第730話 謎解き

 木々は凍り付き、微かに吹く風に遙か高い梢が揺れているのが目に入ってくる。


「ここは本当に東和かねえ……人が入った気配がまるでねえや」 


「山の向こう側に行けば空港も街もありますよ。まあ軍との共同運営ですから札付きのオンドラさんは近づけもしないでしょうけど」 


 ネネはそれだけ言うとそのまま獣道を進む。足下を遮る笹の葉は凍り付き、ネネのブーツに当たる度に金属のような音を発してくだけて落ちる。オンドラは傾斜が急になるに従って肩からずり落ちそうになる大きなバッグを気にしながら珍しく黙ってネネに続いた。


 道は緩やかな左右への蛇行を繰り返しながら続いた。しばらく行くと道の左脇に沢の流れのようなものが見えた。沢の中央はちょろちょろと凍結を免れた僅かな水が積もった雪に遮られて勢いを殺されながらも静かに流れ続けていた。


「熊とか……いるんじゃないかねえ……」 


「いるかも知れませんよ」 


 立ち止まりオンドラを振り返りにやりと笑うとまたネネは前を向いて歩き出す。オンドラは思わずバッグに手を伸ばすがすぐに思い直して黙ってネネの後に続いた。


 急に道は終わりを告げた。正面には崖が壁のように立ちはだかっている。森も途切れ、そこから先は完全に岩と氷ばかりの世界であることが黒いつやのある崖の石が語っていた。


「もうすぐですね」 


 ネネはそう言うとそのまま迷うことなく岩の一つに手を伸ばした。確実に手を置く場所を押さえて小さな体を片腕で持ち上げる。足もまた的確に今にも滑りそうに見える岩と岩の隙間に置かれるとネネは次の動作へと移って切り立った崖を登り続けた。


「やっぱりあんたは登山の才能があるよ」 


「褒める暇があったら付いてきてください」 


 さすがに振り返って振り向く余裕はネネには無いようでそれだけ言うとそのまま崖を登る動作を繰り返す。オンドラは一瞬躊躇した後、ネネが手をかけた岩と足をかけた石の隙間を確認しながら慎重に崖を登りはじめた。


 しばらくネネの動作を思い出しながら自分が崖を登るのが精一杯だったオンドラが上を見上げたとき、すでにネネは20メートルほど上の頂上に這い上がろうとしているところだった。


「これじゃあアタシがお客さんだねえ」 


 ただ苦笑しながらオンドラは必死になって崖を登り続ける。軍用と銘打っていた義体を闇で手に入れたオンドラ。地球製と闇屋は説明していたが出所なんて掴みようがない闇物資に生産地名など記録されているはずもなかった。半年に一度、その闇屋とつながりのある民生用義体メーカーのエンジニアのチェックをしてはいるが、彼等の扱う民生用の義体とオンドラの軍用義体とでは構成される部品の精度からしてまるで違うものでそのチェックが意味のあるものだったのかとオンドラは急激に体内の人工筋肉内に蓄積されていく疲労物質を関知するシグナルを頭の中で受け止めながら苦虫をかみつぶすように表情を変えた。


「ふう……」 


 なんとか重い体を崖から引き上げたオンドラを涼しい顔でネネは待ち構えていた。


「これからはあなたのお仕事……」 


「ちょっと待ってくれよ」 


「なんですか?」 


 表情一つ変えずに本心から不思議そうにオンドラを見つめるネネ。


「もしかして疲れているんですか?一応あなたは……」 


「言いたくはねえがこの体のスペックじゃこれまでの行程は無理があったってことだ。やはり専門の技師のチェックが必要な程度の代物らしい」 


「それならより気合いを入れてこれからの仕事にかからなくてはなりませんね。今回の仕事が成功すればおそらくは西園寺のお嬢さんは定期的に私達に仕事を回してくれるでしょう……しかも破格の条件で」 


「確かに……」 


 反論をする元気もオンドラには無かった。体内プラントが正常に機能していることを確認しながらオンドラは出来る限り体を動かさないように背負っていた重いバッグを地面に置いた。そして静かに目の前にぽっかりと口を広げた洞窟に目をやる。


「まるで……ファンタジーの世界のダンジョンの入り口みたいな雰囲気じゃねえか?」 


「それなら時代は中世ヨーロッパの世界観で作られているでしょうが……」 


 ネネはオンドラの軽口を聞き流しながらそのまま洞窟の脇の雪の中に手を入れた、オンドラは気になっていたがネネは手袋はしていない。それでも平気で雪の中から笹の枝を取り出すとそのままむしる。


「こうして……焼け焦げた跡がある……おそらく爆風によるもの」 


 オンドラはパイプ状の鉄をバッグから取り出しながらネネの手にある笹の端が炭化している様を確認した。


「トラップか……だろうね。そうなるとアタシを連れてきた理由がよく分かる……それにしてもネネ。あんたは凄いよ。登山用具を置いて行った理由がよく分かったわ」 


「褒めているんですか?」 


「いや、呆れてるんだよ」 


 それだけ言うとオンドラはパイプ、アサルトライフルの銃身を機関部に組み込む作業を止めてそのままバッグの奥から箱状のケースを取り出して地面に置いた。


「何を……」 


「まあ見てなって。アタシも初めて使うんだけど……」 


 オンドラが取り出したのはスキー用のゴーグルのように見えた。それを顔に取り付けた後、そこから伸びるコードを自分の後頭部にあるジャックに差し込む。


「爆発があったってことは空間のゆがみが物理的に発生したってことだ。焼け焦げた跡があると言うことはそれほど古い話じゃ無い。しかも近くにはトラップに引っかかった間抜け野郎の姿も無い」 


 そう言いながらオンドラは洞窟の入り口を眺めた。高さは二人が立って入るにはちょうどいい高さだった。幅から考えれば手榴弾クラスの爆発でも二人を巻き込んで殺傷するには十分だろう。


「おお……見えるねえ。法術師じゃねえのに歪んだ空間を示す色の変化がばっちりだ」 


「そんなものが出来ていたんですか?」 


「あれだろ?地球のお偉いさん達はこの前の近藤って言う胡州の馬鹿野郎のおかげで法術ってものが知られるようになる以前からその存在を知っていた。知ってて隠していた……」 


 オンドラはゴーグルを付けたまま洞窟に入る。周りの岩や地面を何度か確認し、納得しながらゆっくりと進む。ネネはオンドラが置いて行った銃をバッグに無理矢理詰め込むとそれを引きずりながらオンドラに続いた。


「第二弾だ……色が薄いってことはそれなりに昔に引っかかった奴がいるな……これは場合によってはそれなりの得物がいるな。ネネ、済まねえ」 


 背後までバッグを運んできたネネに頭を下げるとオンドラはゴーグルを付けたまま手慣れた手つきで銃を組み立て始めた。銃身を機関部に深くねじ込むとその下にグリップを当ててピンをたたき込んで固定する。そのまま機関部の後ろにも同じようにピンを刺してストックを固定。鉄の塊はすぐに銃へと姿を変えた。


「手慣れたものですね」 


「これが食い扶持だからね」 


 そう言うとオンドラはそのまま銃を構えながら中腰の姿勢を取る。


「ネネ、アタシの頭より上には手を出さないでくれよ……不可視レーザーが走ってる。右の壁のセンサーへの光線の供給が途絶えたら何が起きてもアタシのせいじゃねえからな」 


「それほど物好きじゃありません」 


 ネネはかがみながらオンドラの後に続く。またオンドラが歩みを止めた。今度は跨ぐようにして何かを乗り越えている様子が後ろのネネからも見えた。


「古典的だね……ピアノ線。まあ確実と言えば確実だが」 


「トラップが好きみたいですね、吉田って人は」 


「まあ傭兵なんて言う職業柄だろ?東都の租界にもそう言う奴は腐るほどいるぞ。なんなら紹介しようか?」 


「そう言う悪趣味な友達は欲しくありません」 


 オンドラの冗談に真顔で答えるネネ。その様子に振り返って笑みで答えるとオンドラは再び真剣な表情に戻って洞窟を奥へと進んだ。


 さすがに普通のトラップはネタ切れという感じでオンドラは止まることなく50メートルほど洞窟を奥へと進んだ。左右が急に開けて天井が高くなる。


「どう見る……雇用主様」 


「壁面を見る限り風化や落盤で出来た空間じゃありませんね。重機で削り取った跡を整えてそれっぽくしたって言うところじゃないですか?」 


「ご名答だね。で、あの文字をどう見る?」 


 オンドラが指さす天井。ネネはすぐにコートから小型のライトを取り出して照らしてみた。文字のようなものが浮かんでいるのが見える。ネネはすぐにそれが本来このような場所にある文字ではないことを悟った。


「オンドラさん。よく文字だと分かりましたね。あれは遼州文字……この星に人が住み始めた時代に使われていた文字です」 


「遼州文字……遼州文明は文字を持たないってのが特徴じゃ無かったのか?」 


 どこかで聞きかじったという感じで呟くオンドラ。ネネは微笑みながらただ文字を見上げていた。


「確かに現在の記録……つまり地球人がこの星にやってきた時には当時の七王朝は文字を持たない文明でした。彼等の間に伝わっていた伝承の中にはかつて人を不幸にする要素として鉄と並んで文字が上げられています。遼州の先住民、すなわち私達の祖先は意識して文字を捨てて青銅器文明に回帰したんです」 


「ずいぶんと物好きな話だねえ……便利さを捨てて原始に戻るって遼州の前の文明の指導者にはアーミッシュでもいたのかねえ?」 


 感心したのか馬鹿にしているのか、口笛を吹くオンドラを見てただ慈悲に満ちた笑みを浮かべた跡、再びネネは文字を見上げた。


「『この文字を読める者にのみ、この先の扉は開かれる』って暗号でも記しているんでしょうか?」 


「おいネネ!読めるのか?」 


「先遼州文明の資料は何度か目にしたことがあるので大体は……」 


「さすがインテリ!」 


「褒めているようには聞こえませんよ……『行く手に現われた道は偽りの道。汝、それを通る無かれ。ただ道は心の中にあり、汝、その道を進むべし』」 


 そこまでネネが読んだときにオンドラは呆れたようにため息をついた。


「心の中の道?なんだよそれ……あれか?東和軍とかが使っている意識下部プリンティングセキュリティーシステムでもあるって言うのか?」 


「こう言う謎かけをする人はそんなハイテクを使う趣味は無いと思いますよ……とりあえず続きを読みますね。『心の中は常に乱れるものなり、汝の乱れが我への道なり』……以上です」 


「は?」 


 オンドラはただ呆然と文字を読み終えて振り返ったネネに答えるだけだった。


「『乱れ』が重要なんですよ」


 ネネの確信のある言葉にただオンドラは首をひねるばかりだった。


「乱れねえ……あれか?いきなりスカートをこうして……」


 ネネのスカートに手を伸ばそうとしたオンドラの頭を思い切りよくネネははたいた。


「それで道が開かれるなら別にこの文字を読む必要は無いんじゃないですか? 偶然で大体の片が付く」 


「違えねえ」 


 オンドラはそう言うとそのまま先頭に立ってホールのようになった道を引き続き歩き続けた。すぐにそれは行き止まり、小さな穴が開いた壁に突き当たった。


「ここか……」 


 ただ静かにオンドラは壁に手を擦りつける。よく見ればそこには裂け目があった。


「この穴はマイクですね。そうなると」


 ネネは迷うことなく継ぎ目にナイフを突き立てようとするオンドラを押しのけた。


「『ネルアギアス!』」 


 一言、はっきりとそう言ったネネ。オンドラはしばらく呆然と何が起きたか分からないようにネネを眺めていた。


 すぐに結果は現われた。微動だにしないと思われた継ぎ目がぎりぎりと拡がり、人が一人通れる程度の隙間が生まれた。


「おいネネ……何をした?」 


「何をって……見ていませんでしたか?」 


「見てたけどさあ。何なんだよ!マイクに向けて意味のわからないことを叫んでさあ」 


 ただ疑問ばかりが頭に押し寄せて混乱しているように見えるオンドラに静かにネネは笑いかけた。


「そうですね。これは遼州文字と古代遼州語の知識がないと分からないことですから。まず、この文字を書いた人……まあ十中八九この奥で私達を待っている吉田俊平なんですが……彼が要求していた知識はまず遼州文字が読めることでした」 


「まあな。そう書いてあった」 


 ネネの窘める口調に少しばかり苛立ちながらオンドラが吐き捨てるようにそう言った。その様子に満足げに頷くと続いてネネは先ほどの文字の辺りを振り返った。


「古代遼州語で『乱れ』とは何か?そして『心』に関係する言葉は何か?それを知っている人ならば答えは一つ、『ネルアギアス』という単語になります」 


「だからその『ネルアなんとか』がなんで『乱れ』で『心』と関係するんだよ!」 


 明らかに不機嫌に呟くオンドラ。ネネは静かに言葉を続けた。


「遼州の民……一説には50万年前にこの星にたどり着いたと言う話ですが……彼等はこの地にたどり着くと同時に文明を捨てて青銅器の世界に回帰しました。彼等は人の心のある力が自分達を滅ぼしかねないと思ってその力を放棄することを誓ったんです。その為、後の現在でも遼南の山岳地帯の少数民族などが使っている現遼州語ではその力を指す言葉……『ネルアギアス』が『乱れ』という意味で使われています」 


「言語学のお勉強か?アタシはご免だね!」 


「尋ねてきたのはオンドラさんですよね。それに私はあなたの雇用主です。今後のことも考えて最後まで聞いていただきますよ。『ネルアギアス』とは古代遼州語では『技術』と言う意味なんです。彼等は技術が人を滅ぼすと経験し、この星で原始に戻った……まあそうなった理由までは私も分かりませんが」 


 それだけ言うとネネは不機嫌そうに腕組みをしているオンドラを置いて洞窟を奥へと歩き始めた。


 開いた道はこれまでの洞窟の自然を装った姿は無かった。明らかに重機で削った爪痕が克明に残っているのがわかる。


「しかしあれだねえ……さすがというか何というか……」 


 銃をかざしながら先を進むオンドラが感心した視線を振り返る度にネネに向けた。


「何がですか?」 


「古代遼州語?そして現在の遼州の言葉の地図。全部頭に入っているわけか? すげえ話じゃねえか」


 オンドラの珍しく本心から感心しているような言葉遣いにネネも少しばかり気をよくして微笑んだ。


「あなたの商売道具は手に持っている銃だとすれば、私の場合はこれです」 


 静かにネネは自分の頭を指さした。振り向いたオンドラは分かりましたというように大きくうなづく。


「伝説の情報屋……馬鹿には確かに勤まらない仕事だ」 


 オンドラはそう言うとゴーグルを外して銃の銃身の下にぶら下げたライトで行く手を照らした。

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