第711話 梅見

「いい若いのがこんな時間に梅見か?」 


「何よ……かなめちゃんだって反対しなかったじゃないの。それに他に良い場所知ってるの?」


 アイシャに突っ込まれてかなめは不服そうに黙り込む。そのまま真新しい植物園の入り口のゲートが目に入る。褐色の門柱と黒い鉄柵。


「もう少し……柔らかい印象で作れないものかな」 


 カウラでさえそう言う物々しい門。そこの脇にある入場券売り場に当然のようにかなめが歩いて行った。


「大人三枚と馬鹿一枚」 


「馬鹿?」 


 素っ頓狂なかなめの言葉に彼女と同じくらいの年の職員が首をひねって誠達を眺める。


「馬鹿ってかなめちゃん?」 


「オメエのことだよ……まあいいや。大人四枚」 


「はい……」 


 相変わらずよく事情を飲み込めないというようにかなめのカードを端末でスキャンした後そのまま磁気カードを四枚要に手渡す。かなめはそれぞれ誠達に配るとそのまま振り向きもせずに入り口のゲートを通りすぎた。


「急いじゃって……そんなに梅が見たいの?」 


 アイシャの皮肉に答えることもなくかなめはそのまま奥へと歩き続ける。誠達も仕方なく急ぎ足でゲートを通りすぎるとそのまままだ新緑には早い植物園へと足を踏みれた。


「寒々しいわね……」 


 思わずアイシャの口から漏れた言葉も尤もな話で、落葉樹にはまだ木の芽の気配が僅かにするばかり。多くの木々はまだ冬の気配を残している気温に遠慮して縮こまっているように見える。


「季節は移るものだ……いつまでもとどまると言うことは無い」 


 カウラはただそれだけ言うと一人飛び出しているかなめに向けて急ぎ足で進む。誠も左右を見回して感心しているアイシャを置いてそのまま要のところへと急いだ。


「奥だよな……梅は」 


「知らないで急いで歩いているのか?」 


 突然立ち止まって振り返ってのかなめの言葉にカウラはあきれ果てながら周りを見回した。桜の木々の枝ばかりが天を覆い、季節感の感じられない松の梢が風に揺れていた。


「案内板でも捜せばいいじゃないの」 


 遅れてたどり着いたアイシャはそう言うと、そのままひときわ目立つ立派な枝振りの松に向けて歩き出した。


「勝手なことばかりして……」 


 ため息を漏らすカウラの視線の先でアイシャが誠達に手招きをしているのが見えた。


「案内板でもあったのか?」 


 カウラの言葉にただ指を指すアイシャ。


「梅だな……そして……」 


 誠もカウラと共に松の木の隣に咲き誇る紅梅を眺めた。その目の前には三脚にカメラを載せて難しい顔で立ち並ぶ高齢の男女の姿とそれをうっとうしそうに横目で見ながら梅の花を愛でる同じ年格好の女性の群れを見つけた。


「でも……なんで?」 


 アイシャがそう言ったのはその向こう側。柵に頬杖をついてじっと梅を眺める少女の後ろ姿を見たからだった。正確に言えばそれは少女の後ろ姿ではない。戸籍上の年齢はもう40に手が届く。


「シャムだろ?休暇でも取ったんじゃねえか?」 


 全く動じずにそのまま要は一直線に梅を見ながら物思いにふけるシャムに向かって歩き出した。


「おい、そこの餓鬼!」 


 シャムはしばらく声をかけたのがかなめだと分からず呆然としていたがかなめの特徴的なタレ目を目にするとすぐにむっと膨れた表情を浮かべて誠達に目をやった。


「餓鬼じゃないよ!」 


「じゃあなんだ?……梅見か?がらにも無いな」 


「それを言うならかなめちゃんの方が似合わないじゃない!」 


「そりゃあそうか」 


 シャムにムキになられて少しばかり反省したようにかなめはそのままシャムの隣に立つ。節くれ立った梅の木々の枝に点々と赤い花が咲いているのが見える。


「良い枝振り……そして良い梅だ」 


「かなめちゃんが言うと実感わかないわね」 


「馬鹿言うな。胡州も梅はそれは大事にされているんだ。これより良い梅も散々見てきたぞ」 


「嫌々めんどくさそうにでしょ?」 


 アイシャに図星を指されてかなめは黙り込んだ。そんなやりとりを乾いた笑みを浮かべて眺めていたシャムは再び視線を梅へと向けた。


「ナンバルゲニア中尉……やはり吉田少佐のことが気になるんですか?」 


 思わず誠は本題を切り出していた。あまりにも突然だと言うように振り返ったシャムの目が誠の顔を直視できずに泳いでいる。


「う……うん。気になるよ。でも信じたいんだ。きっと何か大切な秘密があって仕方なく隠れてるだけだって」 


 それだけ言うと再びシャムは目を梅に向ける。考えてみればシャムと吉田の関係は誠から見ても不思議だった。つきあっているというわけでも無い。シャムはどう見ても色気より食い気という感じにしか見えないし、吉田は超然としていて男女関係などの情念とは無縁な冷たいイメージが誠にはあった。


「信じるねえ……確かにテメエ等のつきあいが長いのは聞いちゃあいるが……それほど奴は信用できるのか?」 


「そう言う割にはかなめちゃんは心配してお金を出して俊平を捜してくれているんでしょ?」 


 嫌みを言うつもりが逆に窘められてかなめは顔を真っ赤にして黙り込む。その様子に吹き出すアイシャにかなめは照れ隠しに拳を握りしめて振り回した。


「別にそんなに心配しなくても大丈夫。アタシ以上に俊平は強いから」 


「強い弱いの問題じゃ無いわよね……なんでも東和の公安警察が吉田少佐を追い始めたとか……」 


 アイシャの突然の言葉に誠はただ黙り込むしかなかった。


「公安が?容疑は何だ?今回の遼北と西モスレムの激突と……」 


「カウラちゃん興奮しないでよ!私だって昔の知り合いのつてで噂に聞いたくらいなんだから!」 


 振り向いて詰め寄るカウラに迷惑そうに顔を顰めるアイシャ。そんな様子もどこ吹く風で相変わらずシャムは梅を眺めていた。


「心配しねえのかよ……辛抱強いというか……ここまで行くと薄情に見えるぞ」 


 かなめの言葉に再び慈悲を帯びた笑みで振り返るシャム。彼女と吉田の出会いから今まで。誠が知っていることはほとんど無いと言っても良い。だがそのつながりがどこまでも特別なものなのは理解することが出来た。


「そう見えても仕方ないけど……分かるんだよ。間違いなく大丈夫だって」 


「そんなもんかねえ……」 

 

 理解できないというようにかなめはそのままシャムの隣の柵に寄りかかって梅を眺める。眺めていた紅梅に降り注ぐ光が一瞬の雲の影に隠れた。


「で……吉田は何をしてると思う?」 


 再び降り注ぐ早春の日差しを見ながらのそれと無いかなめのつぶやき。シャムはただ変わらぬ笑みを浮かべていた。その視線は梅の梢から逸れることがない。


「大事なこと。俊平がしなければならないと思った大事なことをしているんだよ。きっとアタシにも相談できないほど個人的で大事なこと……」 


「昔の女との別れ話か?」 


「かなめちゃんは……本当にデリカシーってものが無いのかしら?」


 アイシャの言葉にさすがのかなめも苦笑いを浮かべた。シャムを見る限り吉田の目的はそのような所帯じみた話のようには誠にも思えなかった。


「しなければならないことを終えたら帰ってくるよ。その時笑顔で迎えたいんだ……だから泣かないの……」 


 光の中。シャムの眼の下に二筋の光の線が見えたのを誠は見逃すことがなかった。

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