第772話 割れる胡州

「今の危機的な状況の中。自己の保身の為の貴族制度の維持。これを本願にしている政治家がいる。そして軍内部にもその勢力は多い」 


 保科はそう言って後ろに立っている清原の顔を見る。表情を変えない清原を一瞥して保科はそのままマイクを握る。まばらな拍手が前列に広がる。魚住や黒田もそんな西園寺派の将校達と一緒に拍手をしていた。その様子に呆れたように明石はただ目を壇上の老人に向けた。


「だが貴族制なんていうものは所詮システムでしかない。それを優先して無益に他国との関係を悪化させるのは正直無駄な努力だ」 


「そうだ!」 


 今度は前列から声が飛んだ。立見席で再び囁きあう声が響くが保科老人は話を止めることが無かった。


「どんな社会も同じ地位に同じ人間がいれば腐敗するものだ。常に流動する社会が理想だと私は思っている。だが、それは難しい。特にわが国の貴族制度がそれを阻害していることは間違いない」 


 後ろの囁き声がさらに増すのが最前列の明石からも分かった。


「ただここで留意しなければならないのはわが国は現在孤立していると言う事実だ。既存の制度を完全に破壊して新しい制度を構築する。言葉で言うのは簡単だが、実際それを実行しようとすれば長期の政治的空白を生むことになる」 


 その言葉で今度は前列の西園寺派の将校が囁きあいをはじめる。だが、明石はこれまでの話し方が明らかに両派の将校を自分の話に集中させるための前振りだと思って次の言葉をつむごうとする保科の黒い目を見つめていた。


 壇上で保科老人は待っていた。壇上でマイクを手に一言も発せずざわめく聴衆を眺めていた。


 西園寺派と烏丸派の将校達はしばらく仲間内で話を続けていたが、現在この国を動かしている老人の沈黙を察して次第に声を潜めていった。


「現在。首相は烏丸君が勤めている。彼は実に才気あふれる人材だ」 


 その言葉に再び部屋が仲間で議論しあう状況に包まれる。だが、再び沈黙した老人の言葉を聞きだそうとすぐに静まった。


「だが、あえて言えば彼は正直度量が小さい。身内のことにばかり執着しすぎる」 


「気が小さいの間違いじゃないですか!」 


 明石の隣の魚住が叫ぶが、そこに奥で立っている清原が切れ長の目から視線を魚住に向ける。身を乗り出して睨み返す魚住。だが再び保科老人は黙り込んだ。


 沈黙。清原を挑発するような表情を浮かべていた魚住も次第に自分が浮いていることに気づいて黙り込む。そしてそれを確認すると老人は再びマイクを握り締めた。


「西園寺君は野党をまとめているが、彼の野心は私も鼻につくところだ。それが才能の裏書のあるものだとしてもどうにも胡散臭いところがある」 


 そう言ってまた沈黙する老人。彼の話術にはまったように聴衆の若手将校はじっと壇上の老人の言葉を聞くことに決めたように黙り込んだ。明石はそれでこの人物が只者ではないことを実感していた。


「野心に見合う実力のある人物を登用する。私は常にそう烏丸君に頼んではいるが、烏丸君はどうもそれを聞くつもりは無いようだ。少しは度量を見せろと言っているのだがね」 


 その言葉に西園寺派の将校は部屋の後ろに立って話を聞いている烏丸派の将校達に振り向く。


「だが、これでは政局は混乱するばかりだ。西園寺君の弟君の武陽帝、君達が言うとしたら嵯峨惟基陸軍大佐だが彼は的確に遼州諸国をまとめて遼州同盟を立ち上げた。東和、遼北、大麗、西モスレム。加盟を急ぐ動きが我々の頭越しに行われている」 


 最新のニュース。多くの士官達も同じようにこの国際政治の動きに目を向けているところだった。そして、その動きを左右しかねない胡州の重鎮であるこの老人の言葉に耳を貸そうとしていた。


「あいにく彼は胡州に同盟加入の話を持ってきてはいない。実に残念な話だ」 


 それまで黙っていた聴衆が再びざわめき始める。同盟設立に向けて水面下で活発な動きがあると知っていた将校達だが、その動きが胡州に及んでいないとこの国の指導的立場の人間の言葉で確認するとその事実はそれぞれの思惑や立場に変換されさまざまな言葉で語られ始めた。


 明石は隣の魚住が黒田に耳打ちしているのを見たが、気にせず再び壇上の老人を見た。


「胡州は遼州独立の旗を掲げた伝統がある国だ。私はその歴史に誇りに思っている。そして今、遼州が大きな変革期にあると言うのに、そこから突き放された。これは実に残念なことだと言わざるを得ない」 


 会議室の後ろの立見席の雑談がさらに大きくなる。同盟加盟により地球の脅威を押さえ込みたい、そして地球から課せられた貴族制の廃止等の改革案を反故にしたい烏丸派。ざわめきの原因を想像しながら明石はただ黙っていた。


「しかし、我々にも問題があると言うことがわかるな、ここに立ってみると。君達は同じ派閥の言葉で話すことしか出来ないほど主義主張に凝り固まっている。実に残念だ」 


 そう言うと保科老人はマイクを置いてしまった。驚いて後ろの清原が歩み寄る。


 老人は入り口で清原に止められて小声で話し合い始めた。明らかに焦ってまくし立てる清原の声にただ頷く保科老人。


「あなたしかいないんですよ!国をまとめられるのは!」 


 部屋の中央の嵯峨派や大河内派の士官の一人が叫ぶ。手拍子が始まる。それははじめは中間的な両派の士官だけのものだったが、次第に前列に陣取る西園寺派や立見席の烏丸派まで広がった。


 それを見て照れたように頭を掻くと保科老人は再び演台に戻った。


「それなら君達が態度で示せ!」 


 そう叫んで保科老人はSPを連れて退出した。それに続き明石達を一にらみして立ち去る清原准将。会議室は騒然とした。


「出るぞ」


 それまで一人黙り込んでいた別所がそう言った。明石も立ち上がり、あちこちで怒鳴りあいを始めた若手将校達を押しのけてそのまま会議室を出た。

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