第702話 情報屋
待ち人は突然現れた。
「おう、久しぶり!」
タバコを燻らせるかなめの頭の上に長い黒髪が垂れ下がる。驚いてかなめはそのまま上を見上げた。かなめを見下ろしているのはアイシャより切れ長の細い目をした女性だった。そしてその隣には小柄なローブをまとった少女が立っていた。
「オンドラ!テメエの髪がグラスに入ったじゃねえか!」
「なんだよ……久しぶりに会ったと思えばいきなりいちゃモン付けか?つれないねえ……人望の無いサナエの為にわざわざ手を貸してやろうとやってきてみれば……ああ、今は本名の西園寺かなめで通してるのか……見ないうちにすっかりお嬢様になっちまって」
明らかに挑戦的な表情を浮かべてオンドラと呼ばれた女性は遠慮することもなくかなめの隣の座席に陣取る。
「ネネも座りな!公爵令嬢の奢りだから好きなの飲もうじゃねえか!」
「テメエを呼んだ覚えはねえぞ……アタシが呼んだのはネネだけだ」
ネネと呼ばれた少女が黙ってオンドラが叩くソファーに腰掛けるのを見ながらかなめは怒りに震えながらオンドラを睨み付ける。
「私が呼んだの……私一人じゃ安全を確保できないから。迷惑だった?」
か細い声で俯きながらつぶやくネネと言う少女の言葉にかなめは怒りの表情を引っ込めて素直に首を振った。
「良かった……私はトマトジュース」
ネネは静かにそれだけ言うとそのまま俯いて黙ってしまった。誠もアイシャもカウラも、この二人のコンビがどうしてかなめの情報網に引っかかったのか疑問に思いながらウエイターが近づいてくるまでの時間を過ごしていた。
「かなめちゃん……なに?この二人」
「なんだよ……ははーん。その紺色の髪の色、ゲルパルトの人造人間か?隣のねーちゃんもゲルパルトの人造人間で、その兄ちゃんはパシリってところか?」
興味深そうに誠達を見て回るオンドラの視線が誠には痛かった。アイシャもカウラも明らかに不機嫌そうに切れ長と言うよりも切り込みのようにも見えるオンドラの細い視線を睨み付けていた。
「人を出自で判断するのは良くないことですよ。重要なのは今の立場」
静かな、そしてそれでいて少女のものとは思えない迫力のある言葉の響きに誠達は凍り付いた。
「あなた……法術師ね。しかも、私の勘だけど相当訓練を受けている」
静かに繰り出されたアイシャの言葉にネネと呼ばれた少女は静かにうなづく。ウエイターが運んできたジュースを静かに飲む姿は確かにその幼い見た目とは裏腹な老成したようなところが見て取れた。
「預言者ネネ。東都の裏社会では知れた情報屋だ。別にネットに詳しいわけでも特別なコネクションがあるわけでも無いのに、気が向けば正確無比な情報をくれる貴重な存在として畏怖の念を集めていた情報屋の中の情報屋だ。まあ法術が普通に知られるようになってみれば、その仕掛けは簡単だったわけだがね」
かなめの言葉を否定も肯定もせずにネネはグラスの上に伸びたストローから口を離すと静かに居住まいを正してかなめに向き直った。
「この姿で生きて行くには正確で信用のおける情報屋を演じるのが最適だもの。おかげで最近は銃弾に当たることも無いし」
「そりゃそうだ。預言者ネネに傷をつけようもんなら東都じゃ商売が出来ないようになるからな。まるで西部劇のピアニストってところか?銃は決して彼女を傷つけない」
物静かなネネとは対照的にオンドラはそう言って豪快にドライジンのグラスを空にした。
「オンドラ。オメエはおまけなんだよ。自重しろよ」
怒りを込めたかなめの言葉にオンドラは首をすくめて苦笑いを浮かべる。一方ネネは相変わらず黙ってかなめを見つめていた。
トマトジュースを飲み終えるとネネは静かに話を切り出した。
「吉田俊平少佐の情報を集めているんでしょ?報酬は?」
冷静なネネの言葉にようやくオンドラに対する怒りを静めたかなめはボストンバッグから札束を一つ取り出した。オンドラがそのままバックを覗き込むのをかなめは意地になって片手で止めた。
「10万ドルの札束がこんなに……初めて見たよ。さすがお嬢様。気前がいいねえ……」
「オメエにやるんじゃねえ。ネネ。手付けはこれでいいか?」
三つの10万ドルの山が築かれる。かなめの言葉にネネは隣のオンドラを見た。明らかにオンドラの表情はかなめのボストンバッグの中身を推測することに集中しているものだった。
「今回の件だけであと50万ドル。それに今後の顔つなぎとしてもう50万ドル……」
「ちょっと!お嬢ちゃん頭おかしいんじゃ無いの?ただ顔を出しただけで130万ドル?ぼったくりじゃないの!」
アイシャが驚きと抗議を込めた叫びをあげる。だがかなめは静かにうなづくとボストンバッグからさらに十の札束をテーブルの上に積み上げた。
「ものを知らねえ奴は困るねえ……」
かなめは明らかに哀れみの目でアイシャを見つめる。アイシャはその視線の色にただどぎまぎしながらもじっと札束を眺めていた。
「さっそく確かめますか!」
景気よくそう言うとオンドラはかなめから札束をひったくる。指を一舐めするとオンドラは的確に札束を確認し始める。それを横目に見ながらネネは静かに空のグラスをテーブルの脇に動かした。
「百万ドルの価値の情報屋か……それならその能力を少しは見せてもらってもいいんじゃ無いかな?」
金のやり取りに夢中になっていたこの場の人物の中で、一人慎重で冷静だったのはカウラだった。そんなカウラの態度にネネは満足そうな笑みを浮かべた後、こちらもまた落ち着いた表情で一つ咳ばらいをした。その表情は相変わらず老成していて誠の目にもネネがただ者ではないことだけはよく分かった。
「胡州陸軍の諜報機関は予算的な余裕が他国に比べて少ないんです。その部隊員だった西園寺かなめさんが百万ドルを払う。それだけで私の能力は実証されているように思うのですが……」
「そう言うこと!東都でやましい仕事をしている連中でネネを知らないなんて田舎者も良いところだ。たとえ後先考えず人を殺めた馬鹿がいたとしてもネネの情報網を使えばそのおめでたいオツムの殺人鬼でもそいつの金が続く限りはちゃんと逃げ延びることが出来るってのが『租界』の常識だ。その程度の実力者にただの公務員がどうこう言うのはちゃんちゃらおかしいや!」
オンドラの調子の良い言葉をかなめは珍しく茶々も入れずに頷いて認めて見せた。誠は自分の知らない世界の常識に戸惑いながら同じように話が理解できないでいるアイシャに目を向けた。
「そんな実力者ならそれこそ租界の一角にビルでも借り切ってなにがしかの組織の一つや二つ抱えていてもおかしくないんじゃないの?口ばかり達者な用心棒を雇って二人っきりで仕事を始めようなんて言う酔狂な真似は……」
「アイシャ。オンドラは確かに口が九割だが、ガンマンとしての腕は確かだからな。使えない鉄砲玉を抱えるよりはよっぽど賢い選択だ」
意地でも文句を付けたいアイシャをかなめが珍しく冷静に制した。それを見てオンドラは今度はアイシャを悪い笑みを浮かべながらにらみつけた。誠も遠慮がちに彼女の豊かな胸の辺りを見れば、その左下の辺りに確かに銃がつり下がっていると言う膨らみが見つかる。
「私は組織には縛られたくないんです。部下を持てば彼等の命の責任を持たなければならなくなりますから。それと初めに言っておきますが司法局との特定契約も受け付けません。自由が一番なので」
ネネの言葉は静かだがどこまでも毅然としていた。おそらくは司法局との契約の話でも切り出すつもりだったと言う表情のカウラも黙って目の前のコーラに手を伸ばさざるをえなくなる。
「中立で金だけで動く。しがらみがないからそれだけ動ける範囲も広くなる。故に情報も正確になる」
かなめの補足で誠も何となく目の前の少女のことを少しだけ信用することにした。
「まあ良いわ。どうせかなめちゃんのお金だし」
「そうそう。こう言うお嬢様からはたんと巻き上げた方がいいぞ!」
オンドラは景気よくグラスを空にして笑う。一人テンションの高い彼女の手からネネは素早く札束を取りあげた。
「なんだよネネ!」
「ちょっと待って」
ネネはそう言うと札束の帯をほどく。そのまま三枚の千ドル札を抜き取ると残りをそのままオンドラに手渡した。
「え?これくれるの?」
「これは私の取り分。そちらは経費とあなたの給料」
淡々とそれだけ言うとネネはまた静かにジュースのストローに口を伸ばした。
「ずいぶんと遠慮がちなのね……」
皮肉の入ったアイシャの言葉にネネはただ無言でジュースをすすることで答える。
「なあに、あの有名な吉田俊平の関連の情報を集めるんだ。租界の中まで響く伝説の傭兵だぜ。しかも電子戦のプロと来たからにはその情報を手に入れようと思えばいくら金があってもねえ……」
ちらちらとオンドラはかなめの顔を見た。その表情は明らかに経費は別立てにしろと要求しているそれだった。
「オンドラ。欲張らない方がいいわよ。定期的なお仕事をくれるお得意先は大事にしないと」
またもはっきりとしたネネの言葉にオンドラは気分を換えようと手を挙げた。表情一つ換えずにウエイターが歩み寄ってくる。
「済まないが今度はジンを!銘柄はタンカレーな」
「その金はお前が出せよ」
去っていくウエイターを見送りながらつぶやくかなめにオンドラはまた卑下したような笑みを浮かべる。だがその目がネネの鉛色の瞳を捕えるとすぐに俯きがちに懐から財布を取り出して札をテーブルに置いた。
「吉田俊平の居所だけならこの金額は大きすぎるんじゃないかな。当然その素性も調べてもらえれば……」
カウラの言葉にネネは気に入ったというように初めて見る笑顔をカウラに向けた。
「ええ、現在の潜伏場所からこれまでの略歴、それこそ愛人の数まで調べるつもりよ。吉田俊平の名前は何度も聞いているから興味があったの。だから今回の仕事も楽しみにしているわ」
それだけ言うとネネはそのまま立ち上がった。ジンの入ったグラスを手にしたウエイターが驚いた表情でネネが目の前を通るのを見守っている。驚いたのはオンドラも一緒でウエイターの手の上の盆から素早くジンの入ったグラスを奪い取るとすぐさま喉の奥にアルコールを流し込んだ。
「じゃあ、結果は後で!」
手を振りながら去っていくオンドラ。ただ誠達は呆然と彼等を見守った。
「ずいぶんな出費ね。期限も切らずにおくなんて……お人好しも良いところじゃないの?」
アイシャの言葉だが、かなめは満足げに手にした水割りを啜っていた。
「相手は預言者ネネだ。こちらが情報を本当に必要になる時までにはレポートができあがっているもんだよ。さもなきゃあんな餓鬼が裏社会で生き延びられるはずはねえ」
そう言い捨てるとかなめは立ち上がった。
「それはわかったんだが……他のあては無いのか?」
意外そうな表情のカウラににやけた表情を向けたままかなめは札束の詰まったボストンバッグを背負って店内を見回す。
「思いのほか安くついて万々歳だ。なあに。預言者ネネ。それ以上のニュースソースはアタシにも覚えが無くてね。行くぞ」
さすがのかなめも残りの大金を惜しむのか大事そうにボストンバッグを抱えるとそのまま勝手に歩き出した。アイシャと誠は慌ててその後ろに付き従う。カウラは大きくため息をつくと静かにジャケットのポケットから車のキーを取り出してくるくる回しながら彼等についていくことに決めた。
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