文字を喰う

正五角形

第1章(第1回)

 植草守うえくさまもるは、自室で小説を書いていた。守の家はパソコンが無く、原稿用紙の上でペンを走らせていた。特に不便と感じることもなく、休む間もなく手を動かす。何時間経っただろうか。ふと守は顔を上げた。

 部屋は真っ暗で机上スタンドだけが守の顔を照らしていた。時刻は午前1時を指している。

 守は焦っていた。焦りともう1つ、絶望も感じていた。何としても賞を受賞しなければ——。これ以外の道はない。

 守は言葉を発することが出来なかった。それは生まれつきでも、ストレスでもなかった。ある男によって、「言葉を奪われた」と思っているが実際にはあの時の光景には自分の目を疑った。


 守が小学生の頃、家族3人で遊園地に出かけた。その遊園地は西洋を題材にしていた。石畳が敷き詰められ、小川に掛かった橋、そびえる塔、石造りの城。見るもの全てが新鮮に映った。来場者の顔も生き生きとしていた。

 乗るアトラクションを決め列に並んだ。4つのアトラクションを体験した後に、守が言った。

「パパ、トイレに行きたい」

 父親は休憩しようかと言い、トイレスペースへ向かった。人が集まっていたが、トイレの中は余裕があり、さっと済ませることができた。

 出る時に、道化師が目に止まった。立ち止まったまま首だけを守に向けた。口角が上がった、不安になるような仮面をしていた。ぞっとしたが、道化師は首を戻すとそのまま過ぎ去った。スタッフだろうか。頭をぶるぶると振るわせ、記憶の片隅へ追いやった。

 守の楽しい一日は終わりを迎えようとしていた。

 午後6時になり、広場がライトアップされた。陽気な音楽と共に衣装に身を包んだスタッフたちが笑顔で歩いて来た。そのすぐ後ろには、カラフルなオブジェがゆっくりと進んでいた。オブジェにはスタッフやキャラクターが見物人に手を振っていた。見物人も手を振り返す。守も手を振ろうとした。人に紛れて、あの道化師が微動だにせずに見つめていることに気がついた。血の気が引いた。そうして、固まっていると道化師は人陰に隠れて掻き消えた。守の中に急速に不安が広がっていく。

 びくびくと怯えながらパレードを見ていた。最後のオブジェが通り過ぎても、何も起こらない。守はほっとし、両親を呼ぼうとした。

「マ……」

 目の前には道化師がいた。目を見張り、後退りしようとしたが体のバランスを失い、ころんだ。転ぶ途中、「喋」という字が守と地面の間に浮かび、引き寄せられるように道化師に吸い込まれていった。次に守が顔を上げると道化師の影も形も消えていた。

 両親に抱き上げられた感触を覚えている。だが、両親の声と人々の喧騒は守を突き抜けていった。

 瞼を開き、守は机の引き出しから封筒を取り出した。それは、あの遊園地からの招待状だった。数日前に届き、明日がその日となっていた。守はもう一度短い文面に目を落とした。つづいて深く目を閉じた。


 守は正門の前で立ち尽くしていた。門は閉じられている。手をかけて押しても引いてもびくともしない。仕方なく外壁を見て回ることにした。見上げれば、アトラクションが見える。塔の上部に何かが一瞬、動いた。守はどうしようかと思案させていた。これしかないか。そう思うと、入れそうなところに目をつけ侵入した。

 園内はしんと静まり返っていた。人は誰もいない。アトラクションや建物は綺麗なままだ。まるでここだけが忘れ去られ、元から存在していなかったようだ。

 守は途方に暮れた。招待状は届いたものの、招待文と日付が書いてあるだけで、それ以外は何も分からない。そして、さっきから塔の上部が不規則に点滅している。罠ではないかと思う。だが、向かうことにした。

 塔の入り口に来た。改めてこの大きさを実感する。下部は太く、上に向かっていくにつれて少しずつ細くなっていく。

 扉をくぐると広間に出た。天井にはシャンデリアがぶら下がっている。明かりは薄暗く心許ない。中央には台があり二冊の手帳サイズの本が置いてある。本の間隔は離れていて元々5冊あったようだ。すると、ここに招待されたのは5人で、3人がすでに来ていることになる。さらにこの本が必要になってくるようだ。

 本は黒色で表裏には何も書かれていない。ぱらぱらと一見しても白いページばかりだ。いぶかしつつもポケットにしまった。

 本以外にも何かあるかもしれないと思い、隅々まで探してみた。けれど、広間はだだっ広いだけで他には階段があるのみだ。見切りをつけ、守は階段を上がる。

 次の階は真っ暗だった。方向感覚が狂い、身動きが取れなくなる。手を伸ばし壁を探す。手のひらにひんやりとした感触を感じた。壁に背をつけゆっくりと移動する。何歩か動いた後で、手に突起物が触れる。掴む。ドアノブだ。音を立てないように回して足を踏み入れる。

 部屋も真っ暗だった。多少は目が慣れてきたため、うっすらと中の様子が確認できる。タンスや机などの家具類が置かれていた。引き出しを開けても空っぽだ。

 どうやら一直線の廊下の左右には同じようにドアがあるようだ。開けては閉めてを繰り返す。最後の部屋を覗いた。明るい。他の部屋とは違い、暖炉が設えられていた。守は暖炉に近づくと、本を取り出す。驚いて本を落としてしまった。本は温かみを帯びていた。屈み、指先で触れ、手のひらでこする。暖炉を見る。薪が重ねられ赤とオレンジの火が揺らめいていた。その時、独りでにページが音を立てて開く。呼応するかのように火は激しさを増した。勢いが治ると、燃え続ける火から「火」という字が出てきて本に吸い込まれた。真っ白だったページに「火」の字が印刷されるように写し出される。守は凝視した。自分の体から出ていった時の光景と重なる。同じだと思った。やはり、ここにはあの道化師が居ると確信した。暖炉の火が燃え広がった。


 


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