第六章:行く先の選択肢

第六章:行く先の選択肢 01






 珍しく星空がのぞいていた。窓に掛けられたレースカーテンが、大きく開け放たれた窓からの夜風に舞っていた。窓の先に綺麗なプラチナブロンドか、世間を騒がす騎士がいれば、それは恋物語の一幕のようだっただろう。

 

 その窓の中心にいるのは顔の見えないローブの男。


 彼は目の見えない顔で、もう一度口を開いた。


「ヴィー、早く」

「ちゃんと説明してくれないと、着替えないわ」

 ヴィヴィアンは闇色に変わったローブ・モンタントを握りしめながら首を横に振った。

 こんな時間から外に出るだけでもありえないというのに、他国に行くと影は言う。渡された服がいつかの庶民の服装だった事もヴィヴィアンの不安に拍車をかけていた。


 いったい何が起こって、私はこれからどうなるの。


「時間がないんだ。夜明けまでに王領を出ないといけない」

 首を振るエムにヴィヴィアンは思わず目を細めた。

 いつも飄々としているエムが、今日は違った。声は冷たく、表情は硬い。いつもならベッドのそばに来るのに、今日は窓際から一歩も動かないまま跪いている。


「ヴィー」

 まるで幼子に言い聞かせるような声だ。ヴィヴィアンはますます目を細めた。

 そんな表情を、そんな声をされる謂れなど自分には無い。ヴィヴィアンはエムの態度が心底気に入らなかったが、ここで態度について怒ったところで事は何も進展しない。


 『本当に信頼のおけるものに、使われるべきです』

  

 ヴィヴィアンの頭につい数刻前の自分の声が響いた。

 ぎゅっと服を強く握って、息を吐く。意志のこもった目でエムを強く見つめた。



「道中、必ず私に弁解と行先を告げると誓いなさい」






 * *



 『リリスの花道』でも、密出国する場面がある。

 王太子・サミュエルから手を引かないリリスに対し、公爵令嬢が強硬手段に出るシーンだ。

 ここでリリスが密出国の船に乗せられ、たどり着いた先が彼女の父親の故郷・マーソン帝国だった。そして彼女はここで自分が皇族だと知るのだ。

 本来、公爵令嬢はリリスを跡形もなく殺すように自分の子飼いの下僕に命令していた。しかし、下僕はその命令を破り、リリスを船に乗せてティンダル王国から追い出してしまう。

 跡形もなく殺すより、痕跡を残さずどこかにやるほうがずっと楽だと、その下僕は作中で言っていた。

 


「エムが言いそうな言葉だわ」

 ヴィヴィアンがついそれだけを口にすると、真正面に座っていたエムが何とでも言いたげに首をかしげた。


「本で、貴方はあの子と国を出るの。現実は私とだけど」

「本でもこうなのかい?」

「ええ。確かに馬車、そして貨物船だったわ。それも私同様、ローブで髪を隠した状態でね。違うとしたら手足と口が縛られていないことぐらいかしら」

 ヴィヴィアンはそういって、自分の胸の前に、自由な両手を主張する様にぱっと広げた。

 荷馬車の中の様々な輸送品と舗装されていない道のせいで、ゴトゴトと常に鈍い物音が、辺りに響いていて、馬車の中はかなりうるさい。

 そのためのヴィヴィアンのジェスチャーに、エムは少しだけため息を吐いた。


「この順路も、ヴィーのためのローブも、僕なりに頭を悩ませたんだけどなあ」

 強制力ってやつなのかな、とエムが苦笑した。

「だとしたらもっとエムには頭を悩ませてもらわないと。じゃないと私が死ぬもの」

「他力本願すぎない?」

「いえ、適材適所よ」

 ヴィヴィアンがツンと顔をそむければ、手厳しいなと、エムがまた苦笑した。


「それで、エムは私が言ったことを覚えているかしら」

「そうだったね。まず、噂について、こんな形の噂に発展するのは正直予想外だった。淑女にとって、一番の不名誉なものに発展するきっかけを作ってしまったこと、本当に申し訳ない」

 

 エムは、座ったまま床に頭をつけそうなぐらいに頭を下げた。


「今更かもしれないが、僕にも甘えと驕りがあった。君は筆頭公爵のご令嬢。噂は精々流れてもリリスに関する事だけだと思ってたんだ」

 リリスに関する事であれば、元々殿下が最近仲良くしている令嬢という噂もあった。

 若気の至りと、それに対する癇癪娘の嫉妬。当人たちの気持ちはどうあれ、端から見れば登場人物が3人だけの、小さな諍いだ。


「マクラウド将軍が入ったことで、噂の質が一気に変わったんだ。権力欲を持った悪意のある噂になった。彼を気にくわない王家側の人間が加わってきたんだ」

「……あの噂の目的は、私というよりマクラウド将軍なのね」

 ヴィヴィアンの言葉に、エムはコクリと頷いた。

「あちら側からしてみれば、君の破滅は決定事項だ。その破滅の道連れにして一緒に潰してやろうと思ったんだろうね」

 すごく不本意で言いたくないけど、という枕詞をつけてエムはそのことを口にした。


「お父様、という可能性は? 宝飾店であった布屋の店主は、お父様の影だったわ」

「ないね。出回っている噂に具体的な仔細は一切ない。きっと知らないからだ。あと旦那様なら、裁判に持ち込む。何せ、重要な証人がいるんだから」

 エムの言葉に、ヴィヴィアンは確かにと頷いた。父なら裁判をやりかねない。王城の法廷で朗々と主張する父の姿がありありと浮かんだ。


「だから、今回の噂の主犯はきっと、君とダンスを踊ったのがマクラウドと知っているか、庭園の案内をマクラウドが対応したことのどちらか、または両方知ってる人物だ」

「……殿下も大変ね」

 ヴィヴィアンは思わずサミュエルに同情した。

 その人物は、かなり特定されてくるのではないだろうか。確実に王家側、それも王と殿下が信頼する者の中に殿下にとっての裏切り者がいるという事だ。


「ヴィーが気にしてやることじゃない。精々苦しめばいいんだ」

 ヴィヴィアンの言葉に、エムは不機嫌をそのまま声に出していった。

 エムの言葉にヴィヴィアンは一瞬目を見張った後クスクスと笑ってしまった。

「そうね、そうだわ」

 自分のために怒ってくれる人がいるという幸福を、ヴィヴィアンは今素直に感謝することが出来た。


 笑うヴィヴィアンに、エムは少しだけほっとした様に息を吐いて、そのあと手を顎に持っていくと、神妙な顔で口を開いた。



「もしかして、リリス嬢は既に自分が皇女であることを知ってるんじゃない?」


 エムの言葉に、ヴィヴィアンは目を瞬かせた。

「リリスはマーソン帝国に行って知るのよ?」

「ヴィーの知ってる物語だとね。でも現実は物語と起きてる結果は同じでも、過程は全然違ったじゃない。ヴィーは少なくともリリス嬢をいじめてないし、国を出るのもヴィーだ」

 それについて、ヴィヴィアンはたしかにとまた頷いた。


「それに、僕は前からずっと疑問だったんだ。あの殿下、軽率に自分の父親がホストをしている舞踏会を抜け出すボンクラかな?」


 ヴィヴィアンは数刻前のサミュエルの姿を思い出す。周りを信頼しすぎるきらいはあるが、馬鹿ではなかった。

 エムも同じ見解なのだろう、少なくとも5年間王領を正常に統治できる人間のやることではない。


「でもこれが、リリス側の人間がすでに『リリス・サリンジャーはマーソン帝国の皇女である』と知っていたら、話は変わる。大国の皇女とのつながりなんて何よりの優先事項だ。当然、彼女を優先する王太子になる。彼の立場上、そうせざるを得ないね」


 今のティンダル王家は、この国を治める正当性がほしい。

 だから15年前にカラムの民の国を、領地としたのだ。聖マール教の聖地こそ、マーソン帝国の首都であり、マーソン帝国の皇帝は聖マール教の最大の守護者という側面も持つ。


 つまりリリスの血は、たとえ半分が自国の下級貴族の血であっても、王家が喉から手が出るほどに欲しい正当性の1つなのだ。


 さらに、リリスがマーソン皇帝の血縁だと公表すれば、大国の皇女との結婚に憧れたティンダル貴族から山のような結婚話が舞い込むだろう。

 子爵家では伯爵、侯爵、公爵の権力には勝てない。子爵に不都合な婚約になる可能性すらある。

 そして既にヴィヴィアンと婚約しているサミュエルは一歩出遅れる上、王家都合の婚約破棄となれば、政敵であるクロムウェル家にまた借りを作ることになる。

 きっとクロムウェル公爵は、これ以上の正当性を王家に与えたくないという思惑から、婚約破棄を是としないだろう。


 シートン子爵にしてみてもリリスは何よりのカードだ。リリスがマーソン帝国の皇女であることを敢て秘匿し、王家に連なる者にのみ伝えることができれば、リリスの王妃はほぼ確定。王家の外戚の地位を手に入れることができ、貴族の夢である陞爵すら、手の届く話となる。


「……シートン子爵の姪の娘が、スチュート伯爵夫人だわ」

「スチュート伯爵といえば、宰相補佐として、王の覚えもめでたい人物だね。そしてガッチガチの貴族至上主義者」

 

 一番要らない知識だと思っていた、貴族の家系図や相関図の知識が、役に立つ日がくるとは思わなかった。

 エムも同じことを思ったのか、口を半開きにして、ヴィヴィアンをじっと見つめていた。


「まあ、謎が一つとけて、話がそれてしまったけど。 君が国を出る経緯について言うと、ヴィーの醜聞に対し、旦那様はある決断をしたんだ。ヴィヴィアン、君を修道院送りにすることだ。事実はないが、不名誉な噂が流れ、社会を混乱させてしまった責任としてね」

 ヴィヴィアンは思わず眉をひそめ、口をへの字にした。リネンのスカートが皺になるくらいに握りしめた。

「君が一番屈辱的だったのは解っているし、旦那様も理解している。でもこれは公爵家が王家から追及を逃れるために、先んじて身を切る必要があったんだ」


 つまり、公爵家の没落につながる王家の追及を受ける防波堤にヴィヴィアンを使ったという事だ。

「駒になったり盾になったり、私の役割も案外流動的ね」

 ヴィヴィアンから、ふ、という笑いが零れる。先ほど、エムの不機嫌に対して零れた笑いとは違う種類の、笑いだった。


 それでもヴィヴィアンの中には、どこか死なないだけましか、という気持ちが芽生えていた。

 これ以上公爵家を断罪できないなら、ヴィヴィアンが処刑されることもなくなるかもしれない。


 そこまで考えて、ヴィヴィアンは一つ大きな食い違いがあることに気付いた。



「エム、貴方さっき、国を出ると言わなかった?」


 離宮に迎えに来た時、エムは確かに『この国を出る』と言っていたのだ。そして荷馬車は、修道院とは真逆の港町に向かっている。

 これは一体全体どういうことだろうか。


「修道院にはいかないよ」


 ヴィヴィアンの言葉を聞いたエムは、淡々とそれだけ言って、そっとヴィヴィアンに近づいてきた。

 顔が俯いているから、表情が一切見えず、ヴィヴィアンの胸には一抹の不安がよぎった。

 エムは、ヴィヴィアンの目の前に座り込むと、ヴィヴィアンの右手を両手で包みこみ、いつかのお守りでくれたクリソプレーズをその指の腹で撫でた。


「どういうこと?修道院に行かないって……そんな、ダメよ」

「ヴィー、君は馬鹿だ」

「は?」

「おまけに、堪え性がなくて、癇癪持ちで、人の名前どころか、長年世話になっているメイドの顔すら碌に見てない、宝石とドレスばかりにしか興味がない子だ」

「エム、さすがに殴るわよ」


「でもそれは、無力だった君がまとった精一杯の鎧だったんだ。偽るうちに偽っていた事も忘れて、乖離する精神に心が耐え切れなくなって癇癪を叫んでたんだよ。――君は賢くて優しい子だから」

「なにを言っているの……?」

 ヴィヴィアンは思わず疑問を口にした。

 賢い? 優しい?

 それこそ、自分に一番ふさわしくない言葉だと、ヴィヴィアン自身が思っているからだ。


「現に君は、修道院に行くことに憤ってないじゃないか! 本当に堪え性がなくて、癇癪持ちで宝石とドレスにしか目がない子なら、こんな地獄はないはずなのに!」


 エムの手に力が入る。ヴィヴィアンの右手が痛いくらい握りしめられた。

 ヴィヴィアンが痛がったのがわかったのだろう、エムはごめん、と言ってヴィヴィアンの右手から手を離した。謝るエムの声は、震えていた。


「だから僕はあの夜決めたんだ。僕は、君のためだけに動く。公爵家のための修道院には行かない。君をマーソン帝国に連れて行く」


 その声は覚悟のこもった声で、まるで宣言のようだった。聞きたいことは山ほどあるのに、ヴィヴィアンはそれ以上何も言えなくなり、口から出せない言葉をゆっくり飲みこんだ。


 エムは、ヴィヴィアンの右手を持ち上げると、指先にキスを落とした。


 ガタゴトと舗装されない田舎道を往く夜の荷馬車はうるさい。

 うるさいはずなのに、確かにそこだけは静寂が流れていた。



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