に思ったことを聞いてみた。

 エイリークは一瞬、キョトンとした顔をしたようだったが、漆黒の大剣をニヤリと笑いながらかざした。


「オオ? こいつカ。こいつは、コローネのジイさんが、昔魔族から奪った魔剣らしいゾ。この鎧もそうだって言ってタ。ヘッヘッヘ。実ハ、オレは剣が一番得意なんダ!」

「そうか、じゃあ僕に合わせたわけじゃないのか?」

「オウよ! これで本気の本気ダゼ! ガッハッハ!」


 エイリークはまた大声で笑った。


「あんた、もう準備はいいかい! 口喧嘩なら他所でやりな!」


 リリーは、ふざけていると思ったのか、エイリークを叱り飛ばした。

 見事な迫力だ。


「オオウ! 怖え母ちゃんダナ」


 エイリークは戯けて怖がってみせた。


「……じゃあ、始めな!」


 リリーの合図と同時に、エイリークは剣を振り下ろしてきた。

 僕はかわして、距離を取って構えた。

 そして、聖闘気を纏った。


 すでに制約の腕輪を外していたので、始めから本気だった。

 エイリークは僕の聖闘気を見ると、楽しそうに笑った。


「ガハハ! イイねえ! その闘気の密度の濃さ、力強さ、今まででやり合ったやつの中でも別格ダゼ! ウォオオオ、狂戦士化!」


 エイリークが暗黒闘気を纏うと、意外にもその場に佇んだ。

 そのまま突っ込んでくるかと思ったが、全く動こうとしなかった。


 僕は、ジリジリと距離を詰めていった。

 その時、エイリークは無造作に散歩するかのように、僕に向かって歩いてきた。

 僕はその行動に虚を突かれた。

 エイリークの一瞬の踏み込みの一太刀を、ギリギリで受け止めた。


 重い!


 僕の剣がバルムンクじゃなかったら、この一撃で剣ごと斬り伏せられていたかもしれない。


「ぐぅ!?」 


 僕は、腹に強い衝撃を受けて後ろに弾き飛ばされた。


 蹴りか!?


 体勢は崩されたが、エイリークの追撃の剣をギリギリで躱して距離をとった。


「ハーハッハッハ! どんどんイクぜ!」


 エイリークは次々と攻めてくるが、僕は全て紙一重でさばいた。

 そして、この攻めに慣れて体勢が整った時、僕もまた踏み込んで剣を返した。


 硬い!


 エイリークの魔剣とぶつかった時、かなりの業物だとわかった。

 さらに二合、三合とぶつかり、僕たちは互いに弾き飛ばされた。


 強い!


 やはりこの男、ただの粗暴な海賊ではない。

 圧倒的な体格、纏う闘気の凶暴さ、それでいてしたたかに攻めてくる。

 何より、剣の基本も出来ていて、高い次元で昇華している。


「ン? お前笑ってるのカ?」


 エイリークは僕の顔を見ると、ニヤニヤとした。

 僕は、言われてやっと、自分も笑っていることに気づいた。

 僕は本気で戦えて、戦う相手がいて、嬉しくて楽しいんだ。


 知らなかった。

 自分の本当の力を解放することが、こんなに気持ちいいことだなんて。


「ガッハッハ! 可愛い顔して、お前もただの喧嘩バカカ! イイねえ、イイだろ?

こんなに楽しいことが、この世にアルカ? 最高ダロ? もっと遊ぼうゼ!」

「ああ、そうだな!」


 僕たちは何度もぶつかり、剣を振りあった。

 地面をえぐり、いくつも岩山を消し飛ばした。


 僕たちの間には、周囲がエイリークに向ける負の感情など欠片もなかった。

 ただ単純に力をぶつけ合い、心の通いあった仲の良い子供同士のように、無邪気に笑いあった。

 決闘前に悩んでいた頭の中が、スッキリとして晴れ渡っていた。


 だが、楽しい時はいつまでも続かなかった。

 終わりの時は、いつでも無情にやってくる。


 少しずつ僕の剣がエイリークを捉え始めると、その後は一方的になった。

 最後の一撃がエイリークの鎧を破壊すると、エイリークはもう立ち上がれなかった。


 周囲は僕の勝利を確信し、大歓声を上げた。

 しかし、僕は油断すること無く、エイリークの眼前に剣をつきつけた。


「アア、どうヤラ、オレの負けだナ」


 エイリークは腹から血を流しながら小さく笑った。

 もうすでに、エイリークの闘気は消えている。


「そうだな、これで決着だ」

「ソウカ、トドメをさセ」

「いや、これ以上はもうやらないよ」


 僕の言葉にエイリークはまた笑った。


「何が可笑しいんだ?」

「道理で、可愛い顔シテルと思ってナ。決闘したことねえダロ?」

「ああ、初めてだよ。それがどうしたんだ?」

「どうダ? 楽しかったカ?」

「……ああ、そうだな。あんたが強かったから、初めて本気で楽しんだな」

「……ソウカ」


 エイリークは僕のつきつけていた剣に、自分から喉を突き刺した。


「な、何を!?」


 僕は慌てて剣を引いたが間に合わず、エイリークの首から鮮血が吹き出した。


「……オレの、決闘の流儀ハ、ゴボ。勝ったやつが、生きテ、負けたやつが、死ぬ、だけ、ダ」


 僕は戦慄して、剣を落としてしまった。


 リリーが僕の勝利を宣言すると、急いで駆け寄ってきた。

 しかし、すでに息絶えていて、エイリークの顔は満足したように笑っていた。 

 エイリークの死が確認されると、大歓声が上がった。


「何暗い顔してんだい! 勝ったあんたがしゃんとしてないと、相手に失礼だよ!」


 リリーは、呆然と立ち尽くしていた僕の背中をバンと強く叩いた。

 僕はそう言われて、背筋を正した。

 しかし、僕の手は震えていた。

 初めて人を殺したこの手に、生々しい感触が残っている。

 

 ふと、視界の隅に、聖騎士と傭兵が言い争っているのが目に入った。

 リリーは、僕がぼんやりとその様子を見ていると、渋い顔をして教えてくれた。


「アレかい? あいつら、エイリークの死体をどうするかでモメてんのさ。聖騎士たちは魔族と関わりがあるかどうか検分するっていうし、傭兵共はメンツを潰された腹いせに死体を晒すって……おい、どこ行くんだい!?」


 僕はリリーの説明を全て聞く前に、言い争っている場に歩いていっていた。


「……お前たち、何をするつもりだ?」


 僕の声は、自分でもわからないほど別人のように聞こえた。

 聖騎士たちや傭兵たちは青い顔をして黙り込んだ。


「エイリークは、エイリーク・ゴームは誇り高い人族の戦士だった。魔族じゃない。その漢をどう扱うつもりだ? 言ってみろ!」


 目の前の男たちは、僕の怒気を含んだ声に顔面蒼白になった。

 周囲の歓声を上げていた者たちも、様子がおかしいことに気づいてこっちを見た。


「今ここで宣言する! ヴァイキングの戦士エイリーク・ゴームの誇り高い死を汚す者は、このジークフリート・フォン・バイエルンの名において、絶対に許さない!」


 この僕の宣言を、意味がわからないといった感じで、ざわざわと話し合っているようだった。

 僕の腹の中で、何かが熱くこみ上げてきた。


「わかったか!」


 戦い終わって解いていた僕の聖闘気が、周囲に大きく迸った。

 そして、誰もが気圧されて黙り込んだ。

 僕は誰の返事も聞かずに、エイリークの死体を背負って、さらに荒野の奥に歩いていった。


 僕は人の姿が見えなくなると、エイリークを弔うため、一人で木を焚べていった。

 日が暮れると、僕は火をつけ、一人で自分が殺した相手の葬儀を行った。


 大きな岩の上に腰掛け、高く舞上がる炎を見上げていると、傭兵ギルドマスターのコローネがやってきた。

 コローネは、エイリークとは初めは敵対したが、その後自分の屋敷に招いたり、装備を与えたりと仲良くしていたようだった。


 僕たちは何も言わずに、静かに炎を見ているだけだった。

 そして、コローネは最後まで何も言葉を発すること無く、街へと帰っていった。


「ジークフリート様」


 僕がぼんやりと火を眺めていると、今度はカーミラがやって来た。

 揺らめく炎によって幻想的に照らされ、白いからだとは対照的に暗い影がどこまでも伸びている。


「この度の勝利、誠におめでとうございます」

「ありがとうございます」 


 僕は柔らかく微笑んだカーミラを、僕の腰掛けている岩の隣りに座るように促した。

 カーミラは静かに腰を下ろすと、僕と同じように火を眺めた。

 僕たちはしばらく黙ったままだった。


「ジークフリート様は噂に聞いていた方とは少し違いますね」


 カーミラは突然、沈黙を破った。

 僕はちらりとカーミラの方を見たが、また火に向き直り、自嘲気味に笑った。


「失望したでしょう? 僕についての物話が大げさに書かれていますが、実際にはまともに人と話もできない男です。神の子などともてはやされても、剣を振るしか能がありません」

「そのようなことはありませんよ。私は貴方様の戦う姿に深い感銘を受けました。そして、戦った相手に敬意を示す姿、その相手を侮辱しようとした相手に対する覇気のある怒り、歴戦の強者である聖騎士や傭兵ですら畏怖させる程の威圧感、貴方様は私の想像以上でした」

「買いかぶりすぎです。僕は今日一日だけで、初めてのことが多すぎて戸惑っています。初めての決闘、初めての本気の戦いの興奮、初めての腹の底からの怒り、そして……」

「初めて人を殺したこと、ですか?」


 僕はハッとしてカーミラを見た。

 カーミラは静かにじっと、僕の目を覗き込んでいた。

 僕は思わず、目をそらしてしまった。


「ええ、そうです。しかもその相手が初めて、本当の自分をさらけ出した相手、という皮肉もあります」

「ですが……」

「いえ、自分でもわかってはいます。お互いに命をかけた決闘でした。それに、僕はすでに神の敵とはいえ、魔族や獣人を殺しています。命を奪ったことについては、いずれ折り合いはつくでしょう。でも、僕が考えているのは……」


 僕はカーミラにオリヴィエの事を話した。


「そう、ですか。そのような事があったのですね」


 カーミラは話を聞いても表情が変わらず、何を考えているのかわからなかった。

 僕は、何かを言ってほしかったのかもしれない。

 出会ったばかりの相手に、何かを期待してしまうのはおかしいかもしれない。

 でも、僕はカーミラに弱音を吐き続けた。


「僕は決闘中は何も考えてはいなかったのですが、終わってから前よりも不安が大きくなってきました」

「そうですか、とても大事な方なのですね」

「ええ、唯一、友と呼べる人です。その友を助けたいけど、どうすればいいのか考えてもわからないのです。情けないですよね。幻滅しましたか?」


 カーミラは突然、僕の胸に手を当てた。

 僕は突然のことで、胸の鼓動が大きく速く鳴り出した。


「な、何を?」


 カーミラは黒い瞳が炎に照らされ、輝いているように見えた。

 雪のように白い肌の上で、暗い陰影が妖しく動いて見える。


「ジークフリート様、考えてもわからなければ、ここで感じて下さい。正しいことがわからなければ、心が、魂が導いてくれます」


 カーミラがニコリと小さく口元を綻ばせると、赤い唇が月明かりに艶かしく照らされた。

 次の瞬間、僕はカーミラを抱きしめ、口づけをしていることに気づいた。


「は! ご、ごめんなさい! 僕は何ということを!」


 僕はカーミラを離すと、パッと立ち上がって後ずさった。

 カーミラの白い頬がピンク色に染まっていた。

 そして、そんな僕を見てクスクスと小さく笑った。


「いえ、謝らないで下さい。私はとても嬉しく思います。ジークフリート様がお心に従って、私を求めてくださったのですから。 ……今のも初めてでしたか?」


 僕はカーミラの潤んだ黒い瞳を見た瞬間、もう自分を抑えることが出来なかった。

 

 僕はカーミラを求め、カーミラは僕に答えてくれた。

 僕たちは一糸まとわぬ姿になると、お互いに美しいと感嘆の声を漏らした。

 これが同時だったので、僕たちは顔を見合わせて笑った。


 僕はすでに血が滾って固くなっていたが、どうすればいいのかわからなかった。

 僕はカーミラに導かれるままに中に入り、一瞬で解き放った。


「ああ! ごめんなさい。その……」

「ん……いえ、そんなことはありませんよ。ジークフリート様であればいくらでも受け入れます。ふふ」


 僕はその言葉だけですぐに回復し、僕たちは何度も求めあった。

 僕は終わった後、全てが満たされたように心の中が穏やかだった。


 僕は母親のぬくもりを知らずに育った。

 そのせいなのかは、わからない。

 カーミラを抱きしめるだけで、生まれて初めてのよくわからない何かがこみ上げてきた。

 何もかもがわからないままだったが、心の中だけは満たされた気がした。


 僕たちはそのまま抱き合って眠り、そして夜が明けた。

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