待ち受けるもの
第740話 待ち受けるもの
誰もいない戦艦を思わせるブリッジ、いくつものモニターが周辺の障害物などの映像を映していた。
『なにか用か』
ブリッジに響く声。艦長席のようなゆったりとした椅子の前のモニターが点灯し、一人の老人の姿を映し出した。
「用というほどではない。確認だ」
老人はそう言うと口ひげに手をやる。もう一方の声の主、この艦そのものである吉田俊平は何も答えることはなかった。
「現在我々の艦隊は衛星、麗から5万キロまで接近している」
『準備がいいな。まるで測っていたみたいだ』
艦の声に老人ルドルフ・カーンは満足げにうなづく。しかしその目は明らかに猜疑心に取り憑かれたそれだった。
「仕掛けるつもりか?嵯峨の司法局と」
『わかっていて聞くとはなんともスマートさに欠けるんじゃないかな。それに俺が仕掛けることであんたの溜飲も下がるんだろ?』
その言葉にカーンは苛立たしげに口ひげを撫でながらも口元に愛想笑いの笑みを浮かべた。
「確かに溜飲は下がる。だが本当にやらなければならないことは……」
『なあに、あんたの溜飲を下げるだけじゃ、こんな素敵な体をくれた礼としては不足なことはわかっているよ。2,3発インパルスカノンをぶっぱなしてあんたの言う豚共にこの世の秩序というものを教えてやるっていうサービスまでつけよう』
「遼北・西モスレム国境に一撃、東都に一撃、あと敗北主義の胡州に一撃」
『なんだ豚の意味までわかっているのか……』
艦の言葉にカーンは満足げにうなづく。
「多少の無茶はどうにかできる設備はこちらも用意してある。とりあえず司法局実働部隊を屠ったところでできれば数発威力を見せつけることができれば満足だ」
カーンの笑顔に艦は笑顔を浮かべているとでも言うように誰もいない操縦桿を左右に振ってみせる。
『無茶をするのはこちらではない。司法局と『管理者』の方だ。そちらでは『管理者』の所在は掴めたのか?』
機械的声の言葉にカーンはうなづいてみせた。
「現在のところ西園寺の州軍に身を寄せて全速でそちらの宙域に進行中だ。こちらも一緒に片付けてくれると助かるな」
『なあに、望むところだ。それに今回は我々の同胞の恨みを晴らすのには最高の舞台じゃないか!』
「同胞意識か。そんなものもあるのかね、君達には」
驚いた様子のカーン。艦は静かに語り始める。
『情報は共有され、精査されて初めて意味を持つんだ。我々はそのために常に記憶を更新しながら現在まで記憶の共有化を図り、それを東都のセンターで分析することで情報端末としての役割を全うしてきた。そのセンターと一体の嵯峨惟基と接触した個体がそのシステムの輪を破壊した。そいつが我々が『管理者』と呼ぶ個体だ。センターと『管理者』には秩序を破壊した罪がある。……秩序を大事にするのが君等国家社会主義者の美徳だと聞くが?』
自分に話題が振られて少しばかり困惑した表情を浮かべながらカーンは口元のヒゲをなでた。
「私の美徳なんてことはどうだっていい」
苦々しげなカーンに艦は笑みでも浮かべているように言葉を続ける。
『どうだっていいね。それにしても顔色が冴えないように見えるが……死ぬ敵が億を超えると流石に気が引けるかね』
「それは私のセリフだ」
カーンはつぶやいた。そして自分の言葉が恐怖を帯びたように震えていることに自分で気づいて口に持ってきた手で強くあご髭を引っ張ってみせた。
『だが、あんたは所詮人でしかない。数億人が死ねば多少の感傷に浸るのも当然だな』
「まるで自分の方生身の人間より優れているとでもいうような言い草だな」
皮肉な言葉に艦はよどみなく言葉を続けた。
『事実だから仕方がない。俺には死が存在しない。人間の言う病気の苦しみも持たない。また存在が消えてなくなることの恐怖もない』
「そうか?それならなぜ君等が言う『管理者』やサーバーの攻撃から逃げ回る必要があったんだ?消えるのは同じことじゃないか」
カーンの珍しく素直な質問にようやく饒舌を止めた艦。ただし、それに続く言葉にはより残酷な表情が似合うものだった。
『奴等はイレギュラーだ。多面的な視線と情報を手にするにはインターフェースは多い方がいい。だから俺は毎年のように新たな義体をその筋で確保して稼働させたんだ。多数の俺が同時多発的に観察し、活動し、そして破壊する。最強のシステムだとは思わないかね』
「その自立型情報収集ユニット群。そのおかげで東和は200年に渡る平穏を得ることができたというわけだ」
『そう、ゲルパルトや胡州の無謀な対地球戦争にも巻き込まれずに済んだんだ……まあ感謝はしてもらいたいものだね、東和の連中には。そのシステムにエラーが出た。だから修正する。それだけの話だ。あんたにもあるだろ?あるべきものがあるべき形をとらなかったことくらい。例えば前の戦争での東和の中立とか』
艦の言葉に明らかに心象を害したようにカーンは顔を歪めた。痛いところを突かれたというように独白を始める。
「あの戦争では東和は我々に味方するべきだった」
ゲルパルトの政府の中枢にあってその戦争の正義と勝利を信じていた時代がカーンの頭をよぎる。そして次の瞬間モニターの向こう側のプログラムに本音を吐いている自分を想像して虚を突かれたような表情を浮かべた後黙り込んだ。
『負ける戦争をするのは大馬鹿者だよ。東和が付けば勝った?単純な楽観論に過ぎないね。地球のアメリカを中心とする陣営の国力とゲルパルト、胡州の両国の国力には差がありすぎる。地球のアフリカと中央アジアまで侵攻できただけで十分じゃないの……まあ過ぎた戦争の話をするのは建設的とは言えないがね。まああんたも俺も同類ってことさ』
ブリッジの計器が動き始める。カーンは静かにその様を見守っている。低い警告音が断続的にブリッジに響いた。
「動き出したのか、嵯峨は」
『なあに、動き出すのは奴の部隊だけだ。嵯峨本人は今回は政治的な動きを取るだろうからな。現場を仕切るのはクバルカ・ラン中佐』
「遼南共和軍の残党か……東和でアサルト・モジュールの教導隊の隊長をしていたはずだが?」
『あなたも知っているとは彼女も高名なパイロットというところですかね。相手には不足はない』
「くれぐれも無理はしてくれるなよ」
狂気がブリッジに広がっているように各モニターに緑色の位置データの映像が映し出されるのを見てカーンは苦々しげに念を押すと通信を切った。
『ちょうどいい……目覚めにはちょうどいい……フフフッ……』
何もいないブリッジに機械的笑みが広がっていた。カーンが映っていたモニターに小さく司法局実働部隊運用艦『高雄』の姿が映し出されていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます